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天漢仙槎 #1200文字のスペースオペラ

一書にいう。漢の綏和二年甲寅、黄河が決壊して多数の田宅が水没し、黎民の困窮することは甚だしかった。この時、魏郡のある男が大きな槎(いかだ)を作り、その上に住宅を設け、多くの食糧を積み入れて災害を逃れようとした。槎は洪水に遭うとたちまち押し流され、男は行方知れずとなった。

三十数年が経った漢の建武六年庚寅、その男が隴西に現れたが、少しも年をとっていなかった。たまたま知り合いがいたので事情を語っていうには、槎は洪水に乗って東海へ到り、四方は海で陸地は見えず、何十日も漂流した。魚は釣れず雨も降らず、食糧も水も尽きた時、思いがけぬことが起きた。

気がつくと槎は天河に浮かんでおり、星々が魚のように群れていた。天河の水は酒のように甘く、星を摘んで食べると棗に似ていた。やがて槎は月に漂着して嫦娥の歓迎を受け、仙酒と仙肴を賜ったので身は壮健になった。嫦娥がいうには、月にはしばしば鬼神が来て害を為すので助けて欲しいという。

しかし自分にはなんの力も術もないというと、嫦娥は「あなたが来ることは天帝に定められていました。仙酒と仙肴によってあなたは仙将となり、鬼神と戦うことができます」といい、兵器や甲冑を貸してくれた。男は月の大将軍となって月の兵を率い、金星や火星から攻めてきた鬼神と戦った。

数ヶ月の間戦った後、天帝の使者が来て戦いを調停し、鬼神のおもだった者はみな誅伐を受けた。男は功績によって天帝に召し出され、天将に任命されて印綬と俸禄を授かり、鬼神の捕虜を奴隷として働かせ、月の天女を娶って悠々と暮らした。これが天における絶頂であったが、次に難事が起きた。

捕虜としていた鬼神が妻の天女と密通し、天女は嫦娥に男が横暴で天帝を侮っていると吹き込み、嫦娥は天帝にこのことを上奏した。天帝は機嫌を損ね、突然に男の印綬と俸禄を没収して鞭打ちの刑に処し、その鬼神が代わって天将の印綬を受けたのである。男は天帝に無実を訴えたが無駄であった。

庶人に落とされた男は、もはや天におるのがいやになり、故郷である地上に帰ろうと思った。それで月に漂着したままであったあの槎を探し出し、修築して帆を張り、櫂を用意し、星の海に漕ぎ出して天を去った。槎は帆に風を受けて進んだが、途中で道を誤って、崑崙山に墜落してしまった。

そこから降りて麓につくと月氏や羌の世話になり、西域諸国を次々と東へ行き、ようやく隴西にたどり着いたのであるという。人々は甚だ不思議がり、ある人は「全て出鱈目だ」と言ったが、ある人は「こうして彼がここにいる以上、幾分かは本当だろう」と言って、議論は決着がつかなかった。

隗囂が平定されると、男は魏郡に帰ることが出来たが、家族は皆死んでいた。農民に戻って別段変わった様子もなく、神仙や天界の様子を説くこともなかった。彼は長生きし、明帝の末年に行方知れずとなった。ある人は彼を神仙として祀ったが、社は現存せず、名も伝わらない。

【終わり/1200字】

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