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愛加さんが講評してくださいました🥲ありがとう🥲🙏💕

とても講評するには、難しい記事だったと思います。
心をわたしのために使ってくださった事、心から感謝しています。


そして、わたしがわたしとして生きていくために、手伝ってくださった方々へ、受け入れて読んでくださった方々へ、心からありがとうございます🥲🙏


拒絶される事も、受け入れて来たつもりでした。

だけど、拒絶される事はやはり苦しいものです。


人生において、間違いを改善する事の連続は誰にでもあります。
未熟である事、誰しも失敗したり間違える。


気付きを得たら、もう成功です。


躓いた時、大丈夫。
未来はあるよ。

そう、言える世界でありますように🙏


愛加さんの、悲しみの涙より、人生の美しさ、人の愛おしさ、身体に流れる愛を源に、泣きながら前に進むあの時のわたしに寄り添い、愛を加えてくださった事に、読みながら涙しました。


心の中どこかで孤独の中にいたあの時のわたしは、もう孤独ではありません。


ありがとうございました🙏


<講評(愛加ちゃん)>



一読して、涙が止まりませんでした。そして、わたしが批評をすると決まった時、この素敵な作品にかかわれる喜びと同時に、どうしようと迷いも生じました。


よし、書くぞのトップ画像。封じ込めていた過去と向き合うのは、色んな意味で力がいる。蓋をして来たものを直視するのも、直視した混沌とした思いを文字に起こすのも、力がいる。


そして、想像だけれど、きっとこの作品の根底には、止まった時間軸を動かしたい思いが流れている。


そんな力も思いもこもった作品を前に、簡単に言葉を寄せることはできない、どんな言葉も及ばない。


でも、涙が止まらなくなった理由を、わたしなりに書くことはできるかもしれない。そう思って、書いています。


まず第一に、この涙は悲しい涙ではない。
backseat playerさんが、まだ18歳の頃直面した出来事は、決して楽しいものではないのに。
溢れた涙は、どこか爽やかさと温かさを感じさせる。


その昔、大学生の頃属していたオーケストラのサークル(フルートを吹いていました)で演奏した、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第1楽章を思い出しました。


とっても厳しい曲なのです。試練が次々と舞い込んで来るような。
でも、その中にふっと現れる第2主題が、とってもきれいで。
なんか泣けてくる、あの涙と似ている、と感じました。


書かれている内容と、読んで感じるものが違う。この、不思議な感覚の正体は何だろう。

誤解を恐れずに言えば、それはきっと、backseat playerさんが生きることを諦めなかった、その思いの強さにあるのではないかと思うのです。


追い込まれた状況の中、ただ必死で一生懸命で、何も考えられなかったかもしれないけれど。
でも、諦めることだってできるのに、そうはしなかった。


いや、できなかったのかもしれないな、とも思います。
なぜなら、backseat playerさんは、知っていたから。

あなたがいることは迷惑じゃないと、守ってくれた、職場の事務長の温かさ。

事情を知っているけど黙ってくれていた学校の先生や、洗濯物が干されているか、そっと確認してくれていた、お父様の友人の存在。

どん底と思える状況でも、一人じゃないことを、知っていたから。

そして何より。
お父様の愛情を肌で感じていたから。
諦める選択肢は、なかったんだろうな。


わたしは、父が好きだった。

どうしようもなく、人の事だけに専念する、子供の日常や学校の成績、そんなものに興味を示さない、そんな父が好きだった。

 従業員の方たちのお陰でわたしは、生かされているんだ。

父と従業員の方達が、日々働いてくれているお陰でわたしは生きていられるんだと、そう思っていた。


その思いが、backseat playerさんをして嘆願書集めに駆けずり回らしめた。

嫌な言い方をするけれど。
お父様が自分たちを不幸にしたと、嘆くことだって。
お父様を追い詰めた存在を恨むことだって。
できたはずなんだ。

そんな揺れる思いも、あったかもしれないけれど、でもbackseat playerさんを突き動かしたのは、肌で感じていた愛。

だから、一読したわたしは、厳しい出来事なのに、どこか爽やかで温かな涙を流したのでしょう。

そして、今。
当時を振り返って、backseat playerさんはこう言われます。


わたしも、あまり口にせずに来たが、あの間の出来事は、人間の怖さと優しさと温かさと冷たさを知った。
(中略)
あの当時を振り返ると人が愛おしくてたまらない。



人という存在に、愛情を持っているbackseat playerさんのまなざし。かつてそうだったように、今もまた、職場で看取ったご老人や、家族と疎遠になっていたお祖父様の思いを肌で感じ取って前に進む。


やっぱり、backseat playerさんの生き様には、根底に愛が流れていることを感じずにいられない。


その思いに触れて、再び脳裏をかすめたのは、悲愴第1楽章の第2主題。


あれは、サークルのトレーナーだったか、それとも指揮者だったか。
第1楽章の魅力を、「『ああ、人生って美しいな』と思う」と言われていた。


大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、そこは、チャイコフスキーマジック。
長調なのにどこか切なくて、でも何だか前向きになれる第2主題を演奏していると、そんな気持ちになってくるから不思議です。


backseat playerさんの身に大きな出来事が起きたのと同じ、18、19歳の頃。
バイオリンの奏でる第2主題にフルートの音を重ねながら、そんなことを考えていたことを、思い出しました。


厳しい現実の中に、一筋の光が差し込むような、チャイコフスキーマジックを彷彿とする、backseat playerさんの思い。大切なものをTHE NEW COOL NOTER賞に分けていただきました。ご応募、ありがとうございました。



参加させていただけて、人生がより濃厚になりました。
わたしの人生は、全ての方のお陰様で、とてもとても幸せです😊🙏



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