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引越し再び。

米粒です!

保健センターでのカウンセリングを終え

少しスッキリした後の続きです!

※これは2019年1月に愛知県の工場でうつになり
毒親のいる実家に戻ることもできずに
とある地域にいたときの記録です

母からの電話

保健センターとのやりとりがある数日前から
母からは心配の電話が来ていました

1月にうつで愛知の工場を退職し
7月には新しい土地で体調を崩し
さらには健康保険に入っていなかったので
病院に行くお金も底をつき始めていました

さらに1日引きこもってあの狭く古く
ゴキもかなり出る部屋にいることすら
精神的に来ていました

母に現状を伝えると
「もうこりゃ(実家に)帰ってくるしかないんやない?」
と言っていました

もちろん自分は限界まで帰ろうとはしませんでした

工場を反対されて喧嘩をして出て行ったので
次に戻ったときは冗談抜きで殴り合いの喧嘩になる未来しか見えなかったからです

しかし精神的にもかなり参っていましたし

母から仕送りをもらい生活を続けるという手もありましたが

母にもそんな余裕はないですし

自分でこの土地に住むことを選んでおきながら
もうこの部屋には居たくないと思ってしまいました

母から提案されたこととして

その時期は9月の中旬ごろでしたが

自分が工場に行ったのは2018年の10月でした

なので父には
「一年愛知にいて、契約を一年でキリがよく終えて戻ってくる」
という設定にして戻ってきたらということでした

この土地でも無職だったわけではなく
むしろ飲食店でかなり頑張っていたのですが

それを無かったようなことにされることは正直ちょっと嫌でしたが

うつになって辞めたと言っても父は昔自分が自律神経失調症になったときも全く理解してなかったので
無駄だと思っていました

引越し準備

結局、母が父に
「米粒が契約終えて戻ってくる」
と伝えたら
「やっぱ続かないなあいつは」
と嘆いていたそうです

一応したくはなかったですが自分からも父に
おおよその引越し日を伝えて戻ることをLINEすると
「了解」
とかなり面倒な感じなのか
すんなり受け止めたのかはわかりませんが返事はありました

すぐにまた引越し手続きが始まり
かなり大変でした

まずはただでさえお金がないのに
自分が契約していた物件は
一年以内に退去すると2ヶ月分の家賃がかかります
さらに申告した次の月まで家賃の支払い義務があったので実質3ヶ月分。

そして125ccのバイク含め
家にあるものの断捨離を始めます

愛知から持ってきたものもかなり多く
今回の引越しでかなり捨てましたが
それでも大きな段ボールが5つほどになりました

次回は引越してから実家に戻るまでです。


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