毒親育ちと発達障害を持った私が「子供を持つ事の諦めた事」①
30歳半ばになり、いろいろ思うことがあり書きとめる事にしました。
長くなるので分割でいきます。
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観ました。
ネタバレを含みます。
葛城ミサトが子供を産んでらっしゃいましたね。ちょこちょこ「あんな状況で無責任に中出しするのはいかがなものか」と声がありましたが、まあほんの一部の方々でしたし、私も一瞬そう思ってしまったので……うん。それも確かに。
しかし私が映画を観終わって葛城ミサトの子供について考えたのは、悲しいくらいの「羨ましい」という想いでした。
私は「毒親育ち」「広汎性発達障害」「パニック障害」です。子供は親を選べません。もちろん、親は子供を選ぶ事もできませんが。
悲しきかな「毒親育ち」「母親からの洗脳」から逃れられず、私は人生を28歳になるまで、自分がおかしい事にあまり危機感を持っていなかったのです。
毎月20万円程かそれ以上の金額を家に入れ、両親はパチンコや浪費で使い果たし、足りなくなれば脅迫してきてまた私がお金を渡しておとなしくさせる。そんな生活をしていました。
25歳くらいの頃でしょうか。当時の職場でパワハラにあい、処方して貰ったデパスをのみながら仕事をしていたのですが、1時間に1錠以上のんだりしないと涙が勝手に出てきたりするので限界を感じ退職。友人の薦めで義姉と両親とで心療内科に行きました。
母親は「強迫性障害」「自己愛性人格障害」
私は「広汎性発達障害」「パニック障害」そして家族全体が「機能不全家族」だと診断されました。
ここから自分のパーソナリティや家族について考えなければならない、そして社会復帰を目指して生きていく人生に切り替わりました。
続く
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