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サプライズ変奏曲

また電車に乗り遅れた……。引っ越してから一ヶ月と少し、いまだに家から駅までの距離感をつかみかねている。すると、何時の電車には何時に家を出れば間に合うだろう、みたいなありふれた時間感覚も、うまく機能しない。とりあえず券売機で切符を買ってはみるものの、次の電車が来るのは一時間近く後だ。駅舎を背に途方に暮れていると、商店街の通りの一角にパチっと明かりが灯った。今まさにそこの喫茶店が開店したらしい。喫茶店が開店する時間にしてはちょっと遅くないか、そう思いつつも、喫茶店で電車を待とうという気持ちはすでに出来上がっていて、店に続く階段をのぼっていた。

行き当たりの軽い気持ちで入ったがそこは、古風な雰囲気の漂う素敵な喫茶店だった。開店直後とあって、他の客はいない。カウンターの向こうでおばあちゃんがテキパキと手を動かしながら、いらっしゃい、と声をかけてくれる。まるでこの店全体が準備運動するのを見ているようだ。まもなく音楽がかかった。バッハのゴルトベルク変奏曲だった。いいね、この店の雰囲気にぴったりだ。

珈琲と小倉トースト。

湯気たちのぼる熱く香ばしい一杯の珈琲。
自家製小倉トーストはつまみやすいサイズにカットされ、
円環の配置が生み出す構造的美観と、
サクッ——この瞬間に弾ける音と香りがたまらない。


さて、落ち着いたところでひとつ読書でも。それこそこの優雅な空間にぴったりじゃないか——ところが、そうはいかなかった。開店からまだ十数分しか経たないはずだが、次から次へと現れる近所のおばあちゃんたちによって、あっという間にカウンター席が占拠され、いつもの会合が賑やかに始まってしまったのである。こいつはお手上げとばかりに、開きかけていた本(森本哲郎『「私」のいる文章』)を閉じた。

本を閉じると再び音が聞こえてくる。今年のリンゴは例年より小ぶりで出来が良くないらしい。それは驚いた。長野といえばリンゴ。そのイメージがあったのも手伝って、引っ越してきてからはよく農園でリンゴを買って家で食べるようになっていたし、実際のところ、やっぱり長野のリンゴはうまいなあ、と感じてもいたのだから。分かったつもりで、まだまだ真価を知らなかったというわけか…。

世界は意外なことに満ちている。こちらが事前に思い描いていたイメージなどあっさりと塗り替えてくる。電車に乗り遅れた世界で、クラシックの流れる静かな喫茶店を見つけた。かと思えば、そこは賑やかな近所のおばあちゃんたちの社交場で、そこで美味しいと思っていた長野のリンゴはまだまだこんなものではないと知った。

それでも、世界は美しい。いや、だからこそというべきか。

カウンターに座るご婦人たちの会話は脱線につぐ脱線を繰り返し、いよいよ収拾がつかなくなりつつある。そんな光景を慈しむようにバッハは目を細め、背後でひそかに、微笑むように鳴り続けていた。

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