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意を決して書く

今も深く心にある。あの時の辛さ。

これを、意を決して書く事で、波瀾万丈ドンと来い!


そんな人生の全てを、わたしの今までの人生の中の1ミリにも恥じる事なく生きる為に書く。

18歳のまだ子供だったわたし。

看護学校に通いながら、介護職で働いていた。

夜勤明けのある日。

家に帰ると父は、いなかった。

刑事の方に連れて行かれて。
父はいなかった。


18歳のわたしには、意味が分からなかった。


父は、娘が帰って来るまで待ってくれ!
と、何度も言った様だが、帰ったそこに父は居なかった。


当時、ニュースでも流れた。

次の日、職場へ行き、事務長さんへ話し、わたしがここに居る事は迷惑になると思うので、辞めます。と。
伝えた。



返事は、あなたの直接の事ではない。
あなたが、いる事は迷惑ではない。辞めなくていい。
だった。

わたしは、この日を忘れない。

こんな大人がいる、この世界はわたしには優しく思えた。


刑事さんにも会って話す機会があったが、子供のわたしにも何か怖さを感じる会話の中に、言葉を放つ恐ろしさを感じた。


学校の先生は、知っていた事は卒業間近で知ったが、在学中知らないふりをしてくれていた。


わたしは、先生にも助けられていた。



わたしは、父が好きだった。

どうしようもなく、人の事だけに専念する、子供の日常や学校の成績、そんなものに興味を示さない、そんな父が好きだった。


従業員の方たちのお陰でわたしは、生かされているんだ。

父と従業員の方達が、日々働いてくれているお陰でわたしは生きていられるんだと、そう思っていた。


裁判官の方へ手紙を書いた。

わたしには、まだ、父が必要です。
会社の事も、従業員の方も、母の事も、家を売らなければいけない事も、祖母の事も、どうしていいか分からなかった。


電話口で、母に、浴びせる数々の言葉が漏れて聞こえる。
死ね!
母は、電話口でそう言われていた。



母は、わたしの前で泣いた。
一緒に死のう。

わたしは、母に死にたいなら、一人で死んで。

わたしは、生きる!
何故、そんな事を言う!
と泣いた。


姉は、結婚していたが、母を気にかけほぼ実家に居たので、わたしは、嘆願書を集めに走り回った。


まだ、わたしには、父が必要だった。


たくさんの人との関わりがある父は、幸にも協力してくれる人がたくさん居た。


気にかけて、家に来てくれる父の友達。
後々知ったが、洗濯物が干してあるか、遠くから確認してくれていた父の友達。


何故こんなものを集めていると、嘆願書を集めながら怒られる事もあったが、母と祖母と会社と、わたし自身の生きるために集めて回った。


面会も出来ず、ただ、毎晩父の居るであろう高い壁の近くに車を止めて泣いた。


毎日、毎日、訪れても高い壁の向こうへは入れなかった。


当時は、あまりにも必死過ぎて、自分の心の状態までは読み取ってあげられなかった。


今、こうして書いていて涙が出るのであれば、今日までわたしの中では乗り越え終わった事として、深くに押し込め処理して来たのだろう。



それほど、父を好きだったのだと思う。

不器用で、繊細で、健気で、自己犠牲ばかりの、父を好きだった。

恨みたくもなかった、むしろ、支えたかった。


助けたかった。


なんとかして、助けたかった。

どうせ、誰かに利用されたんだ!
なんで!そんなに馬鹿なんだ!


と、高い壁の横で泣いた。


嘆願書と裁判官の方へのお手紙は、心を汲んでもらえた様で、裁判後、父は家族のところへ戻って来た。



その間、半年かそのくらいだったと思う。


当時のわたしには、ただ通り過ぎた波瀾だった。


親戚に、お前はろくな大人にならないと言われた事もあったが、やけに、そうかもしれないなと思う自分さえいて、腹も立たなかった。


この事は、わたしの子どもたちは知らない。


わたしも、あまり口にせずに来たが、あの間の出来事は、人間の怖さと優しさと温かさと冷たさを知った。


わたしもどちらも持っている事を知った。


何故、わたしの人生にはあのような経験があったのか。


当時を思っても、ハッキリとは分からないが、あの当時を振り返ると人が愛おしくてたまらない。


助けてくれる人も、冷たく罵った人も、人間らしさをむき出しにした、人間というものが持つ優しさも、温かさも、健気さも、弱さも、冷たさも、醜さも、汚さも、ズルさも、吹き出したその姿を見た。


わたし自身も、その中の一人としてそこに居た。



その最中、病院勤めの中、わたしを救ってくれていたのは、入院中のご老人だった。

その方を、わたしは看取った。


この子は、優しい。

そのおじいちゃんは、先輩に怒られるわたしを助けてくれた。

亡くなられた時、仕事である事を忘れて泣いた。

そして、また、泣いてはいけないと、怒られた。


あの時の、あの方はきっと今もわたしを見守ってくれている。
それは、伝わる。

死とは、やはり、身体を失っただけだと思う。



父が16歳の時出て行った祖父とは、わたしだけ何故かこっそりと電話をしたり、手紙を書いたりしていたが、父が、高い塀の中にいる、その間に亡くなった。


その間の事情は、知らなかったが、祖父との電話で少し泣いたわたしを、祖父は気にかけながら息を引き取ってしまったと思う。



それもまた、側に祖父が来て、頑張れ、頑張れ、お前は大丈夫。
寂しい思いをさせてごめん、いつも応援してるという声が聞こえて来る。



迷惑をかけた人たちも、助けてくれた人たちもたくさんいる。


迷惑かけたのだから、死ねと言われても、罵られても、笑って生きるなと、言われても仕方ないと思っていた。


助けてくれた方たちの存在は、感謝のしようもないほどに感謝している。


どう伝えたら良いか分からないほど、助けてもらったと思っている。



祖父が、子供を置いて出て行った。
わたしの名前は祖父が付けた。


そんな孫との会話の中で、何度も後悔したと思う。


父は、塀の中で何を思っていたのだろう。



母も、大変だったと思うが、わたしは母には精神的には頼れなかった。



けれど、やはり、わたしの心の奥底では、家族、皆を愛している。


何もかも実は全て許せている。


今のわたしは、夫と築いた家族を守り抜く事。


それが何よりも大切な事だ。


それぞれの代で起きた様々な事を通して、先祖代々総出でわたしを、応援してくれている。


良く気付いてくれた。


幸せになれる!幸せであれ!

と、たくさんの応援が聞こえる。


間違いも、失敗もあったかもしれないが、わたしはわたしの人生を生きる。


代々の苦しみを引っくるめて、わたしが幸せである意味。


ご先祖さまの全ての心が報われて、救われる様に、わたしは絶対に幸せである義務がある。


その応援が、いつも聞こえる。


人生は、自分のものだが、自分が幸せである事はたくさんの人の喜びになる。


子ども達が幸せであることが何よりも嬉しいように。
何よりも幸せだと感じられる様に。



一人一人が、幸せである事は、たくさんの人を幸せにしている事になる。



わたしなんか、わたしなんて、そんな人は一人もいない。

あなたが幸せである事は、誰かを幸せにする。


わたしが幸せであることの意味を、幸せでなければならない意味を、たくさん見せられた経験だったのかもしれない。



わたしが幸せである事がどうか、恩返しとなります様に🙏





※自分が、自分らしく嘘偽りなく生きる為に書いています。

また、家族の誰かが後ろ指を刺される事になった時、それでも、あなたは幸せにならなければならないと思って欲しいからです。

どなたかに、不快な思いをさせてしまったらすみません。





















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