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憐れみを感じる時

パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』飯田亮介訳 早川書房

ブックオフで見つけて購入しました。

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本屋に求めに行くほど読みたい本ではなかったけれど、なぜか買ってしまいました。

安かったからでしょうか。とはいえ、安いからといってなんでも買うわけではない。

安かったから買ってみたけど、よく考えたらそれほど欲しくなかったので後で後悔した、そんな経験は誰しもあるもの。

とはいえ、野菜を買いに来た人が、安かったから、といってついでに本を買って帰るというのは、やはりどこか釈然としない、変な話です。

安かったから買ったように見えて、じつはそこには「安かったから」では説明しきれない何かがあるような気がするのです。

ではそれは何なのだと言われると……なかなかパッと言葉にするのは難しいですが。しかしここで僕が買った本の場合に戻ると、重ねて貼られた値札になんとも言えない「あわれみ」をそそられたから、でしょうか。


そういえば、最近友人に勧められて見ているアニメのことを思い出しました。『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』です。これは要約すると先入観を強めてしまうというか、まだ見ていない人の鑑賞の幅を狭めてしまうおそれがあるので、あまり触れないようにしたいのですが、僕はけっこうおもしろく見ています。

IT企業で働く主人公や、家出した女子高生の境遇を見ていると、彼らの背後にある社会という空間がどういうものなのか、肌感覚で伝わってくるところがあります。そしてその社会の肌触りは、僕たちが生きている現実と比しても十分にリアルで、だからこそ、感情移入してアニメを見ることができる。

主人公のサラリーマンが上司の女性にフラれた帰り道に、家出した女子高生を拾うシーンがあります。

なぜ拾ったのか。

可愛かったから、というと、自分本位に聞こえます。しかし、かわいそうだったから、ならどうか。これは相手本位に聞こえますね。

「かわいい」と「かわいそう」は語源が同じだという話を、どこかで聞いたことがあります。つまり、もともと二つの意味は分かれていなかった。

こういう、言葉によって感情として分類される以前の、「情」みたいな感覚ってたしかにあると思うし、人間にとって、とても大切なもののような気がします。

それって、どんな感覚なんだろう。僕が思い出したのは、18世紀の思想家、ルソーでした。


それは、ある種の状況において、人間の自尊心のはげしさをやわらげ、あるいはこの自尊心の発生以前では自己保存の欲求をやわらげるために、人間に与えられた原理であって、それによって人間は同胞の苦しむのを見ることを嫌う生得の感情から、自己の幸福に対する熱情を緩和するのである。(中略)私は憐れみの情のことを言っているのであるが、それはわれわれのように、弱くていろんな不幸に陥りやすい存在にはふさわしい素質である。

(『人間不平等起源論』より)

ここでルソーのいう、「憐れみ」が、かわいいとかわいそうを同時に含んだ、自分のためでもあり相手のためでもあるような行為へ、人をかりたてる「情」なのでは、と考えると、自分の中でしっくりくるものがありました。


かなり脱線したような、それでいてずっと同じ話をしているような気も……







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