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私の二重苦、三重苦。

今回は私自身のことと、そしてそれらについて思うことをまとめようと思います。

生まれつきの障害


私は発達障害、自閉スペクトラム症(高機能自閉症)を生まれつき持っています。
よく勘違いされるのは、アスペルガーと一緒にされること。私の障害は高機能自閉症であり、言わば、「知的障害のない自閉症」です。

これをよく理解しようともしない人達によくアスペとか糖質とか池沼とかバカにされますが。
アスペはアスペルガー症候群、IQが高いことで知られる障害。糖質は統合失調症。発達障害の二次障害で起こりうる病気。障害というより、病気。池沼。これは知的障害のことなので、高機能自閉症(自閉スペクトラム症)の知的のない私には該当しません。

初めて「発達障害」の診断を受けた歳

私の発達障害が初めて診断がついたのは16歳の時です。15歳の時不登校になり、小児科から精神科を紹介されました。
今まで頑張ってもできなかったり、そのせいで人から責められて悔しい嫌な思いをしてきたこと。それらは発達障害のためだったのか…。
そう思いました。少し気持ちが落ち着いた?ような。
でもここからが辛い。
学校のことを考えると気持ちがザワザワして食欲がなくなり吐き気。
中学で不登校だったけれど塾と独学で勉強を頑張り、全日制の化学科に進学。
でもそこでも周りからいじめの対象にされ、耐えかねて通信に転校。
この時体重も30キロ台で辛かったことを覚えています…。
不登校、いじめ…もう学校は懲り懲りだ、そう思っていたので高校を卒業するのがやっとでした。
私は発達障害がありますが学習障害も持っており、数字を苦手とします。簡単な計算も出来ません。

周りと違った私

私は幼少の頃から変わっていました。
絵を描くことが大好きで保育園の時からたくさん色々な賞をもらってきました。
初めて描いた絵は、「アリの行列」。アリが何十匹も連なっている絵です。
あと私は親の遺伝で色覚異常も持っています。
こんなにいっぱい色々背負ってるので、ネット等で「設定乙」とよく言われます…汗 設定だったらどんなにいいか。。全部紛れもない事実ですよ。
なので色を使った絵を描くと色使いが人より変わってます。独特。
それで何回も入賞してる説もありますね…笑
でも色を塗っていない絵でも小さい頃から評価はもらっていましたが。

そんな私ですが、周りと感性が違うせいでたくさん大変な思いをしてきました。。
でも今考えると、私ができないこと、を周りの友達は理解してくれていた子もいたし良くしてもらっていました。
それでもやっぱりいじめには遭ってしまいました。
高校の時のいじめは辛かった。
人の「嫉妬」は怖い。常々思います。
入学した化学科で、みんなで英検を受けました。(何級を受けたかはマウント取るつもりも無いので書きませんが)
みんなは英検の試験のために特別授業がありそれに出ていました。
でも私は、1度もそれには参加せず。前述で言ったように独学で勉強をしていて英語は特に大好きだったので得意だったのです。
そしたら、私1人受かってみんな周りは落ちたのです。
それから化学科の友達達の私への見方が変わりました。無視したり誹謗中傷をするようになって。からかわれて一人にされることが増えた。
「のんちゃん(私)は1回も特別授業に出なかったのに、一人だけ受かってずるい。」この理由だけです。
これとあとは容姿に対して周りよりちょっと可愛いから、目立つから、それだけの理由で。
人の僻みほどめんどくさいものは無いです。

そしてこの時からリストカットやら感情が不安定になり精神疾患が悪化してしまいました。
結局、化学科は退学。通信に行き卒業しました。

学校を卒業してから

私はもうはっきりいって常人では無くなっていました。この時から今まで癇癪を起こして警察を呼んだり泣き叫んだりすることが多くて。
精神疾患も悪化し解離性同一性障害も発症しました。
高校の時から趣味でやっていたドールやSNSも私がやはり「周りと違う」せいで匿名掲示板で誹謗中傷を受けるようになって。去年飛び降り自殺未遂するまで今まで6年くらい。20代ほぼ誹謗中傷で苦しみました。
周りと違うと目立ってしまう。人から妬まれたり僻まれてしまう。
それもどうでもいいような中途半端なレベルの人間に。
でも、ドールと出逢えたのはこの人生唯一よかったです。

27歳、遂に飛び降り自殺未遂

もう色々と耐えきれなくなっていた。誹謗中傷が嫌で嫌で何回も入退院繰り返し、リアルでもネットでも上手くいかず、精神的に限界が来ていた。
私の最後の記憶は、母と山中湖に遊びに行った休日。
気づいたら私は県内の大きな病院の集中治療室に居た。ここは記憶が朧げだ。
脊髄損傷で、もう二度と歩けない身体になってしまっていた。
飛び降り自殺って、記憶喪失になることが多いらしい。だから全部ぶっ飛んじゃったんだろうな。
そこからは、これまでとは比べ物にならない程の生き地獄。
リハビリ病院に移ってからなんて、
精神的だけじゃなく肉体的にも辛かった。
精神的物理的地獄、だった。
心ない看護師に、「こんな山梨の低い建物から飛び降りたって死ねないよw うん、死ねない死ねないw」と言われた。
ここではリハビリPT,OTを受けたのだけど今度は以前ここで書いた通りセクハラも受けた。
入院中にも関わらず、LINEの友達から「飛び降り自殺は天国に行けないんだよ」や数ある入退院で知り合ったろくでもない(ただ利用してくるだけの)知り合いがあの手この手で私と連絡を取ろうとしてきて辛かった。
相手は統合失調症なので私と自分が電話できないのは誰かが電波攻撃で?邪魔をしてるから、と思い込んでいるようだった。(ちなみに、うるさいから私が着拒してただけ)

遅かれ早かれ

飛び降りてたと思う。
そんな人生だったと思う。誰も救済者なんて現れなかった。
もっと10代の時とかに飛び降りたって可笑しくない。親の不倫のこともあるから。
不倫の話は、また次に書きますね。


最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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