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職場の忘年会に参加して、高校時代の友人の言葉を思い返した。

僕は、愚痴を言いたくなる性格である。

変えた方が良いと思いながら、なかなか変わらない。

愚痴が多いと気付いて、いや……

気付かされて早10数年。

高校時代、同じ部活の友人から

「愚痴をもう少し減らしてくれ」

と言われた。

その時に初めて自分が「愚痴の多い人間」だと気づいた。

そして、愚痴は周りにネガティブな影響を与えてしまうことも知った。

友人からそのように言われた経緯は色々あったのだが…

今となっては、そんなことをドストレートに言ってくれた友人に感謝したい。

そして、その日からというもの、何かを発言する度に、

「あ、今、愚痴を言った」

と自分で気付く訳である。

でも、10数年それを繰り返してきている。

いつも「愚痴を減らさなければ」と思いながら生きてきた。

でも、結果的に愚痴が減らせていないーーー

話は変わって、先日、職場の有志で忘年会をした。

メンバーが年度途中から増えたこともあり、なんだかんだお互いがお互いをあまり知らない状況だった。

そんな状況だったからか、

「どんな音楽が好きか?」
「前の仕事はどんなことしてたか?」
「学生時代、どんな学生だったか?」

そんな他愛もない話を延々していた。

世代も違えば、性別も違う、育ってきた地域も違う、そんな人たちの集まりだったからか、話は盛り上がった。

いつもなら愚痴ばかりの僕も、自然とみんなの話に耳を傾けながら、純粋に会話を楽しんだ。

あっという間に2時間が経ち、3時間が経ち……

気付けば夜遅くなっていた。

忘年会が終わり、帰りの電車に揺られながら、僕はなんとも言えない感情に浸っていた。

今までの飲み会には無かった『充実感』のようなものがあった。

その『充実感』が何かを考えてみたら、

「楽しかった」うえに「愚痴がない」飲み会だった

ということに気が付いた。

社会人になってからと言うもの、飲み会=「愚痴を言う場所」と化していた。

多くの人が会社、上司、同僚、環境などに不満を持ち、愚痴の言い合いになることが多い。

そんななか、愚痴を言ってしまいやすい僕は率先して愚痴を言い、人から愚痴を引き出す役割にさえなっていた。

でも、こうした飲み会を振り返ってみると、今思えば「楽しかった」という感情が残るよりかは、「モヤモヤした」感情が残ることが多かったかもしれない。

飲み会で発散したつもりになっているが、忘れかけていたようなことも記憶の隅っこから引っ張り出して言うもんだから、再びストレスとして認識してしまう。

でも、先日の忘年会はどうだっただろうか…?

みんながお互いのパーソナリティーを知ろうとしていた愚痴のない飲み会は、純粋に楽しかった。

愚痴を言わないことがプラスの環境をつくるーーー

高校時代の友人は十数年前から気付いていて、僕に教えてくれていたのだろう。

友人は、何歩も先を歩いていた。

僕はなんて愚かだったのだろう。

僕は326というクリエイターの言葉が好きだ。

そのなかでも、

人生はかけ算だ 君がゼロなら意味がない 

という言葉が好きだ。

僕は10数年間ゼロだった。間違いなく。

そして、今やっと気付くことができた。

少しでも愚痴を減らして、僕はゼロではなくなる。

あの日、忘年会に参加して良かった。

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