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映画『弟は僕のヒーロー』

なかなか更新できず久しぶりの投稿です。

先日、映画『弟は僕のヒーロー』を観ました。

あらすじなどはこちらから↓
映画『弟は僕のヒーロー』公式サイト

もし興味のある方は全国各地の映画館で今も上映されているのでぜひ観てみてください。

少しネタバレも含みながら、私が映画を観て感じたことを自身の経験を交えながら少し綴ろうと思います。



※ここから先ネタバレを含みます





作中でジャックは思春期を迎えて弟の存在を隠すようになり嘘を積み重ねるのですが、その嘘は自分を守るためのものだと思いました。最終的には取り返しのつかないことになってしまいます。家族、友達や好きな人を裏切るような行為であることは否めません。
ただ、家族と関わっているときも友達や好きな人と関わっているときも、自分という軸は揺さぶられながらも持っています。ジャックのように思春期でさらに強く揺さぶられる時期もあります。
ジャックは好きな人の前では弟は死んだとまで言いましたが、家に帰ると気怠さを出しながらもジョーと関わっています。ジャックは無視しないんです。ジャックの幼さゆえの二面性が描写されている象徴的なシーンだと思いました。

皆さんは家にいるときの自分と友達や好きな人と過ごしているときの自分にどれくらいの差がありますか?全く変わらない方もいれば、日々猫を被って過ごしている方もいるのではないでしょうか?
それとほぼ同じ感覚です。なんらきょうだいが特別な感覚を持っているわけではありません。
それでも”表裏がある”という表現を使っても良いのですが、個人的にはどちらの自分も本当の自分だという思いも含まれていそうな気がしています。


私は弟を隠すつもりはないですが、弟のことを説明するのが面倒になって健常者のように見立てて話した経験は何度もあります。

例えば兄弟姉妹のことが話題となり、兄弟姉妹がいるとわかると皆さんは次に何を知りたくなりますか?大抵は性別や年齢を聞かれます。そうなるとどうして2歳差なのに同じ学校に通ってないの?と相手は「?」になるのです。そこから「実は障害があって特別支援学校にいて…」というクッションを挟んで話す必要があるのですが、途中から億劫になってきたんです。
偽っているような気がして良い気はしません。嘘を積み重ねるとエネルギーを使います。辛いことでもあります。でも無意識のうちに自分を守ってたのかも…とジャックの姿を見て思いました。

私の場合、大人になるにつれて相手が変に気を使うんじゃないか…と感じるようになり、ごく一部の人にしか弟の障害は伝えなくなりました。
表面上の関係の人に対しては基本的には偽ります。が、稀に”この人には弟の障害伝えたっけ?”となります。(きょうだいあるある?)

ここまでくると”偽る”から”装う”という感覚が最も近いです。少し前の話に戻りますが、この”装う”私も私なんです。”装う”が常態化した現在の私の場合、本当の自分を見失っている気がしていますが、どの私も受け止めてもらえると嬉しい気持ちになります。ちょっと複雑な気持ちを持ちながらも家族関係、交友関係を友好に保ちたい隠れた願いなのかもしれません。

それからもうひとつ、作中では弟ジョーが生まれたとき、両親はジョーのことを「特別」「ヒーロー」という表現でジャックたちに伝えています。幼いジャックは言葉そのまま、スーパーヒーローの弟が生まれたのだと捉えましたが、実際には違いました。年齢を重ねるごとに周りがよく見えるようになり、少しずつ違和感が出てきたのでしょうか?弟に障害があることを公表する=恥ずかしいことだと捉えるようになったのでしょうか?何か大きなきっかけとなる出来事があったのかもしれません。

では両親はどの時点でダウン症のことをジャックたちに伝えるべきだったのでしょうか?最初からダウン症だと伝えていればジャックは変わっていたのでしょうか?
私も正直わかりません。ジャックには姉が2人いるわけですからそれぞれにタイミングというものがあると思います。皆さんはどう思いますか?

よければ『弟は僕のヒーロー』を観た感想、おすすめの映画などコメントしてください。


osora



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