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レースを競う息子と、一本を奪い合う息子が決意した、それぞれの意味

はじめに、我が家は、一生懸命に打ち込めるスポーツがあれば、多少勉強が出来なくても大丈夫。
これが私たち夫婦の考えで、今も変わりない。

息子たちには小さい頃から、色々なスポーツをさせてきた。

バランス感覚もよく、何より恐怖心というのがない長男には、スピード&テクニックを競うレース競技が、とてもあっていたようで、

遊びから→競技者に変わり、3年ほどで、表彰台に上がることがふえ、
ジュニアで、たくさん成績を残し、
2020年、夢だったプロを目指す決意をし、
スポンサー契約もできて、本当に、これからが本番だった。
今年、エントリーしていた大会が初戦から、次々と中止になる中、それでもモチベーションを切らさず、毎日毎日
「こんな時だからこそ、コソ練コソ練」
と、ブレることなく、一年後、三年後の目標に向け、一生懸命トレーニングをし頑張って
毎晩、汗をどっぷり流しながら、追い込んでいる姿は、まさにアスリートだった

そして次男。
反射神経は、抜群に良く、リズム感もあり、何より洞察力に優れていて、絶対にあってると、スポーツ少年団から、ずっーとやってきた競技
それなりに賞状をもらうこともあったが、もっと気持ちを入れて稽古にはげめば、絶対に強くなるよ!と、先生をはじめ周りの誰もがみ~んな思ってたけど、
本人は、その競技が大嫌いだった。
本当は、球技が好きなことは私も知っていたし、
中学校での部活をきっかけに辞めると、決めていた事も知っていた。

けれど周りの説得や、雰囲気を考え、
悩んで悩んで、その競技の部活動に決めた次男に
「自分が3年間続けられると思う部活にすればいい」
と、私も言ったけど、入部し、
とりあえずやっている。という感じの中、
やはり先輩後輩の関係、顧問の先生との関係で、
一年目に、ブレまくり
「もう辞めたいなら、辞めればいい」
「やるのなら中途半端でなく覚悟を決めろ」
と、私もあきれていた。

そんな2人の息子たちだが
いつもと違う、この時代の流れの中で決意した。

長男
競技を辞めることを選択……………

そこには2つの理由があった。
①2020年の想像していなかった社会状況の中
、先の見えない不安で、プロになる!という意欲がなくなってしまったこと
②高校生になり勉強と、競技の両立が難しくなったこと

中学時代、不登校ぎみだった長男が、高校で、授業についていくには予習復習を人の倍以上やらなくてはならない。

不登校だったことを後悔し、必死に取り戻そうと、勉強し、そしてトレーニング
帯状疱疹が出ても、血便が出ても、
絶対に学校を休みたくないと、頑張っていた息子がついに決断した。

「こんなにしてもらって、申し訳ないけど、選手を辞めて、勉強をします。俺には両立は無理です」

正直私は、いつか言うだろうと、思っていた。
そして息子の決断を誰よりも、残念に思ったのは、遠征から、機材のメンテ、プロテインの勉強など、そばでサポートしてきた父ちゃんだろう。

いっけん穏やかにもみえる我が家。ただ、トレーニングの音もしない、静まりかえった家で次男が
「この家は、(長男)OOちゃんがが辞めたら、誰も話ししないんだね~」
「俺もいますょ~」
「俺が頑張るからさ、元気だしなよ~」
って

その時、今までどれだけ長男長男長男で、次男を、ほったらかしにしてきてしまったのか
そして次男にとっての我が家に、居場所はあったのか考えてしまった。

そして、そこからの次男は、本当に今までとは違い、あれほど嫌々行っていた週2回の稽古を、プラス1日増やし、部活も意欲的にこなし、延長部活になっても、多少愚痴は言うが、休むことなく、まさに、やる気スイッチが入ったようだった。
そして決断した。

「俺、高校で、この競技を続けるかわからないけど中学の間は、一生懸命やるわ」



今年の新チームは、バラバラ。
ぜんぜんダメ。
と、言われてきたが、なんと地区大会で、優勝し、新人戦で、シードをとり、
県大会では、ベスト4の景色を皆で見よう!!を目標に挑んだ団体戦で、

ついに息子達の代で初優勝したのだ!!

快挙だった。
無観客試合で、写真もビデオもない。
けれど、息子たちが、どれだけ努力し優勝を手に入れたのか知っていたから、
外で待つ保護者に、連絡がきたとき、
私も涙がとまらなかったし
他の親達も、皆泣いていた。

今後は追われる立場で、もっともっと練習量も増えていくけれど、ブレることなくがんばってほしい。

最後に、
それぞれの決断をした息子達へ

その気持ちを大事に、2人とも
サポートできるよう
私も頑張ります。

……だけど本当に競技やめていいのか?長男
……………もったいない……←これも本音です。

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