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『冷静と情熱のあいだ』に憧れて

僕はあまり本を読まないーーー。

本は嫌いじゃないけれど、好きでもない。

でも、中学生の頃だっただろうか。

ふと立ち寄った本屋で、ある文庫本を手にした。

それが、

『冷静と情熱のあいだ』


当時から、本を読むタイプではなかった。

しかし、この本はなぜか買おうと思った。

理由は「表紙」と「タイトル」。

青い表紙にやけに惹かれ、不思議なタイトルもまた魅力的だったことを覚えている。

内容はよく分かっていない。

それでも表紙の美しさとタイトルの響きだけで、この本を買った。

ほぼ『ジャケ買い』。

そうして、およそ中学生には理解できるはずもない恋愛小説を手にした訳である。

でも、この小説のインパクトたるや半端じゃなかった。

どんな話かと言うとーーー

この物語の舞台はイタリア。

「10年後に、フィレンツェのドゥオモに登ろう」

この一言に10年間、思いを馳せる順正と葵の物語である。

しかし、この約束というのは決して「ちゃんとした約束」ではない。

何気ない会話の一部でしかない。

結局、二人は別れることになり、別れた後はそれぞれのパートナーを見つけ、それぞれの人生を過ごす。

その会話を頭の片隅に置きながら。

そして、それぞれのことを思いながら。

そんな二人は10年後に、本当に再会する……

そんな内容なので、中学生が理解するには少し早すぎる。

だから、物語の本質は理解してなかったと思う。

ただ、

「フィレンツェってどんなとこだろう?行ってみたい!」

と強く思ったことを覚えている。

ちなみに、この小説は映画化されている。

小説に出会って15年以上が経ち、先日、僕は初めて『冷静と情熱のあいだ』の映画を観た。

Amazon Prime Videoでふとこの映画をみつけた。

【小説を映画化しても小説を越えることはない】

というのが僕の持論。

だから、この映画もあまり期待していなかった。

しかし、この映画は素晴らしかった。

なぜなら、この物語で大きな意味を持つイタリアの美しい景観が、映画では惜し気もなく映し出されているのだ。

中学生のときに小説を読み、頭の中で想像していた『フィレンツェ』や『ミラノ』がそこにはある。

文字ではカバーできないものが、この映画にはある。

小説とは少し異なる物語も楽しみながら、景観も楽しむことが出来る。

そんな感想を抱きつつーーー

僕はふと小説を読み直してみようと思った。

15年以上前、まだ幼い中学生が読んだときの感想。

それと、30歳を迎えて読んだ今、どういった違いを感じるのか知りたくなった。

『冷静と情熱のあいだ』

タイトルに惹かれたはずだが、その意味を考えてはいなかった。

どういう意味なんだろう…と思っていたのが正直なところ。

改めて小説を読み、そのタイトルに関連づけた表現が随所に出てきていることに気がついた。

・芽実にたいして情熱的という表現を使う一方、葵には冷静という表現を使っている。
・葵といるときの順正は情熱的で、芽実といるときの順正は冷静である。
・Bluでは、順正は葵のことを頻繁に思い出している(=情熱的)のに、Rossoでは葵は順正のことを少し気にかけているくらい(=冷静)

などなど。

葵=冷静として、順正=情熱としている。

二人の思いも、冷静な部分と情熱的な部分で揺れ動いている。

映画を観て、改めて小説を読んだことで、タイトルの意味を深く理解できた。

また、何気ない会話の一部を心の拠り所にしながら、10年間生きることの難しさも、その歳月の重みも、今なら分かる。

この10年の思いは、ドゥオモで会えてしまっても終わるし、会えなかったとしても終わる。

そんな状況が苦しいような、楽しいような。

そして、いかにそれが「小説的」か。(否定的な意味ではない)

その思いだけをベースにして、260ページ以上の小説が成り立つのだから、辻仁成と江國香織がいかに素晴らしいか分かる。

ちなみに、僕は海外思考ではない。

海外に行きたいと思わない。(飛行機怖い)

行ったことがあるのもグアムと韓国という海外のようで、海外でないところ。

そんな僕でも、イタリアには一生のうちに一度は行きたいと思っている。

中学生のとき何気なく手にした文庫本から受けたインパクトを、イタリアまで感じに行きたい。

中学生のときに頭のなかで思い描いたイタリアを、

映画のなかで観たイタリアを、

この目で一度見てみたい。

僕のなかでの『冷静と情熱のあいだ』は、

イタリアに訪れて初めて完結する物語なのかもしれない。

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