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ダンサーインザダークから見る解離性障害

解離性障害の主要症状についてはこちら

解離している時、心はどうなるのか?

解離性障害を持つ人は空想傾向が強いと判明しているそうです。
解離しているとき、「空想に耽っている」感覚にとても似つかわしい状況に陥ることがあります。
その現象を、とてもよく表現した映画をひとつご紹介したいです。

タイトルにも挙げている

ダンサーインザダーク

です。


あらすじ
女手ひとつで息子を育てる女性。病によって失明寸前の彼女は、同じく視力を失いつつある息子の手術費用を貯めていた。しかし隣人に大切な貯金を狙われ、それを取り返そうともみ合ううちに彼女は相手を殺してしまう。

ラースフォントリアー監督によるこの作品は、鬱映画としてとても有名かつ人気の映画作品です。
しかし実際のところ、彼女は鬱病なのか?と問われると
(スラングとして陰鬱な映画を鬱映画と表すのだとしても)
いや、これは完全に解離性障害だ。と、私はそう思いました。

そして、この作品における、彼女の"最大の問題"は、実は目が見えづらいこと、失明していくことではなく、解離性障害なのでは?と考え、この記事を書くに至りました。

まず、この作品のどのあたりが解離的であるか?

この作品の一番特異的な特徴である
主人公であるセルマが「精神的危機に陥るとミュージカルの空想が始まり、現実がミュージカルになったかのように見えてくる」という状態 です。

この作品が評価されている所以でもあると思うのですが、視聴者である我々には、
陰鬱とした現実と華やかなミュージカルを交互に見せられることになります。
あの状態というのは、まさに私が体験している解離的体験であると言って差し支えありません。

ここから、ネタバレを含みます。

では、何故それが「失明よりも大問題」と記したのか?
失明という病を軽視するためではありません。
しかし、もし彼女が弱視だけを持ち、現実を常に見据えられる女性であったなら。
彼女は社会的に追い詰められ、あのエンディングを迎えたでしょうか?

彼女は弱視というハンデを持っていましたが、
作中の描写として、コップに指を突っ込み水を注ぐことで、どこまで水が注がれているか確認し淹れていたりします。
また、線路を足で叩きながら歩くことで、線路の近くにある自分の家にたどり着くこともできていました。
彼女は生きてゆくために弱視にかなり高度に適応していることが伺えます。
もちろんサポートが必要な体であることは間違いありませんが、少なくとも先ほどのエピソードたちは、彼女が昔から弱視と共存してきたのであろうことを暗喩しています。

それに対して、彼女は解離性障害に対してうまく適応できていないように見受けられます。

工場で解離に飲み込まれ(頭の中のミュージカルが始まって)ミスを起こしてしまったり
隣人を殺してしまったあと、適切な行動を取らずにミュージカルに耽ってしまったり
その結果裁判でも残虐とみなされ、そしてその裁判中にも解離を起こし、何もできず投獄され
最期さえ、彼女は夢見心地のまま死んでゆきました。

この作品においてよく議論になる事といえば
「セルマはなぜボンヤリして何もせず死んでいったのか」だと思うのですが
それこそが「解離性障害のせい」というところなのではないか、と私は思っています。

解離性障害の恐ろしいところは、判断能力を失う事です。

解離性障害という観点から見るダンサーインザダーク。とても面白いので、ご参考になると幸いです。


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