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私たちは、自分向けにカスタマイズされた世界を見ているに過ぎない

私たちが「世界」と呼び、認識しているこの世界も、ある一定の範囲を切り取ったものに過ぎない、というか、そもそも本当に実在しているのかを証明する事もできない。でも、その「世界」について考えたり疑ったりしている、「私」の意識だけは今、確かに存在している。いわゆる「我思う、ゆえに我あり」というやつ。

恥ずかしながら、この歳でようやくこれを理解できた私なのだが、それと同時に、今まで絶対と思っていた「世界」というものが崩されてしまい、地面を失ってしまったような、まるで宇宙空間に一人放り出されてしまったような。そんな絶望的な気持ちにもなってしまった。

じゃあ、「私」が今認識しているこの世界は、虚構なのだろうか?だったら、その虚構の中で、一喜一憂したり、一生懸命頑張ったりする事も無駄な事なのではないか?馬鹿げているのではないか?という思いも過ぎる。

だが、そもそも今まで私が「世界」と思って見ていたモノも、自分専用にカスタマイズされた「世界」を見ているに過ぎなかったのではないだろうか?

SNSがいい例だと思うが、例えば、貴方がAというモノの愛好家だったとして、同じA愛好家を100人フォローしているとする。きっと貴方のTLにはAを愛でたり、賛辞する声で埋め尽くされることだろう。そして貴方はそのTLを見て「Aを好きな人は世界中に沢山いる、愛されている存在だ!」と信じて疑わないだろう。

本当は、世界にAを愛している人はこの100人しか存在せず、それ以外の人間は一人残らずAを心の底から嫌悪しているとしても。貴方にとっては、そのAの愛で満ち溢れているTLが「世界」なのである。

これは、少し極端な例だが、程度の問題で本質的には同じ事だと思う。
好きな人たちだけとつるむ。興味のある仕事に就く。自分にとって嫌なニュースは見ない。我々が日常的に無意識にしている選択と何ら変わりはない。

「あなたへのおススメ」をどんどん再生するYouTubeや、自分の興味のありそうな広告を表示するGoogleと全く同じこと。

貴方が「世界」だと思って今見ているものも、貴方自身が無意識(意識的かもしれないが)に取捨選択した結果の産物に過ぎないのだ。

転職したことがある人は経験があると思うが、新しい職場に行くと、今までいた会社がいかに限られた業界の世界だったか、狭い人間関係の中で成り立っていたのかというのを痛感する(まあ、転職先にも言える事なのだけど)。
今まで自分が「世界」と思っていたものは、本当にただの氷山の一角なのだ。

だからといって、万人の意見を網羅したり、世界中の現状を全て掌握しろ、ということが言いたいわけでは無い。
そんな事は無理だし、自分にとって心地よい「世界」を作り出すには、自分本位の取捨選択が不可欠だからだ。

でもやっぱり、自分本位過ぎるのも良くないとも思う。
ので、ある程度自分とは違う「世界」を取り入れて、その偏りを都度調整する必要もあるのだと思うし、それをコスパが良く実現できるのが読書なのかなと思う。


言いたいことがごっちゃになってきたので、まとめると、

・私たちが「世界」として見ているものは自分の取捨選択の結果、自分用に「カスタマイズ」されたものに過ぎない。

・自分にとって心地良い「世界」を作りあげることが、人生の目的だと思うので、↑自体は悪い事ではない。むしろ奨励。

・だが、自分本位過ぎる取捨選択は良くないと思うので、自分とは違う意見や考え方も取り入れていこう。→本や文章を読もう

である。
3つ目の「自分とは違う意見を取り入れる」の塩梅やチョイスがとても難しいのだけれど、個人的には、自分が「この人いいな」と思った人でいいんじゃないかな、と思う。

きっと貴方の内向直観が教えてくれるはずだ。


梨女(@xxnashimexx)


ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。