龍の背に乗るという、とにかく怪しい企画に参加した話
日本には多くの神社があるが、初詣に行くか、旅行先に観光スポット的にあったらついでにお参りする。くらいのものではないだろうか。
昔の人は、火山や雷、台風などの自然災害になすすべがなかった。
これらの強大な自然の力を神と呼び、崇拝していた。
アニミズム信仰ってやつだな。
実際、神などいないのに。まぁ文明度の低い昔の話だから仕方ないよなぁ。
などと思っていた。
そんな俺が、今や休日になると神社仏閣に通い、自室には神棚を設置して
毎朝お祀りしているという、当時からでは考えられない生活を送っている。
そのきっかけは、数年前にさかのぼる。
当時、ネットビジネス系のメルマガを取っていた。
鍼灸師の先生を呼んで、身体のことを学ぶセミナー等を開催しているとか、
そんな人のメルマガだった。
単純に身体のことに興味があったし、このツボを押したら身体のここが良くなる。みたいな話は特殊技能でもあり面白い。
その先生との無料音声が提供されており、聞いていると、身体を上手く使ったり、健康になれる知識が得られるので、楽しんで聞いていた。
オンラインでなく、実際にリアルで開催するセミナーやってくれないかな。
参加してみたいなー。と思っていた。
そんな折、「とにかく怪しい企画」という、ふざけてるのか真面目なのかわからない企画が立ち上がっていた。
おおっ、何だこれ。
自ら「怪しい企画」と掲げているところがたまらなく良かった。
その中身は「龍の背中に乗って魂の求める方向に突き進もう」みたいな内容である。
完全にイカれている。
普段なら見向きもしないところだが、龍という存在の説明、
龍を「降ろす」という行為、何より体感が詳細にレターに書かれていた。
…嘘かも知れないが、本当かも知れない。
俺にも体感が得られるなら、それは紛れもない事実となる。
まぁ事実でなかったとしたら、失うのは金と時間。
しかし事実だった場合、俺の「神仏や見えない力は存在しない」という、
世界が破壊されることになる。
連鎖的に、価値観が崩壊する。俗っぽい言葉で言えば、生まれ変わることになる。
リスクはあるが、事実だった時のリターンは計り知れない。
…よし!やってやろうじゃないか。
そんなわけで、龍の背中に乗るという「とにかく怪しい企画」に参加することにしたのだった。
怪しい企画と言いながらも、
内容は相当ちゃんとしていた。
神社に参拝するための姿勢、礼の種類、角度から心持ちまで、
かなり本格的に叩きこまれた。
「勉強のつもりで来ないでください。修行です。」
やるもやらないも俺次第、というわけだ。
企画の期間は半年。
大体月に1度、神社仏閣を巡り、龍を探す。
講義もあって、氣を感じる練習や身体の使い方を習う。
講義や参拝のない平常時は、普段の生活をするわけだが、
近所の氏神様に挨拶に行ったり、やることが増えた。
3~4か月が過ぎ、
参拝の作法や姿勢もそれなりにわかってきた。
物理的な姿勢や禮法は、今からすると全然ダメだったが、
それでも何も知らない頃よりはマシになっていた。
しかし…神様や龍が、わからない。
感じられない。
神社やスポットに行けば、何かいるような気はする。
果たしてそれが気のせいなのか、本当に何かが「居る」のか、
どうしてもわからなかった。
「この世界は、やればやっただけ成果が出るわけではない。
ある日突然、ひらめいたように急にわかるようになったりする」
そのように言われたが、依然として何も感じない俺は若干の焦りを感じ始めていた。
気を感じるために、武術を習ってみたり、
怪しげなコンテンツを聞きまくったりしたが、
即効性のあるものではなかった。
このままでは、何もわからないまま企画が終わってしまう。
成果のないまま終わるのはどうしても嫌だった。
この状態では、見えない力はない。とも言えないし、
ある。とも言えない。
非常に中途半端で終ってしまうからだ。
そんな中、参加者の一人が龍を降ろすことに成功した。
ご神体となる石に、入って頂いたのだ。
羨ましいが、感じられていない俺としては、
龍を入れたことより、龍を感じられているその感覚が羨ましかった。
いよいよ追い詰められた気分になった俺は、
企画とは関係なく、普通の休日に岡山県にあるパワーのありそうな山に登った。標高は数百メートルの低山だが、八大龍王が祀られており、
皇族のご先祖様の陵墓とされる場所もある。神山といってよい山だ。
龍を求めて、朝からひたすら歩く。
龍は水辺を好むという。
道なきやぶに分け入り、野生動物しか来ないであろう汚い水たまりを見つけた。たぶんイノシシが身体を洗ったであろう跡があった。
…ここは違う気がする。
企画の先生はチャットで質問すれば、ほぼ即レスしてくれる。
『この場所、龍いますでしょうか…』
聞いてみると、
「良いところですね!呼べば来るかもしれませんよ!」
と言われ、好反応。
テンションとモチベーションが上がり、捜索を続ける。
また登山道から外れ、山中の木々が生い茂る中に、か細い小川が流れている場所があった。
そこでトイレを済ませた。ちなみにうんこではない。
まぁ、神山だけど、小川で浄化されるだろう。
道もない山の中にトイレは当然ないので、やむなしだったが、
これで龍神から見放されることはないはず…みたいなことを思っていた。
トイレを済ませたせいか、冷静に辺りを見回すと、
ぱっと開けた場所が近くにあると気付いた。
開けたと言っても、木々に覆われているのだが、
頭上の空間が開けており、木々の間から差し込む日の光が、
妙に清々しい。
ここ、いいかも。
龍神を降ろすと、身体の正面から入る体感があるという。
そもそもここに龍がいるのかわからないが、
覚えた作法で龍を呼ぶ。
何かが、いる。気がする。
続いて奏上を行う。
降りて来てもらう儀式の一つだ。
…。
ダメだったか?
…!?
諦めかけた時、真上から暖かい衣を被せてもらったような感覚があった。
疲れのせいかもしれないが、膝が少し折れた。
その感覚は一瞬で元に戻る。
気のせい…にしては体感があった。
でも正面からじゃないし、入りきらなかったのか??
ここにまだ留まるべきか、あの体感は何だったのか。
山を歩きまくってクタクタになっていたのと、
龍降ろしで気力を消耗しまくったため、思考力が低下していた。
とりあえず下山することにした。
先生にチャットでご神体となる石の写真を送る。
『龍(じゃない気がするけど)入ってますか?』
恐る恐る聞いてみた。
これで入ってなかったら、キツイなぁ。
「…何かは入ってますよ!龍ではないです」
おおっ!
やったー!
って龍じゃないみたいだけど、「何か」は入った。
これは快挙である。
こうして俺は、「何か」を降ろすことに成功した。
御神体となる石には、龍の他に、動物霊や人の念なども入りやすいという。
そんなものだったら何も良い事にはならず、
そんな石を身に付けていると、やたら疲れたり、性格がおかしくなったり、マイナス効果が発揮される場合が多いらしい。
この「何か」は、そういう悪いものではないという。
数週間後に「何か」が判明した。
龍神を降ろす修行していたのだが、
俺に降りて来てくれたのは、お稲荷様だった。
お稲荷さん?狐の?
龍の方が強そうでいいのに…などと罰当たりなことを思ったりもしたが、
当時はとにかく降りてもらえたことが嬉しかった。
これが「見えない力」を能動的に体感した人生初の出来事である。
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