子どもにとって最善の選択とは
前回、障がい者の差別についてのノートを書いたが、今日も私が経験した障がいについての出来事を書こうと思う。
私が以前働いていたインターナショナルプリスクールに、0歳のころから通っていた男の子がいた。
その子は、0歳の頃から自傷(癇癪を起して自分の腕を噛んだり、床に頭を打ち付けたり)することがよく見られました。
お母さんもその子が癇癪を起す事が多く、言葉も遅かった為もしかしたら何か障がいを持っているのかもしれない、と気にしているように見られました。
その子が3歳を過ぎたころに医師から”軽度の自閉症”と診断されたと連絡がありました。
自閉症とは、社会性発達の質的障害、コミュニケーションの質的障害、興味や活動の偏りの3つを特徴とした、先天的な脳の機能障害です。自閉症は、通常、3歳頃までに判断されることが多いです。 近年では、発達障害の一つである
ですが、そのプリスクールでは学校の方針で一人に対して先生がつきっきりで対応する事は職員の人数上出来ない、という事があったので加配の職員をつけるという事は出来ませんでした。
お母さんは0歳から通って慣れているから、スクールを変えることはしたくない、と言っており週に一回療育に通うことになりました。
療育に通い始めてから、椅子に座れる時間が長くなったり、癇癪を起す頻度が減ったり、その子の成長が凄く見られました。
しかし、その子が4歳になる頃、少しづつ成長しているその子を見てお母さんが”やっぱり、この子は自閉症ではないんだと思う。”と言い出してきました。
お母さんの言い分は、以前は何を言っても聞かずすぐに癇癪を起していたが、今は聞いてくれる。言葉は遅いが、それはバイリンガルで2言語入れているから混乱しているだけ(ミックスの子で、お父さんとはずっと会っていなかったようでしたが、3歳を過ぎた頃に籍を入れ一緒に住み始めたそうです)。そもそも、数回しか会っていない医師に、何でこの子は自閉症です、と診断出来るのか。と。
その頃から、療育に通うのも辞めていました。
なので、また癇癪を起したりし始めました。そしてその頃は、どちらかと言えば自傷から他傷になっていました。
自分が座っていた椅子に、少し自分が席を立っているうちに他の子が座ったりしていると、泣き叫びその椅子を投げたり、テーブルも投げたりしようとしていました。
そういう事から、クラスメイトに怪我をさせてしまうことも出てきて、その事をお母さんに話すと、”学校で起こった事を家庭で話しても、帰ってくる頃には忘れていると思うので、事故が起きた時にすぐ話さないと意味ないんじゃないですか?”と。
いや、もちろん直ぐに話はしていますが、、、。
そして、だんだんお母さんお父さんからの苦情が増えてきました。
・授業参観の時、自分の子は当てられなかった。差別だ。
・この子の落ち着きがないのは先生とこの子の信頼関係が出来ていないからだ。
・(その子が加害者側の事故等があった事を報告すると)なんで先生がその前に止めに入らなかったのか。先生は何してるんだ。
・事故等の報告が何回もあって、先生の愚痴を聞いている気にしかならない。
・(お着替えに凄く時間がかかった事を伝えると)先生は何しているんだ。ネグレクトだ。
等々。
挙句の果てに、”教育委員会に訴えます”と。
そして、実際に市の保育課の人達が来て話を聞かれ、その人たちから話を聞くとお母さん達が苦情を出していたのは
”うちの子どもは自閉症なのに、先生たちは適切な対応をしていなかった。”という事でした。
言っていることが二転三転して、もうどうしたらいいか、、、。
市の職員の方たちにも、今までの経緯をすべて話し、あちらからお母さんたちに話をする、という事になりました。
そしてその数日後、急に”学校辞めさせます”と連絡があり辞めていきました。
その後は、親戚がやっている保育園に入れる、やお父さんが家で保育する、等言っておりましたがどうしているんでしょう。
ある生徒の親から、あの子がおもちゃ売り場で一人で大泣きしているの見たよ、との話も聞いたので心配ではありますが。
その子に合った教育を適切な時期に受けさせられていたら、きっともっとその子にとって良い事にはることには変わりなかったはず。
私が施設実習に行った頃、元施設職員が施設の利用者さん達を襲った殺傷事件が起き、そのニュースを一緒に見ていた職員さんが、こういう事件の加害者って、実は何か障害を持っていた、っていうことがよくある。と言っていた。
実際に、この事件の加害者がどうだったかは分からないが、小さい頃に適切な対応を取られておらず、そのまま成長して社会に出たら、上手くいかない事がたくさん出てきて、どうすればいいかも分からない、という葛藤から事件を起こしてしまう、という事も十分に起こりうるだろう。
私は、障がいは病気ではない。なので、治るものではなく良くしていくもの。だと思っています。
治った、と思い健常児と同じように接していっても、どこかでその子にとって困難な事が出てくると思う。
そして、もしかしたらそれは説明の仕方や方法を少し変えればその子にもできる事かもしれない。
子どもの将来のためにも、その子にとって何が必要なのか考えることも大切だと思う。