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大嫌いだったあの場所に最後に残してきたもの

ついに子供達の義務教育が終わった。

ずっとこの日を待っていた。
早く終われ…と願っていた。

この学校さえなければ…皆んなが…
穏やかに過ごせるのに………

ここはあの時
私たち家族の心をバラバラにした場所


ここは
息子を差別する理由を教えてほしい!息子の私物が捨てられていましたイジメをやめさせてください!
特性があるんです!怠けやサボっている訳ではありません。
そう何度も足を運んだ場所。
そして何度目だったか………

特別支援学級ではなく
貴方達が通常学級を選んだのだから
皆と同じようにしてもらいます。
そういった担任の言葉と、

『もう勘弁してもらえませんか?』

と私に言った、校長先生の言葉に

ふざけんじゃない
勘弁してほしいのは………
こっちだよ………こっちだよ…

ここは
悔しくて悔しくて
たくさん泣いた場所



あぁこの体育館も…
ASDの特別のせいなのか大勢の前や
大きな声を出すのが苦手だと申し送りもしてあったのに
朝礼で全校生徒の前で
何度も何度も『返事が小さい!!』とやり直しさせられ
あれ以来二度と表彰を受ける事は無くなったけど………
あれは凄く頑張って勝ち取ったものだったのに…悔しかっただろうな…

次男の卒業式なのに…
私の心は2年前で止まったまま…

忘れたくてもここに来ると…
あの先生たちの顔を見ると…
まだ怒りが湧きあがる

受付に
長男をことごとく差別し"キチガイ"と言い放った先生がいた。
"頭がおかしいからMRIを撮った方がいい“と皆んなの前で言われた息子は

『俺は生きる価値のない人間だ』と

ずっーーと苦しんでいたんだと
言ってやりたかった


…ダメだ今日は次男の卒業式だ…

そして
長男が精神を病み、私が心の病気になった暗い家と、部活でのゴタゴタが重なり
次男の心が壊れてしまった…あの時

顧問であり担任だった先生に相談に行った私に
『弟もそんな感じか?兄弟だからな』
『で、俺にどうしてもらいわけ?』
と鼻で笑った先生の姿もあった。

あの時の悔しさ
言わなければよかったという後悔
私はただあの時………先生に
次男を助けてほしかっただけだ。

お前の兄ちゃんは学校休んで家で何をしているんだ?と
先生や先輩に聞かれる次男があの時

『生きています』と、

どんな気持ちで言ったのか…
先生に分かりますか?………


こうして座っている間に次から次へと
抑えても
ぐるぐると感情が湧き上がる

そして…式が始まり
あの先生が卒業生の先頭で入場してきた。
次男の担任でもあり
長男の担任だった先生

お前が皆んなのようになりたいと思う事自体が
"お門違いなんだ "と
何度も長男と…
そして"私を "見下した先生だ………
………………

あぁそういえばさっき駐車場で、この先生が父親になるんだよーーと誰か話していたなぁ〜

きっとこの先生も親になったら少しは私の気持ちもわかるのかなぁ〜
なんて考えてたら

あれ………?
先生少し…先生っぽくなった?………

それは自分でも驚くくらい
意外な感情と 自然な感覚

そこに
憎しみや怒りがなかったのだ


それは
その後ろを
しっかり前を向き胸を張って入場してくる次男の姿が私にそれを教えてくれたようだった

………もういいかな………

もうやめよう
すべて終わったこと


私はずっと
【学校】と戦ってきたと思っていた
【先生】と戦ってきたと思っていた

でもそれは違ったのかもしれない

私がずっと
戦ってきたのは【息子】とだった
戦ってきたのは【自分】とだった

それなら

辛かったことも
悲しかったことも
許せなかったことも
人を恨んだり憎んだりしたことも

ぜーーーんぶ 両手でかき集め

ムシャムシャと 噛んで噛んで
噛み潰して
ゴクっと飲み込み終わりにしよう

きっとすべてのことが経験として
私の…
血となり 肉となり
それでも忘れられない程の
心の重みは
汗や 老廃物 汚物として
吐き出されていくだろう

人を恨んだり憎んだり
過去にこだわり続けることは
ものすごい邪のエネルギーを使う

だからといって今
すべてを許すほど私は人間ができていないし、感謝の気持ちに変えるにも

もう少し時間が必要だろう

でも
人生100年時代ならば
半分に手が届くまえに心の整理をして
残りの人生を

自分のために 楽しむほうがいい
自分のためは 皆んなの笑顔に繋がる
そうnoteで学んだし
息子は、もうあの時の息子ではない。

だから
ここ【あの場所】に最後は

ありがとうございました


の言葉を残して終わろう
きっとそれでいい!

よーーし!終わったーーー

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