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「いいんじゃない?」って肯定ばかりするのは、一周回って残酷よ。

最近、人に相談することが増えた。いや、そうしている。未来のこと、今の仕事のこと、人間関係のこと、その他もろもろ。自分ひとりで悶々としているよりも、だれかと対話を重ねることで、自分が自分でいられるような気がして。

前の自分と比べると、ずいぶんとその回数は増えた気がする。自分が勝手に作った壁を、中から打ち壊せているからかもしれない。そうしないと、だれかと本当の意味でつながれないからと気づいたからかもしれない。

嬉しいことに、多くの人は自分に「~と思う」と意見をくれる。理由も添えて。ほんとにありがたい。


私は相談する前に、ある程度自分の中での答えがある。しかしその答えは、ある程度というだけで、溶けかけの雪のように、はっきりとした形をしていない。

ゆえに自分の答えの輪郭を固めるために、様々な人に相談をする。5人に相談して、5人とも自分と同じ考え方であったら、間違いないと思うんだけど、割れたときは再度考えなおすプロセスを挟む。

なので基本的には意見が欲しい。同意はそれほど必要としていない。そういうスタンスの人間。


逆に相談を持ち掛けられたとき、相手の状況をくみ取ったうえで、人にもそのスタンスで接するようにしている。(もちろん人によっては聞いてもらうだけでいい人もいると思うし、その人とどういう関係性を築きたいかによるけれど)

その時に絶対しないことがあって、意見がないまま「いいんじゃない?」って言うこと。逆に意識してるのは、良いと思ったことには良いっていうけど、違うと思ったことは違うって言うこと。


「いいんじゃない?」って肯定し続けるスタンスって簡単。一見、だれかを傷つけることはしないように見える。でもそれが続くのって、私は相手を突き放してしまうように感じる。

肯定ばかりすることは、その人と向き合う姿勢を放棄してしまうことにもなると思う。肯定だけしていたらいいので楽だから。これは居心地の良い関係だけど、まるで見かけだけの虚像のよう。

あと、相手に本心が見えないと思う。「この人ほんとはどう思っているんだろう?」って。本心が見えないと感じ出したときに、言っても仕方ないと思われそうで。

だから最終的に無関心の関係になると思ってて、それって一周回って残酷なことだと思う。

人間関係ってそうだっけ?私は違うと思う。だからこのスタンスは好きじゃない。いきつくところ、究極の無関心という印象を相手に与えてしまうからだと思う。だから「いいんじゃない?」って肯定ばかりすることって、私は残酷なことなんじゃないかなって思う。

私はちゃんと一人ひとりと向き合いたい。最近、そう思う。

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