生きているうちに、考えの違う人、自分と真反対の人、受け入れられる自分に。 生きているうちに、それぞれの角度を全ての命が担っている事に気付けるように。 生きてるうちに、全ての命が作り出す、一つを、生きている事に気付けるように。 生きてるうちに、隣の人を愛せるように。 身体を失った時、残るのは生きてるうちに学んだ愛。 あなたが、わたしであること。 一つの命の幸せが、全ての命の幸せになる。 自分を幸せにしてあげられる事が、全ての幸せにつながる。 皆が、自分を愛し、幸
忘れたくない気付きだったのでnoteに綴っています。 子供たちが大きくなって来て、必要なのがお金である事が大半を占める様になって来た。 大学生と私立高校生をサポートする準備を全部やり切れていなかった自分の不甲斐なさと、また、やれる事は全てやりたい母親として願望から仕事だけに専念し過ぎる日々になっていた。 心の核なる部分は、子供たちを思ってのことなのに何故か辛く苦しい日が増えて来た。 お金の準備をして子供たちにやりたいことを存分にやらせてあげられたらと思うそこに求めるの
トロフィーの意味。 このトロフィーには、とても、大きな愛が詰まっている。 どんなあなたも受け入れるよ。 どんなあなたも、あなたのかけがえのない経験に胸を張ってあなたらしく生きて。 このトロフィーには、そんな意味が込められている。 始まる世界。 ここで出会えた作品は、世界のほんの一部かも知れないけど、ここでは知る事が出来ないたくさんの人の経験が世界中にある。 どんなあなたも受け入れるよ。 その始まりが、この、始まる世界。 そう思う。 心の何割か閉ざしていた。
この頃変な感覚が起きる。 暇だな。 なんだ、この暇だなは。 少しずつ、身体の緩みが取れて、現実に振り回されない状態を長く保てるようになって来たら、なんだか暇だな。 あの、激動の様に揺れ動く感情に、怒る、泣く、飛び上がるほど喜ぶ、楽しむ。 悲しかった思い出、辛かった思い出。 膝から崩れ落ちて泣いたあの日。 地を這う様に爪から血が出るんじゃないかって、もう死のうかなって、こんな無価値なクソみたいな自分なんか生きてる価値はないって、ふさぎ込んで、そんな自分に腹が立って、
自分を窮屈にして来たもの。 握ってたら苦しいと思えるもの。 手放す。手を緩めて手放す。 その時に、必ず大切な事が一つある。 それは、手放すものへ伝える ありがとう。 この、握りしめて来たものは、その時のわたしを必死で守り抜いてくれた者たちだから。 その時のわたしを、守り抜いてくれてありがとう。 だから、わたしは手放す時ものすごく泣ける。 何故、手放す時泣けるのか、これを書くまで気付けなかった。 大好きだよ、居てくれてありがとう。 その者たちにも自由をあ
わたしが好きな人。 一緒にいたい人。 どんなその人が現れても受け入れる覚悟の持てる相手。 それを教えてくれたのは、家族。 夫、子供たち。 どんな姿が現れようとも全て受け入れる。 何故この覚悟が持てるのか。 人は主観も感情も五感も何をどう頑張っても、共有出来ないものの中で生きている。 死んでその人の身体に入れば初めてそれを体感出来るのかもしれないが、共有出来ないからこそ学べるのが愛とか赦しと言われるものだ。 愛とか、赦しと言われるものは、あなたの全てを丸ごと受
とても講評するには、難しい記事だったと思います。 心をわたしのために使ってくださった事、心から感謝しています。 そして、わたしがわたしとして生きていくために、手伝ってくださった方々へ、受け入れて読んでくださった方々へ、心からありがとうございます🥲🙏 拒絶される事も、受け入れて来たつもりでした。 だけど、拒絶される事はやはり苦しいものです。 人生において、間違いを改善する事の連続は誰にでもあります。 未熟である事、誰しも失敗したり間違える。 気付きを得たら、もう成功で
今を見るとは。 真実を観察する事。 今、ここにある、真実を見つめる事。 誰かの感情や意見、自分の過去から推測した今ではなく、起きている事の真実。 今、抱いている、起きている心の感情を観察する事。 違和感や嫌な感覚。 幸せとは言えない感情が、湧き上がっている時ほどチャンスはない。 まさに、そこには握りしめ続けてきた何かがある。 それがないと怖かった自分。 手に力いっぱい握りしめていたその手を緩めたら、手のひらからそれは、自然と逃げていく。 それが見つかるチャン
空を動かせるのは真我。 今ここにいるのは真我。 自我、思考、エゴは、時間の中の囚人。
わたしが見ている世界。 夫が見えてる世界。 息子が見えてる世界。 娘が見えてる世界。 ペットのわんこが見えてる世界。 飼ってる錦鯉ちゃんが見えてる世界。 飼ってるエンドリーケリーちゃんが見えてる世界。 家中に置きまくってる可愛い植物ちゃんが見えてる世界。 お庭の畑が見てる世界。 お庭のお花が見てる世界。 お花に飛んでくるハチが見てる世界。 お庭にいる蟻さんが見てる世界。 全部、繋ぎ合わせたら現れる我が家😊 家族。我が家。 わたし一人の角度でしか見ら
お金を払う時、必ずありがとうって言う。 人が多いと心の中で、少ないとそっと小さい声で。 何にありがとうを言っているかというと、先ずは夫に。 わたしたちのために。 この言葉は、使い方によっては心が狭くなるが、わたしは本当に思っていて、それがわたしを小さくはさせない。 誰かに喜んで欲しい。 そう、思ってお仕事をしてくれる夫に、お客様の喜ぶことを想像しながら、取り組んでいる夫に、ありがとうという感謝の気持ちで頂いたお金が、わたしたちのためであるというのは、ありがとうしかない。
悟りは、鎖取り。 わたしには、鎖が着いていた。 娘としてのわたし。 妹としてのわたし。 肩書きや、役職、全ての立場。 立場に縛り付けられた時、視野は異常に狭くなる。 自由に生きているつもりでも、何かをきっかけに、ふと、とてつもないやるせない気持ちに襲われる時は人間誰でもある。 視点の場所を変えてみたり、心を整えてみたり。 それでも拭い去れない感情が、心を押し寄せてくる時もある。 どうしても心のバランスを、取りにくく感じる時もある。 過去のあらゆる良くない感情が
人間は多かれ少なかれ、この小さな身体を守り抜く為には、皆、赦されながら生きている事を知る。 その赦しの心を愛と呼ぶのではないかと思う。 愛に包まれて生きている。 一生を命を守りながら終えて行く中に、赦しという愛を受ける。 それを知る事が、いずれ全体を守れる事に繋がる。
だいたいは、個の視点で生きている。 とても楽しいし、せっかく時間軸を生きているのに、全体を捉えるために与えられたせっかくの始まりと終わりのある時間なのに、今を生きなければ勿体ないからだ。 今とは、全体の一部分をまるでCTで輪切りにしたような断面でそこを観察しないなんて、感じないなんて、こんな勿体ない事はないとも思えている。 ただ、それを楽しんでいる最中、他者の時間軸との交差点で真反対の意見を持っている人にも出会う。 信じられない。何故そんな選択をするんだと。 個の自分は
心の奥に孤独を持ってるのは、悪い事ではない。 心がまっさらで、ただキレイなものだけを抱えて生きている人間なんて一人もいない。 その扱い方を学んで、出来る限り自分も人も幸せである方法を探せるか、自分も人も悲しみの中にいる方法を取るかの違いで、持ってるものの分量は同じ。 だから、心の中にキレイなものだけを持っている人を探したってどこにもいない。 それを知っていると、孤独感もある。 孤独感は、執着を減らしてくれたりもする。 ただ、起きている事を受け取る。 ただそれを、
心の奥に押し込めていた事を、noteに書かせてもらって知った事。 受け入れてくれる優しい人がいる。 わたしは、はみ出しものじゃない。 それに、同じ経験をした人も明るく楽しく生きていらっしゃる人もいてくれる。 どんな経験も、恥なくていいんだ。 どんな人も、例えその時、わたしに苦しい感情を教えてくれた人でも、その時その人は辛かったんだ。 わたしみたいに言えないものを抱えた歪みを、握りしめていたんだ。 受け入れてくれる方たちのお陰で、そう思わせてもらえた感謝の意を込め