理論概要③ 経営学におけるキャリア理論(HRMでの位置づけ)

キャリア発達の理論は、産業・組織心理学においては人事心理学の中にあり、経営学では人的資源管理(HRM)システムに組み込まれています。

その深い関係性について見ていきたいと思います。

1. 産業・組織心理学と組織行動論の関係性

人事心理学とHRMは、その対象領域がほぼ同一ですが、同一学問ではありません。
前者が基礎科学であるのに対し、人的資源管理論は組織に資する管理制度構築のため人事心理学の知見を取り入れた応用科学という位置づけです。

経営学者テイラーの科学的管理法(1911)から、ホーソン実験(1924-1932)への変遷は理論概要①で触れた通りです。

そして1940年代にマズローによる人間の欲求理論が発表され、人間の最高次の欲求は「自己実現」であるという人間観が広まりました。これは経営管理の諸理論に影響を与え、労働者の一人ひとりは「自己実現人」であり、企業組織の資源と捉える「人的資源管理論」として発展していきます。

1900年代の前半に、心理学と経営学が相互に深く影響を与えながら発展していった様子がうかがえます。

心理学の知見が経営学を通して実践の現場に還元されている例として、わかりやすいのは、たとえば人事評価です。

採用時の選抜評価や入社後の人事考課については、人事心理学で発展していった適性検査が活用されています。
また人事評価において注意すべき認知バイアス(ハロー効果など)などの研究が知られており、企業の評価者研修では必須項目になっています。

2. 現代の経営学におけるキャリア理論

では「キャリア発達(経営学においてはキャリア開発) 」は、現代の経営学にどのような位置を占めているでしょうか。

早稲田大学ビジネススクール入山教授の『世界標準の経営教室』では、現代の主要な経営理論が取り上げられています。
膨大な検証の蓄積から、「ビジネスの真理に肉薄している可能性が高い」として生き残ってきた「標準理論」を選んでまとめられていますが、残念ながら、キャリアに関する理論については触れられていません。(*1)

ちなみに、この『世界標準の経営教室』は単なるまとめ解説本ではありません。800頁を超える大著で、およそ30の主要な理論を軸としながらも、丁寧にできるだけの多くの理論を考察を含めて紹介し、網羅性を意識して作られています。

スクリーンショット (12)

6部構成となっており、そのうち第2部と第3部が心理学領域と関連の深い経営理論です。
また、第5部では「組織行動・人事と経営理論」を取り上げるなど、関連領域と思われる部分に十分にページがさかれていますが、キャリア開発については見当たりませんでした。(*1)

いまや経営学においては、キャリア開発は主要テーマではなくなっているということでしょうか。

経営者や人事関係者が読むと思われる、人事・組織マネジメントの教科書的な書籍を見ると、大抵はキャリアについても触れられています。
内容としては、キャリアの理論とともに、自己申告制度、FA制度、社内公募制度などが「自律的なキャリア形成に資する」として紹介されています。
ただこれらの施策は、本人の意思と、会社の意思あるいは上司の希望とあわない場合など、制度を効果的に運用するには難点があります。

キャリア・ディベロップメント・プログラムの構築や、その一環としてのキャリア研修なども推奨されています。
キャリア研修は取り組みやすい施策と思われますが、その他の施策と連動させず単発で終わる内容だと、その効果は限定的なものに留まることが想像されます。

キャリア理論に直接的に立脚したものでは、シャインのキャリア・サバイバルもありますが、企業で積極的に活用されている話は聞きません。
その有効性について説得力のある実証研究の蓄積がまだ少ないのかもしれません。

インターネットで検索すると、キャリアについての重要性を説く記事はたくさん出ていますが、個人を対象にしたもの、あるいはキャリアコンサルタントの試験対策が多いですね。

あるいは、労働市場経済や社会的な課題解決の観点で書かれたものもありますが、企業組織に対してその有用性を感じさせる内容はなかなかありません。

・・・と、ここまでネガティブに書いてしまいましたが、入江教授は、「これからは人事がさらに面白くなる」と記述しています。

3.  キャリア理論と実践の未来(への期待)

入江教授の示唆するHRMの未来像は、非常に興味深い内容です。
詳細は読んでいただきたいのですが、私が特に興味を持った点について触れたいと思います。

まず、ビッグデータとAIの浸透による「経済学&社会学との重層化」です。
これまで企業の人事部門においては、人材データを収集しても活用しきれていないことが多かった。
これがICTの浸透によって変わっていくだろうことは各所で言われていますが、入山教授の視点は、さらに経営理論の拡張を見据えています。

現状、経営学のHRMの研究者と経済学の人事研究者(*2)には、アカデミックな交流が少ないそうです。
考えられる理由としては、人事分野は企業内データの収集が難しく、経営学と経済学では研究データの扱いやアプローチの方法が異なるということ。

これが今後変わっていくというのです。

「今後はICTにより人事の様々なデータが可視化される。結果、経済学者と心理学者が同時に使える「ナマの人事データ」がさらに充実してくるはずだ。それは、両者の垣根を超える契機になるだろう。」(入山章栄「世界標準の経営教室」より)

そして社会学にも同様のことが起こるだろうと。
キャリア理論の現状でいうと、やはり労働市場経済や社会学の観点での研究はされていますので、ベースの状況は近いのではないでしょうか。領域の拡張と融合が進めば、キャリアに関する理論の実証研究も進むかもしれません。

もう1点は、「ミクロ心理学理論の質的変化」です。

これもAIとの絡みですが、「AIにできないことで人間にできること」についての研究の重要性が高まるだろう、という予測です。
具体的には、「問題認識」「メタ認知」「定型的ではない意思決定」「感情表現」が例示されています。
これらはどれも、自律的なキャリア形成には重要な要素ではないでしょうか。

入山教授はこうした未来予想を5つあげ、

「従来はほぼミクロ心理学のみに基づいていた経営学のOB(組織行動)&HRM領域は、大転換を迎えると筆者は予想する」(入山章栄「世界標準の経営教室」より)

と言い切っています。これによって、キャリアについても新しい理論が生まれてくるかもしれない、と勝手に期待してワクワクしてます。

ただ、この「大転換」が起きる時に、現在の状況がより進んでいるとすると、私の期待する組織と個人の関係性における理論は期待できないでしょう。

労働市場の流動性が高まり、また企業の存続や雇用の不確実性が高まっていくことが予想されています。つまり、企業組織の箱としての機能が、あまり意味をなさなくなってくる可能性です。
バウンダリーレスキャリアの考え方がすでにありますが、この場合、個人のキャリアが非常に不安定になることが考えらえます。

不安定になるからこそ、キャリアを自律的に形成する必要性があるというのが理屈ではありますが、どれだけの人が、その不安定さに耐え、自律的なキャリア形成のための自己投資ができるでしょうか。

相当なセーフティネットやそのための教育が必要になってくるのではないかと思います。
そこまでの社会変革が来るまでは、やはり企業組織の存在と、働く人との関係性は重要ではないかと思うのです。

組織と個人の関係性を有効に保ちながら、
組織の中での個人の人間性を失わないようにしながら、
いかにキャリアを形成していくか。

しかも、企業コンサルではなく、キャリアコンサルタントだからこそ、できるもの。

そういう理論と実践の形を、誰か考えてくれませんかね。
我ながら、都合がよすぎる話であります。

それができるまでに自分がやるべきこと。

組織とキャリアに関する領域については、シャインやホールを中心に学び、企業事例を調べ、実践への活かし方を試行錯誤していくということが、現時点での結論です。

とはいえ、まだまだ学ぶべきことはたくさんありますので、結論というには早いかもしれません。

個別の理論の詳細に入る前に、次は「対個人のカウンセリング理論」について、概要をみていきたいと思います。


(*1)全部チェックしたわけではないのですが、目次と索引から、関連しそうなところについて目を通した範囲では、残念ながら見つけられませんでした。

(*2)これまでも、経済学の学者は独自に人事の研究を行い知見を蓄積してきたとのこと。具体的なところは触れられていませんが、労働経済学の分野になるのでしょうか。


参考文献

入山章栄(2019)「世界標準の経営理論」ダイヤモンド社
高橋浩ほか(2013)「社会人のための産業・組織心理学入門」産業能率大学出版部
若林満監修、松原敏浩ほか(2008)「経営組織心理学」ナカニシヤ出版


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