見出し画像

俺はぜったいにリストカットをしない

就活が終わった。
別段いい結果だとも思わないが、落ち着いた今となっては悪い結果だとも思わない。とにかく今は、来年から真っ当に働く社会人になれるのだと少し安心している。

就職浪人を決めた昨年の夏、僕はそんなに焦りを感じていなかった。
志望業界の納得できる企業から内定を貰えなかったら就職浪人しよう。
そう思っていたから、ある程度の覚悟は出来ていたのかもしれない。元々、人を妬んだり羨んだりするタチでもないので、「他人は他人、自分は自分」と考え、周りから遅れをとることや自分の将来にも悲観はしなかった。

雲行きが徐々に怪しくなってきたのは、新型コロナウイルスが蔓延して暫く経った初夏の頃だっただろうか。
当時は納得できる内定もなく、残っている企業の弾数も1桁になった僕は、徐々に焦りを感じ始めた。

さすがに今年はどこかに決めないといけない。本来ひとつ下の後輩も、軒並み就活を終えている。このままだったら​───────

「他人は他人、自分は自分」などと流暢なことをほざいている場合ではなくなった。
飲めるものなら酒が飲みたいな、と思った。

僕は「ほろよい」ひと缶で潰れてしまうほど酒が弱い。ウイスキーボンボン3片で酔ったこともあるし、ハーゲンダッツのラムレーズン味のアイスでクラっとしたこともある。
とにかく酒が飲めない僕は、飲み会にも単騎シラフで参加する。そして、体内にアルコールを入れないとバカ騒ぎできない大学生やサラリーマンも軽蔑してきた。
どうして高校生の頃まではシラフで酔狂バカ騒ぎできたのに、大学に入った途端に酒頼みになるんだろう。普段陰キャじみた奴が酒の力を借りてイキってるのは目も当てられない。「酔っ払っちゃった〜」が全てを精算できる言い訳になると思うな。
そう考えていた。

似たような理由で喫煙者も忌避していた。
臭いし、一緒にいたらなぜかタバコ休憩が勝手に僕の予定の中にも組み込まれてるし、家に帰ったら服まで臭くなってしまう。
調べれば調べるほど身体に害を与える代物だし、何より高い。
「吸うと気持ちが落ち着くんだよ」とか何とか言われても、吸わなくても落ち着いていられるこっちの身にもなれとしか思わなかった。

そんな僕が、飲めるものなら飲みたい、吸えるものなら吸いたいと考えた。
要は、ストレスが溜まっていたのだろう。恋人やセフレのひとりやふたりいれば良かったのかもしれない。どんな形であれ鬱憤を吐き出せる対象がいたなら楽になれたのだろうか。でも、生憎そんな人はいなかったのでストレスは溜まっていくばかりだった。

ネットの海を泳いでいると、不意にリストカットの画像を開いてしまってげんなりすることがある。
その中には、突発的に手首を掻っ切った人も、綿密に調べて手首を割き湯船を血で染めた人もいるだろう。そして、みなご多分に漏れずストレスを溜めて耐えきれずにリストカットを選んだのだろう。その画像をTwitterに上げて誰かからの反応をもらうことで、自分の生を自覚できてストレス解消につながるのかもしれない。
幸い、元の楽観的な性格と自己肯定感の高さから、僕は就活を苦にリストカットしようと考えたことはなかった。しかし、それ故に考えなかったことを最近考えるようになった。

ストレスを解消する方法なんて、たくさん持っているに越したことはないのだ。
人生の中で、就活に限らず、思いがけずストレスを溜め込むことは幾度となくあるだろう。僕がたまたまこれまでストレスフリーにのほほんと生きてこられただけで、周りの学生の中には自分が知りもしないような理由で悩み、焦り、ストレスを抱えていた連中もいたかもしれない。

引っ込み思案で自分の考えを主張できない奴が、酒の力で気を大きくして大声で騒いでストレスを解消する。
大学やバイト先に馴染めず、口寂しくて煙草に手を出して以来、煙草を常用するようになる。
恋人に振られたのが辛すぎて、手首を掻っ切って同情を誘う。

全てが、たまたま。

僕がストレスを溜めずに生きてきたから、彼ら彼女らの醜態の裏に潜む何某かを察することができなかったんじゃないか。育ってきた環境が良かったから、自己肯定感が高く生きてこられただけなんじゃないか。
そして、合法である以上、抱えたストレスを解消する方法として酒や煙草を使うことは軽蔑すべきものでもないんじゃないか。
家にこもりながらそんなことをぐるぐる考えているうちに、僕はようやく納得できるところから二年越しに内定をもらうことができた。そのうち、あれだけ抱えていたストレスはいつの間にかフッとどこかに消えてしまった。

昨日、僕は久々に行きつけの街中華で大学の後輩たちと飲んだ。
彼らは酒をガバガバ飲み(自分比)、煙草をスパスパ吸う(自分比)。その横で僕は烏龍茶を飲みながら自分を含めた全員の近況について喋っていた。
そのうち、ひとりがバイト先でIVOゾーンの脱毛の知識を手に入れたという話から、脱毛の是非の話題に移った。何でも、ひとつの部位で10万円程度(もしくはそれ以上!)はかかるらしい。

「高ぇな」
「だったら一生モノのゴルフクラブ買うわ」
「アナルも一生モノですよ?」
「ツルツルアナル」
「じゃあ一緒にやる?」
「遠慮しときます」
「何でだよ」
ワイワイ話しているうちに、同じく留年組の5年が近くで飲んでいるらしいことに気づき、店を移動した。そのうちに、みんなの頭の中から脱毛の話題は消し飛んでしまった。

二次会が終わり家に帰ると、家族は全員寝ていた。久々に0時を回ってからの帰宅だ。コロナ禍以降、就活もあってどこかに飲みに行く機会は格段に減った。
煙草の臭い塗れの服を脱ぎ、洗濯カゴに雑に投げ捨てて風呂場に入る。すると、鏡に映っていたのは陰毛が伸びきった自分の姿だった。
切らなきゃいけない。
直感的にそう思った。数時間前の会話が頭にあったのだろう。僕は自分の部屋にあるハサミを手に取り、再び鏡の前に戻った。
前髪を梳くようにして陰毛を整えると、僕は縦にハサミを入れた。ジャッ、という音とともに、茶色がかった縮れ毛がフワフワと散る。

雑念を消すようにハサミを動かす。それに伴って、焦茶色は堆く重なっていく。
前が切り終わり、キンタマをぺろっと捲ってみた。そこにはモジャついた毛がチラホラとコンニチハしていた。
これも切りたい。
僕は右手を玉裏に向け、ハサミを動かした。さっきに比べて、一度に床に落ちる毛の量が少ない。目立つ毛がなくなるまで、僕はハサミを左右に振った。

すると、ある時

サクッ

という感覚が手に伝わった。

「え?」

下を向く。痛い。ジンジンする。どこか懐かしいような感覚は、ジワリ遅れて僕に痛みを連れてきた。
血が滲む。よく覗いてみると、キンタマの真ん中の皮が三枚くらいペロッと捲れていて、そこから鮮血がとめどなく出てきている。

錯乱した僕は、傷口を綺麗にするため、湯船の中で血を洗い流した。どうせきょうの風呂は僕が最後だからいいだろうくらいに考えたのだが、これが不味かった。
血は止まらないどころか、血流が早くなったのか湯船がジワァと赤く染まっていくし、脈打つように痛みが増す。
とりあえず傷口を放置して、急いで髪顔身体を洗って立ち上がると、バスチェアは血で赤く染まっていた。

風呂を出ても、血がポタポタと地面に垂れる。
とりあえず傍にあったティッシュで患部を抑えて止血して、髪を乾かす。乾き切る前には、すでに股間周りが少し重くなっていた。

痛みを紛らわすためにTwitterを開くと、誰かが上げたリストカットの画像が目に入った。たしかに、身体の部位を切った痛みをエンタメに昇華するにはTwitterがいちばん手っ取り早い。今になれば分かる。現に僕はnoteを書いている。
ただ、承認欲求を満たすためにキンタマ(手首)を切るのだとしたら、代償があまりに高すぎる。
第一、僕は痛いことが大嫌いだ。最近、バイトで紙を扱うことが多いのだが、その紙で指先を切るのが嫌なのでゆっくり作業してちょっと怒られるくらいには痛いことが嫌いだ。
僕は、今後の人生でどんなに耐え難いことがあっても、ぜったいにリストカットはしないぞと心に誓った。
あと、酒や煙草以外のストレス解消方法のレパートリーを、今のうちに増やしておこう。そんな風にも考えた。

何度かティッシュを交換しているうちに、これは足掻いても無駄だということに気づいた僕は、結局キンタマにティッシュを貼り付けて寝た。
翌日の夜、それまでキンタマに貼り付いていたティッシュを触ってみると、ペリペリと膿とともに剥がれ落ちた。
痛みは前日よりも幾分マシになっていた。
一日の間、キンタマの裂傷について調べて怖くなっていた僕は、その日はしっかりマキロンを塗って(激痛)寝た。どうやら、キンタマを取らなきゃいけない事態は避けられたらしい。

こんなことが二度と起きないように早く脱毛してえな。

いま、僕のスマホの検索履歴には、入社予定の会社の評判とミュゼを調べた痕跡が残っている。

#エッセイ #コラム #大学生 #日記 #就活 #また乾杯しよう

ありがとうございます!!😂😂