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【つの版】日本刀備忘録34:弥彦山神

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

 酒天童子は伊吹山や八岐大蛇、草薙剣と結び付けられ、彼を武士が退治する物語は、武士が正統な朝廷の武力の保有者であることを保証する神話となりました。やがて酒天童子の出生地は伊吹山のさらに東北、八岐大蛇の出身地である高志の国、越後に追いやられていくことになります。

◆雷◆

◆鬼◆


和納異伝

 国上寺と弥彦山の東北、越後平野の西寄り、新潟市西蒲にしかん区に和納わのうという地名があります。ここは蛇行する信濃川が作り出す低湿地で、『古事記』垂仁天皇条に「高志国の和那美わなみ水門みなと」として見え、天皇が人をやって鵠(白鳥)を追わせた時にここに罠網わなあみを張って捉えたとあります。のち輪難野わなのと呼ばれましたが、平安時代に村上天皇の皇子・桃井法親王がこの地を訪れた時、不祥として「和納」と改めたと伝えます。この和納の岩室村に楞嚴寺りょうごんじという古刹があり、酒顛童子が鬼となる前、外道丸と呼ばれていた頃に一時預けられていたとの伝説があります。

 村上天皇には多くの子がおり、第三皇子の致平親王・第五皇子の昭平親王はともに30歳で出家しましたが、桃井法親王とは呼ばれていませんし、越後に来たという事実もありません。国上寺の伝説にいう「桓武天皇の皇子の桃園親王」を真似た架空の存在でしょう。

 和納の伝説によれば、このあたりの川には「トチ(カジカ)」という魚がおり、醜い姿ですが美味でした。しかし妊婦がこの魚を食べると、腹の中の子は男なら大泥棒に、女なら淫婦になるとされていました。外道丸の母は妊娠中にこの魚を食べてしまい、生まれた子は大泥棒どころか鬼になったというのです。また外道丸が川辺からトチを睨むと、トチは死んで浮き上がったとか、それ以来トチの眼はくぼんでいるといった伝説もあります。こうした「片目の魚」の伝説は日本各地にあり、しばしば雷神や鍛冶神と結びつけられます。川に鉱毒が流れて奇形の魚が生まれやすいということでしょうか。

 この伝説は、両親が戸隠山の九頭竜権現に祈って外道丸が生まれたとするよりも古い形を残している可能性があります。すぐ近くには弥彦山の神がいるのですから、遥か信濃の戸隠山に子授けを祈るよりは、こちらに祈る方が自然でしょう。では、この神はいかなる神でしょうか。

弥彦山神

 敦賀以東の北陸道諸国は、古くは「高志こし国」と総称されました。統一された政権があったわけではなく複数の国造が割拠しており、越後国となる領域には南部に久比岐くびき(頸城)国造、北部に高志深江ふかえ国造がいたとされます。大化3年(647年)に渟足柵ぬたりのきが作られるまで、高志国の北端は弥彦山とみなされ、その先は倭国/大和朝廷の支配の及ばぬ蝦夷の領域でした。古事記で八岐大蛇が「高志の」と呼ばれたり、八千矛神(大国主神)が高志の沼河比売に求婚したり、出雲国風土記で大穴持命(大国主神)が「越の八口やつくち」を平らげたとされるなど、高志は考古学的に見ても出雲との関係が深かったようです。

 越後へは陸路もありましたが、より早く着くために海流や風を利用しての海路が古くから利用されました。海路を安全に進むには(岸)に沿うのが良く、位置や方角を知るにはを目標とする(山あて)のが自然です。海と陸の境に聳え立つ弥彦山脈は海上から良く見え、西麓に寺泊てらどまりという港が形成されました。越後国分寺は遥か南西の上越市国府・五智にありましたから、この「寺」はすぐ東の国上寺のことでしょう。

 国上くがみとは当て字で、海から「陸(くが/くにが[国処])を見る」ことを意味します。標高は312.8mほどしかありませんが、海上からは目印となったでしょう。鳥取県東端、兵庫県との境の海岸に陸上くがみという地名があり、丹波/丹後には「玖賀耳くがみみの御笠」という賊徒(土蜘蛛)がいたと古事記にも書かれています。国上山・弥彦山の神は、こうした海陸の交通を司る神としても信仰されていたことでしょう。

 弥彦山の神を祀る彌彦神社の祭神は、社伝では天香山あまのかぐやまのみこととされます。彼は『先代旧事本紀』『新撰姓氏録』等によれば饒速日尊と天道日女命の子で、物部氏の祖神・宇摩志麻遅命の異母兄弟とされ、尾張氏・伊福部氏・六人部氏・津守氏の祖とされます。別名を手栗彦命、高倉下たかくらじといい、古事記・日本書紀では高倉下の名で現れます。彼は神武天皇が熊野で遭難した時、武甕槌神より授かった布都御魂剣ふつのみたまのつるぎをもたらして難を救ったといいます。

 彼のその後について記紀や先代旧事本紀等には記されませんが、社伝によれば神武天皇即位後に越後国に派遣され、寺泊の野積浜に上陸し、民に漁労や製塩、稲作や養蚕を伝えて開拓しました。このため死後は近くの弥彦山に祀られて「伊夜比古いやひこ神」として崇敬されたのだといいます。尾張氏の祖がなにゆえ越後開拓の祖とされたのか定かではありませんが、神武天皇に神剣を奉った伝説のある人物が弥彦山と結びつけられているのです。

『先代旧事本紀』によれば、初代の高志深江国造は崇神天皇の時に派遣された素都乃奈美留そつのなみる命です。仁徳天皇の時には同名の人物が加宜かが(加賀)国造に任じられています。また彼は「道君みちのきみ(四道将軍で高志国に派遣された大彦命の子孫)と同祖」とも「能等(能登)国造と同祖」とも書かれていますが、初代の能等国造は垂仁天皇の孫・彦狭島命ですから年代が違います。

 伊夜比古神を高倉下とするのは後世の付会としても、この神は剣や雷、鍛冶と関連のある神ではあったようです。江戸時代の林羅山の『伊夜日子神廟記』によると、この神は和銅2年(709年)に越後国逃浜に船に乗って漂着しました。船には「大国(異国)」の宝物が積まれていましたが、上陸すると宝物は金子釜かないごがまなどの奇石に変じました。

 伊夜日子神は浜辺の民に歓迎され、ヨネ(米)という娘を娶って12人の子を儲け、岩屋に棲んでいた凶賊・安麻瀬を計略で捉えて従わせましたが、弥彦山へ登った時にウドで眼を突いて片目になり、そのまま弥彦山に鎮座しました。ヨネは夫の後を追いましたが途中で死んでとなり、妻戸神社に祀られたといいます。金子釜といい片目といい、鍛冶神らしさがありますね。

 また『今昔物語集』巻12や『日本高僧伝』によると、奈良時代の修験者で「こしの大徳」と呼ばれた泰澄上人(682-767年)が越後の国上寺を訪れた時、仏塔が落雷でしばしば破壊されました。泰澄が塔を建て直させて法華経を詠むと、雲の中から童子が落下して来ました。泰澄が彼を捕縛させると、童子は「私は雷神である。国上山の神に命じられて仏塔を破壊していた」と白状しました。泰澄は彼に「これから寺の40里四方では落雷がないようにする」と誓わせて解き放ったといいます。

 ただ、これは本来「弥彦山の神が雷神を叱って落雷を鎮めた」という伝説であるようです。古事記などでは雷神は蛇として描写されますが、平安時代の『日本霊異記』や『扶桑略記』ではしばしば童子・小子(ちいさご)として描写されます。これは雄略天皇に仕えた小子部ちいさこべの栖軽すがるが雷神を囚えたという伝説と関わるのかも知れません。

弥三郎婆

 このような神を祀る彌彦神社には、酒呑童子伝説とは別に、鍛冶屋にまつわる鬼女の話が伝わっています。『彌彦神社叢書』等によると白河天皇の承暦3年(1079年)、社殿を建て替えた時に、大工と鍛冶屋の間で棟上式を行う日取りの順番について口論が発生しました。鍛冶屋の黒津弥三郎は「鍛冶屋が作った道具がなければ大工はできぬ」といい、大工は「大工がふいごを作らなければ鍛冶屋はできぬ」といい、弥三郎は「鍛冶屋の道具は天から降って来たものだ」と反論します。そこで妻戸神社の神職が訴訟を受けて裁判を行い、宮大工が勝訴したため、弥三郎は面目を失いました。

 ことに弥三郎の母は憤懣やる方なく、恨みの念を抱いて餓死し、その怨霊が悪鬼と化して、関係者や無関係な者にまで祟り始めます。狂った悪鬼はついに子の弥三郎にも襲いかかり、反撃を受けて右腕を切り落とされます。さらに家に戻って弥三郎の子の弥次郎をさらわんとしますが、弥三郎に見つかって失敗し、風雲を起こして天高く飛び去りました(年老いた母が鬼と化して子を襲う話は今昔物語集にあります)。

 それより後は佐渡・加賀・越中・信濃と諸国を自在に飛行して悪行の限りを尽くしましたが、80年後の保元元年(1156年)に弥彦山に戻り、麓の大杉の根本に横になっていたところ、典海という高僧が通りすがります。彼は鬼女に話しかけ、事情を聴くと諄々と説諭し、罪を懺悔させて善心を取り戻させました。改心した鬼女は「妙多羅天女」の称号を賜り、仏道を守護して悪人を戒め、善人や幼子を守る善神に生まれ変わりました。以後は大杉の根本に居を定め、悪人が死ぬと死体や衣服を枝に懸けて晒したといいます。

 この「弥三郎婆」の類話は日本各地にあり、もとは鬼ではなく狼や猫に化けたとも、狼や猫の化け物が老母を食い殺してすり替わっていたともされ、越後から遠く離れた土佐にも狼の群れを率いる「鍛冶がばば」として伝わっています。まさしく鬼婆・山姥で、襲われる者が鍛冶屋や猟師とされるのも、山で暮らす・山と関わる者たちに伝わる説話であったことを物語ります。襲われる者の名は地域によって異なりますが、彼女の子が「弥三郎」であるというのは、伊吹山の弥三郎を思わせてなりません。

 酒呑童子の出生地が越後とされた理由は、結局よくわかりません。八岐大蛇は高志の出身ですし、伊吹山や戸隠山からも東北(鬼門)にありますし、現地に伝わっていた「鬼子」の伝説が酒呑童子と結びつけられた、と見るのが妥当なところでしょうか。弥彦山の東北、蝦夷の地にも多くの鬼たちがおり、戸隠山や伊勢の鈴鹿山にも鬼女たちがいたといいます。それぞれの伝説は武士や刀剣とも関わりますので、引き続いて見ていきましょう。

◆鬼◆

◆女◆

【続く】

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