花に月

 ちょっと前に、みんな春といえば桜ばかりだ、他にも春はあるのにという意見を目にした。そのときは確かにそうだよねいろいろな春があるよねと思ったけれど、よく考えたら花といえば桜という暗黙の了解があるくらいだから、もうそういうものだと思う。月といえば満月。満月といえば狼男が交通事故多発で犯罪率増加して珊瑚が産卵。
「連想ゲームか。風が吹けば桶屋か」
「私たちはそういったわかりやすい連想ゲームのなかで生きている」
「主語広げてきた」
「広げちゃった」
「てへ、みたいに言われても」
「でも、マイナーなローカルルールとか内輪でしかわからないお約束を、常識だろって言うのは違うと思うの」
「急に真面目か。言わなくても察しろみたいなやつ? そんなの説明不足の甘えだろ。あんたエスパーか?って問い詰めてやりたい」
 艶やかな長い髪を夜風になびかせながら、悪魔が微笑む。桜舞い散る。悪魔は風に舞う髪かきわけたりしないけれど、隣にいるとちょっと高めのシャンプーみたいないい匂いがした。

 学校帰り、なんだかまっすぐ家に帰りたくなくて、次の曲がり角を左、その次を右、と順に進んでいく遊びをしていたら、いつの間にか日が暮れていた。ぐねぐねと回り道して偶然、悪魔に会えると噂の十字路にさしかかった。角のお家の庭には満開の桜、反対側には切れかけた街灯。向こうから靴を鳴らして歩いてきたのは、いつも無表情のクラスメイトの女の子。
「あなたが悪魔だったの?」と私は訊ねる。
「私が悪魔だ」と彼女は答える。
「噂通り現れるなんて、噂以上にマメな悪魔だなー」
「っていうか、なんでこっちに向かって歩いてくるんだよ。帰るんじゃないの? 逆方向だよね?」
「道に迷った。意図的に」
「意図的に迷うな! 帰れ!」
「うわーん悪魔ちゃんがいじめる」
「むしろ親切心ゆえの台詞でしょうが」
「なんて親切な悪魔さん」
「さんをつけるな」
「でこすけ野郎」
「それはさんをつけろよ」
「お前にさんが救えるか!」
「黙れ小僧!」
 という意味のないやりとりを交わし、今に至る。

 花のついた枝先に、明るい月がお団子みたいに突き刺さっている。まん丸でおいしそうだ。
「満月って悪魔も外出するの?」
「悪魔だって月夜に花見くらいするよ」
「日本製の悪魔?」
「デビルメイドインジャパン。品質がよさそう」
「でも広告が下手だから知名度は低そう」
「それ80年代の工業系悪魔でしょ。平成生まれ情報系悪魔はSNSで公式アカウントも持ってるよ」
「インスタ映えするの?」
「するする。バーチャルのじゃロリ狐娘ユーチューバー悪魔だっている」
「悪魔ならバーチャルじゃなくてもいいんじゃ」
「最近はバーチャル悪魔に業を煮やした工業系悪魔がメカ悪魔を製造して物理的に対抗しようとしているらしい」
「メカにしなくてもいいんじゃ」
「私はそれを阻止するために夜な夜な街を徘徊してるってわけ」
「ゾンビみたいな言いかた」
「パトロールしてるの。デビルパトロール」
「語感が弱そう……メカ悪魔に立ち向かうの?」
「そうね」
「巨大化して?」
「ん……巨大化して」
「悪魔対メカ悪魔」
「怪獣か」
「悪魔がビームでメカ悪魔にとどめを刺す」
「食らえ、悪魔ビーム!」
「悪魔なのにビームってどうなの」
「そっちが振ったくせに……」
 親切な悪魔さんが家まで送ってくれると言うので、並んで歩く。しばらく行くと、お花見スポットとしてあるていど名の知れた公園が見えてきた。公園では、たくさんの人びとが夜桜を眺めながらご飯を食べたりお酒を飲んだりしていた。屋台もいくつか出ている。制止する悪魔をよそに屋台目がけて突っ走る。
「トテポドイラフとー、トルフクンラフだってー」
「流暢に言うな」
「あっ、見て! ナナバコョチまであるよ!」
「発音できない表記を使うな」
 メタなツッコミを入れてくる悪魔をよそに、ナナバコョチを買ってかぶりつく。うまい。悪魔にも半分あげる。うまい、と無表情で言う。
「そういえばさ」食べ終えて、串をくわえたままで訊ねる。「悪魔の噂って本当なの?」
「会えたでしょ」
「その続き。お願いを聞いてくれるっていう」
 悪魔はにっこりと微笑んだまま黙っている。夜風になびく艶やかな長い髪。揺れる制服のスカート。桜が舞い散って、まわりの花見客がわあと感嘆の声を上げた。
 少し見とれてしまったことを隠して、言葉を繋ぐ。
「たしか何かと引き換えなんだっけ」
「何かって何?」
「うーん……背骨のでこぼこした部分とか?」
「なぜ背骨。願いが叶ったらどうなるんだ背骨は」
「つるっとした筒になる」
「なんか困りそうだなそれ……具体的に何が困るかはわからないけど」
「一抹の不安を感じるね……背骨のでこぼこは引き換えにできないな」
「そもそもいらないし」
「背骨のでこぼこ大事だよ、たぶん」
「大事かもしれないけど」

「あ、私の家、ここだ」
 話しながら歩いていたらあっという間に着いてしまった。門の前で、ご親切にどうもありがとうございました、とお礼を言うと、どういたしまして、と急によそよそしい感じになる。
「それじゃ」
 ドアの前で振り返る。悪魔は門の前に立っていて、背後の塀に影が斜めに伸びている。影の頭には小さな角、肩のあたりには翼、お尻からは先っぽがハートマークの尻尾が生えていた。さっきまでと同じ無表情だけど、うつむき気味でどこか寂しそうにも見える。
「そういえば今日、両親いないんだ」と私は視線を泳がせながら言う。「……よかったら、寄ってく?」
 悪魔が顔を上げて、黒くて深い瞳でこちらを見つめる。
「……いいの?」
 沈黙。
「あっ、ごめんやっぱりだめだ、私の部屋汚いし」
「いやあからさまに嘘なのわかってるから。リビングの電気もついてるし、ご飯作ってる匂いもするし」
 冷静にツッコむ悪魔はいつもの顔に戻っていた。
「なんでそっちから振っておいて慌てるかな」
「いや予想外の直球で取り乱しましたすいません」
「まったく……頼みますよ」
「あい」
 ドアを開ける。
 じゃ、また明日、と手を振る。
 また明日、と悪魔が手を振り返す。
 ドアを閉める。

*

 翌日、私はふだん通り学校に行った。けれど、悪魔には会えなかった。翌々日も会えなかった。次の日も、また次の日も、悪魔には会えなかった。
 当たり前だ、最初からそんなクラスメイトはいなかったのだから。
 下校時刻になると、私は何度もあの遊びをやった。次の曲がり角を右、次の曲がり角を左。それでもあの桜の木のある十字路には二度とたどり着けなかった。
 毎年桜の季節になると、悪魔のことを思い出す。思い出すと少し、背骨の辺りがうずく。
 それから、背骨のでこぼこ、やっぱりあげておけばよかった、と思うのだ。

 

* こちらから

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