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育休復記その1~苦悩から脱却まで

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※この記事は投げ銭制です。

こんにちは、ゆきち先生です。

おそらく第ニ子が腹から(私の場合はすでに股でなく腹からと決まってます)ひょっこりした後にはなかなかビビッドに思い出せなくなりそうなんで、今回はコレについてちょっと記録しておきます。
育児もする職業婦人の活躍が強要されがちな昨今、旬な話題なので、いちサンプルとしてご査収ください。

新旧職場の簡単なおさらい

まずはざっと最初に職業人としての私の置かれた環境を説明しておこうかと。
現在の職場には、2009年秋に31歳で中途入社した。IT系開発部門の企画職正社員で、おもにモバイルコンテンツ制作に携わっている。給与は年俸制、勤務時間は裁量労働制。組織規模が大きく、各種制度や福利厚生、情報開示などはかなり充実していると感じる。

そう感じることができるのも新卒入社でそれまでに在籍していた旧職場がかなり対照的だったためで、組織は中小規模で給与は基本年功序列。当時は社員の年齢構成がいびつで半数は肩書き上、管理職。勤務時間は不規則ながら一応時間外手当てが建前上ある。ただし勤務時間は自己申告制で、社内はとても実態通りには申告できないムード満点。産業全体や会社の景況、組織構造的に、ブラック企業にかなり近かった。実際、2度自律神経失調に陥って、3度めに心身の健康に危機を感じたのが転職の第一の理由になる。
旧職場では仕事のことばかり考えすぎていて、産休や育休の制度があったのかどうかも覚えていない(昔は労働組合が強かったのと、かなり先輩で子持ち女性はいたので、おそらく制度は存在したが、十数年間ぐらい誰にも使われていなかったと思われる。私の2年前の先輩まで十数年新卒採用ゼロだったので、さもありなん…)。

1年3ヶ月育休からの、時短勤務

さて、2016年1月に第一子を出産し、娘が保育園に慣れた翌年4月に復帰するまで、約1年3ヶ月の育児休暇を取得した。
あ、結局我が家は娘の預け先を認可外保育園にしたのと、他にも諸事情あって「1月から通わせたけど職場復帰は4月」にした。この、ラグのある復帰が可能だったのは一つのアドバンテージであったかと思う。認可保育園だとどうしても4月一斉入所と復帰が同じタイミングというケースになりがちだが、もし調整可能なら、保育園開始から復帰までは1ヶ月でも2週間でも猶予を設けるのを個人的にはオススメしたい。

現在の職場は基本的にはプロジェクト制で、モバイルコンテンツという商品特性上、参加するプロジェクトの回転速度が2~3年(※個人的体感値です)ほどなので、復帰したときに、休暇前に所属していた担当業務はチームごと消滅していた。

そのことについては休暇前から予測はできた事態なのだが、出産前までは比較的「最先端だけど傍流」的な少人数プロジェクトにいたことが長く、そのためか意外と汎用的専門性がない私は、とりあえず受け皿として同一部署のわりと大規模なプロジェクトにぶっ込まれたわけである。
さらに、娘の保育園迎えのために時短勤務となり、実働時間は7.5時間から7時間に。少人数プロジェクトの頃は平均で2時間程度は残業していたので、業務内容が変わるにせよ、担当分をきちんと回せるのかまったく見当もつかなかった。
(ただ、産休直前の約半年間はたまたまかなり負荷の軽い業務のチームにアサインされていて、悪阻などもほとんどなく、ラッキーの極みであった。大規模組織では、部門やプロジェクトによる現場負荷の落差も大きい。)

社内転職みたいだった

社内4~6人程度のチームで複数の取引先他社と協力したり折衝していたプロジェクトから、いきなり社内数十人のプロジェクトに加わったら、本来当社事業としてはこちらが本流ではあったのだが(むしろ数十人でも少ないほうかも)、ほとんど社内転職というくらいにいろいろやり方が違っていて、正直びっくりした。

▼業務上のストレス
1)扱う情報量は莫大で、さらにそれを触るプロジェクト管理/バージョン管理ツールなど、覚えるべきことがやたら多い。

2)メンバーが多いので誰が何の情報を持っているか、顔と名前と担当とキャラを把握するまでが一苦労(しかもよく担当が変わるし、フロアや拠点が別だったりする場合もある)。

3)深入りするほどにプロジェクトの立ち上げに関わったコアメンバーで共有されている暗黙知がことのほか多く、1)2)の背景もあり、どことなく新入りに不親切。

4)私自身の属性が提供サービスのターゲット層から外れているためか、ユーザーとしてサービスを体験するときに何か地味に辛い(単に加齢のせいか? ※でもこれプロジェクト成功のためにはけっこう重要)。あと、業務時間外に自主的にサービスに触れる時間が多いほどフィードバックできることも多いので、強制はされないものの自由時間がないことが不利に感じる。

5)これらのストレスに加えて、苦手なタイプの人に絡む必要があると、気持ち的に積む。が、担当業務上その必要性が高い。これ決定打。

6)時短勤務なので残業や休出でリカバリーとかがそもそも無理。ちなみに復帰時点で、プロジェクト内には時短勤務者はいなかった。チーム単位で見ると育休復帰ワーママ在籍の前列がないわけではないが、結果的に退職されたので、少なくともフロア内に同じ立場の人はいなかった。

7)裁量労働制なので「時短勤務って逆に実質昇給じゃねーか」というプレッシャーが強い(根が真面目!)

8)保育園からのお迎え要請や子の看病などによる不測の作業時間泥棒

いま改めて整理してみるとこんな感じ。
振り返ると6)8)あたりがこの順で済んでいるのは、娘がかなり健康面、性格面で育てやすいタイプの子だったのがラッキーなのだが(正直、お迎え後の育児タスクの最中、どうしてもオンラインで参加したいスマホゲーム1日計1時間の習慣をなんとか死守できていた…この習慣、家庭でも職場でもない第3のコミュニティとして、救いでもあった。※これ重要)、それでも、夫の帰宅時間は平均で20~21時なもんで、育児タスク渦中にいると、職場でのストレス対処法に向き合う気力はなく、日々混乱のうちに一日が暮れてしまう。

4ヶ月半の苦悩

とりあえず業務上事故らないのを最低限目標になんとか乗り切りつつも、そんな日々が8月中旬まで続いた。
この時期に、ふっと肩の荷が降りる出来事が複数重なる。

▼ストレスから抜けだすきっかけ

1)リーダーや上司に理解があったというか、情報交換してみたらこちらがリーダーの立場を理解できた件
個人面談のなかで苦悩を相談したところ、直属リーダーが「このチームがなぜクソか」成り立ちなどから詳細に教えてくれた。
おそらく私がもう少し若ければ、「いやそこも含めてなんとかするのもおぬしの仕事じゃろがい」と恨むスタンスでそれすらストレスに感じるところなのだが、ほらそこは会社員歴17年、無駄にキャリア積んでないので、それはそれとしてそれを知るだけで物事を捉える角度が拡がり、結果的には気がラクになった。

2)若手新メンバーが定着しないという別問題が発生
リーダーや上司の目線でチームの問題点を俯瞰すると、私なんかよりも若手の新メンバーが続々と体調不良を訴えて業務に支障を来し始めがちなことのほうが優先度が高かった。なので多分私は年の功で、まだよくやってる側の評価だろうというのと、新入りが押し並べて苦しみを抱えるのはこのチームの構造上の問題であって、担当者個人の力量でどーにかなるレベルじゃねーわこりゃ、と割り切ることができた。
(だから、以降の新メンバーにはできる限りの私なりのフォローを心がけましたよ…)

3)プロジェクト改編
関わるメンバーが変わりそうだとわかるだけで気が軽くなるもの。変化が速いことにはメリットもデメリットもあるが、どうしても組織が停滞しがちな前職での経験もあって、いまの環境、この速さが有り難い。

4)いろいろ慣れた
単純に業務に慣れたので、手抜きできる箇所や過程が判断できるようになった。ココ(人)だけ押さえとけば問題ないなという最低限のライン、優先度を理解。
あと保育園のお迎え要請の頻度や、いざというときの病児保育サービス利用のコツなど、経験値の積み重ねで育児タスクについても管理が上達した。

5)結局、いまの担当業務が好き、自分に合っていると思えた

結果論だが、1)~4)で難局を脱することができたのは、割り振られた業務内容が私のスキルや得意分野にフィットしていたからで、難易度設定としてギリギリ過不足なく、段階的な自信に繋げられるものだったからだと思う。

タスク単位ではわりと業務委託に近いスタイル、自身が主軸に動いて1ヶ月単位でフロー調整・改善や成果確認ができるタイプのもので、進行管理から納品までかなり個人の裁量が大きかった。
主軸が時短勤務者だから、関連メンバーもある程度返答や作業リミットが予測できる、などの変化もあったかも知れない。もちろん、緊急度の高い案件を退社後に別のメンバーがフォローしてくれたことも何度もあって感謝している。
ただ、私の担当業務は“成果物が提供サービスのプラスアルファの部分”であって、仮に事故ってもサービス本体の商品生命を絶ったり、大損害を与えかねない種のものではなかった。
あと、成果物を厳密に数値で効果測定されていたら、もっとプレッシャーきつくて、半年ぐらい苦しんだ末に、見事に復帰失敗ー!(担当替えを願い出ていた) となっていたかも知れない…。
重ねて、もしかするとそこまで深くも考えていなかったかも知れないが、リーダーと上司に感謝している。

ようやく安心した矢先に第ニ子妊娠が発覚

9月はいわゆる年末進行的な繁忙期に連休が重なってかなり業務はしんどかったが、精神的には一つ暗いトンネルを抜け出していて、これを糧に乗り切ることができた。
その後、少し遅い夏休みを取って、家族旅行で私の大好きな八重山あたりに出かけてリフレッシュ。なんとか半年勤続のご褒美である。
そうこうしてたら、まさかの第ニ子妊娠が判明。我が家はもともと子は授かりものという考えのもと明確に家族計画ビジョンがあるわけではなく、私個人としては何となく、きょうだいであまり年齢が近いのも体力・家計とキャリアの両面で不安が残るので(あと自分のきょうだいが2歳差で窮屈感感じていたのに対し夫のきょうだいが8歳差、のびのびしてる印象で羨ましかった)、上の子が3~4歳になる頃が良いかな(かなり高齢出産となるけど)と考えていたので、想定より早かった。
復帰から約1年あまりで再度産休に入ることについては申し訳なさもありつつも、現在の職場環境でのキャリアシフト期としては十分すぎるほどの意味があったと思う。

で、後半の半年間は、プロジェクト人員縮小の波のなかでの引き継ぎや医師からの安静指示なども発生して、また違う新しい課題に直面する。


というわけで、それについては「育休復記その2」に続きます。



カバー画像ロケ地/休暇で訪れた石垣島







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