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「夢中」の炎を絶やさずに

自分の死生観的なものが何となく形作られている最中で、やはり、人生というのは『死』に向かうまでの長い暇潰しなのかな、と思う。

では、この長い暇潰しを楽しみ切るにはどうしたらよいのか。
それは「夢中をなるべく絶やさない事」なのではないかと思う。

前に「人は夢中になれるものが無いと生きていけない」という記事を書いた。
これもあながち間違っていないと思っていて、人間は「暇(※これは必ずしも“忙しくない状態”を指す言葉ではない)」を感じた瞬間に心が死んでいくというか、虚無に陥ってしまう。

とはいえ、「自分の本当にやりたい事!」みたいな意識高い系のやつを無理くりひねり出す必要も無い。
今日のお昼ご飯はなにを食べようかなと考えたり、友人と楽しくお喋りをしたり、あの漫画の続きが気になって仕方なくてモダモダする事だったり、そういう日常の些細な事も一種の「夢中」であると思うし、嫌な仕事でも、一生懸命取り組んでいる時はそれは「夢中」であると思う(でも鬱になったり健康を害してしまうような「夢中」は駄目だよ!)。

そういう「夢中」をかき集めて、継ぎはぎしていくと、夢中が絶えないのかなと思う。
ひどい言い方をするならば、この世は「正気になったら負け」なのだ。
どうせ死ぬなら、楽しまにゃ損、損。色々なものに夢中になって狂っていた方が楽しい(勿論、公序良俗の範囲でね!)。

いかに夢中を絶やさないか。人生はそういうゲームなのかもしれない。


梨女(@xxnashimexx)

ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。