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「テレビ離れ」の陰にある問題を考察してみた

若者のテレビ離れ……という言葉がもう耳にタコが出来るほど言われる時代。
別に私は若者ではないが、もう10年近く能動的にテレビを見なくなっている。
見るとしたら特集やクイズ番組など、自分に興味があるジャンルだけになっている。
それ以外は見ないので、同室にいる家族がテレビを見ているからたまたま目にしているだけで、一人のときはテレビを付けない。
理由はやっぱり「つまらない」と感じるからだ。

何故つまらなくなったかについて次のような記事を見た。

これによると「コンプラで雁字搦めになっており、番組作りに支障が出ている」ということだ。
おそらく、それは間違えていない。
昭和の時代は、番組出演者がいつ怪我をしてもおかしくないような危険な番組が多かったし、性に関してもかなり大らかで、いわゆる「ポロリもあるよ」という番組も多かった。
テレビ番組だけでなくコマーシャルも今ではかなり規制されている。
この規制はどこから来ているのか?

出演者の安全への配慮というのは当然だ。
昭和から平成に入って、この安全配慮は増えたが、それでも面白い番組は多かった。
しかし「暴力的な描写をすると子供が真似をするから」という規制が出てきてから面白さは徐々に減っていった。
「暴力は良いことです」と番組が言っているなら、それは問題なので規制されてしかるべきだろう。
しかし昭和の時代のほうがもっと過激だったのに、少年の凶悪犯罪は平成に入ってからの方が多いのではないか?
だとしたらテレビ番組の規制は効果を発揮していないのではないだろうか?

ズバリ言うと、親の教育が問題だ。
同じ暴力を見ても「これは番組の中でのショーだから、同じことをやっては行けないよ。あなたも殴られたらイヤでしょ?」と現実との違いを教えていたが、近年は「学校で教えてくれない」「テレビ番組のせいだ」と子供への教育は本来親が行うものだという責務を放棄しているのが最大の問題なのではないだろうか?
学校はもともと勉強を教えるのが主眼であり、集団生活が伴うからルールを護るということも「ついで」に教える。
躾は親や近所の大人が行い、子供は徐々に社会の一員となっていく、これが昭和の姿だった。

別に昭和賛美をするつもりではない。
親の躾の義務を放棄した結果が、社会に歪みを与えているということをコンプラ重視以前に自覚するべきではないだろうか……と、偉そうに思った次第です。

ゲーム業界に身を置いたのは、はるか昔…… ファミコンやゲームボーイのタイトルにも携わりました。 デジタルガジェット好きで、趣味で小説などを書いています。 よろしければ暇つぶしにでもご覧ください。