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モリタ(ver.24)マニュアル|仕事、ひいては生き方の話①渋谷時代
完成までに「ver.24」じゃなくなるんじゃないか、というくらい筆が遅くなってしまっていますね。
このシリーズは自己満なのでよいですが、そもそもパソコンの前に向かう時間がほぼ取れておらず、進むはずだったものも進んでいないのが不安で仕方ないです。そんな最近のモリタです。
今回からは、仕事・キャリアについて書いています。
実は少し前に書き進めていた分があったので、そこに追記・推敲した形で投稿することにしました。
書き進めていた時期は4月とかです。仕事辞めておやすみしていた時期~バイト求職時期だったので、今(6月)とだいぶ熱量が違います(笑)
もしかすると2つの熱量が混在するカオス記事になっているかもしれませんが「こんな生き方もあるんだな~」と思ってもらえるような内容だと思います。
躁鬱の私が自分らしさを見つける/取り戻すまでの過程としてある程度まとめたほうが良いんじゃないかなと判断したので、だいぶ長くなりました。
※それでもあまりにも長かったので2記事(予定)に分けています。
この記事は前提としての「渋谷時代」なので、少し単調かもしれません。
が、ここが一番私の軸になっている削れない部分だったのです。
つまらないかもしれませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
次の記事から戻ってきてくださった方、もし居たら、ありがとうございます。
人生について悩んでいる方に、少しでも何かポジティブなことを届けられたらうれしいです。
前述のように、こちらは「前提」にあたる記事になります。
話は前回のマニュアルを執筆した22歳のときのことから始まります。
進学辞退と就職
以前のモリタマニュアルを執筆した22歳の時はフランスで記事を書いてた記憶があるので、たぶんまだ大学院を目指してがむしゃらにがんばってた頃だったと思います。
あれだけがんばって合格を勝ち取った大学院でしたが、入学手続きの期間中にドタバタ辞退をしました。
まわりの方々にも相当不思議がられました。応援してくださっていた方々や支えてくださった先生には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
先生に辞退の連絡をしたあと返信をいただいていたのですが、次の仕事のことでいっぱいいっぱいでお返事できずじまいに……不義理を働いてしまったと今でも胸が痛いです。いつかこのことについてお詫びがしたいです。
進学をやめて何をしたかというと、前年の秋からアルバイトとして働いていたバーの社員になりました。
私が進学を辞退したのは「大学院を卒業してからも、きっと私は『バーテンダーになりたい』と思うだろう。それなら修行を始めるのは早いほうがいい」と考えたからでした。考えたというか、直感に近かったけど。
この決断を後悔したことは全くありません。
間違っていたと思うこともありません。
「大学院に行ってたら今どうなってただろうな」って考えることはあるんですけどね。
でも、私はいつも「隣の芝生が青い」タイプなので、きっと大学院に行ってても「あのときバーテンダーになっていれば……」と考えてたのだろうと思います。
バイト歴半年未満の私を社員として受け入れてくれた会社の方々には今でもすごく感謝しています。
あの店舗で社員として燃えつきた日々は、確実に私の財産になっています。
一番近くで面倒見てくれた店長にはほんとうに頭が上がらないです。
いっしょに働いたアルバイトスタッフのことももれなくみんな大好きです。今思い返すと、ちょっと涙出てくるくらい良い環境でした。
就職後4ヶ月で休職
そんな大好きな店舗ですが、私は一回辞めようとしました。
一回じゃないかも。夏くらいには身体と心がついてこなくなってて、店長に「もうやめたい、やめるか休むかしたい」って何度か言ってました。泣きじゃくったこともあります。いつもだいぶ困らせていました。
当時飲んでた薬が、お酒を飲むと副作用で強い吐き気が出てしまうもので、うまく付き合えてなかったのでうつ症状もまあまあひどかったのです。
病院の先生に症状の悪化/悪いまま現状維持なことを訴えても、
「そもそもうつの薬をお酒と合わせちゃいけないんだよ」
「お酒飲むのやめられませんか?」
「夜の仕事はうつには良くないから仕事変えたほうがいいと思うけどねえ」
と毎度のように言われ。
こちとらそんなの分かってる、けどそれをどうにかしてほしくて通院してるんじゃないですかせんせー……という気持ちでした。
最後の方はもうなんかめんどくさくなっちゃって、泣きながらメンタルクリニックに向かうくせに診察では「大丈夫です、変わりありません。」って言って早々と診察終わらせてました。診察RTAかな?
と、そんなわけで「うつ病の私にはバーテンダーは無理なのかもしれない」という気持ちが強くなっていきました。
人の憩いの場になるバーの仕事が好きだったはずなのに、自分の仕事ぶりも思うようなものにならずどんどん嫌になっていっていました。
8月末、仕事に行けなくなりました。
急に全部捨てていい気になって。なんか今日外出たらわたし死ぬんじゃないかって怖くなって。
携帯も電源切って、店舗のLINEグループも抜けて、いわゆるバックれをしようとしました。
その後、ここには書けないことがいろいろありましたが、とにかく会社の人たちがあたたかかったんです。こんな私をまた受け入れてくれて、私は退職ではなく「休職」扱いになりました。ありがたかった、ほんとうにありがたかったです。
今思い返しても、私はこの会社に入ったこと間違ってなかったと思います。
就職後7ヶ月で閉店
そんなあたたかい会社/店舗に所属させていただいていましたが、なんと休職中に店舗がなくなることを知らされました。これは本当に予想外というか青天の霹靂で。
お布団のなかで魂が抜けていた私でしたが、知らせを受けて「なにがどうなってどうしてそうなった!?」と一気に現実に引き戻されたことを覚えています。その一方で現実味はまったくなかったのですが。
閉店の知らせを受けたのが9月頭。
二転三転こそしましたが、おおむね「11月には撤退する」という話でした。
本当は2か月以上休みたい、という気持ちがありはしました。
しかし、近い将来だいすきな店舗でもう二度と働けなくなるとおもうと、どうにも落ちつかず。体調を押してでも、翌月から復帰することを選びました。
実際、少し休んだことでいろいろな気づきを得られたりして徐々に安定はしていたので、復帰時期が近づいても「全然戻れなくはないな」という感覚でした。
以下当時の記事です。
復帰後、閉店までは怒涛の日々でした。
ほとんど記憶がありません。当時の写真もあまりないのがギリギリさを物語っているんですけど、疲労困憊のスタッフの写真はしっかり残っています(笑)
今見返したら、閉店直前に謎の発熱(しかも1週間くらい続いた)をしてしまい、ほぼ何も食べられず激やせしたときの記録もありました。限界すぎる。
そんな感じだったのですごい速さで日々が過ぎ、あっという間に閉店の日を迎えてしまいました。
「この忙しい期間早く終われよ~~~」とおもってしまっていた自分もいましたが、それでも寂しいものは寂しい。終わってほしくなかった。
本当にたくさんのお客様と乾杯させていただいて、続々と死んでいくスタッフたちを見守りつつ(?)最後までバーカウンターに立てたのはいい思い出です。「あのときのあみちゃんかっこよかった」と、その後何度か言っていただけて嬉しかった。
最後屍だらけになったのは笑い話になっていますが、お客様と、頑張ってたスタッフたちが楽しく酔っていたのを見るのがすごくしあわせでした。今思いかえしても泣ける。私ここで働けてよかったな、って改めて噛みしめてました。
締めた氷も使い切って製氷機の氷しかない状態で、味わかんないくらいべろべろに酔っぱらってるくせに「サイドカー6杯!!!」って言ってきた店長のことはちょっと根に持ってます。
そんな、限界でもエモーショナルな日々を過ごしつつ、私はゆるやかに職を失いました。
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【次回】
・フリーター時代を経て再就職へ
・再度うつ悪化、離職
・休みながら考えたこと
続きも読んでいただけると嬉しいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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