始鮫帝
「徐福よ。不老不死の薬は手に入れたか」
東海を望む地に築かれた高層の宮殿、琅邪台。左右に百官が居並ぶ中、儂は始皇帝の前に平伏していた。三神山の僊人を探せと命じられてから、もう九年が過ぎている。始皇帝がここに来るのも三度目だ。
「侯公と盧生は逃げ、韓終も石生も戻らぬ。役に立たぬ儒者どもは、咸陽で残らず穴埋めにした。残ったのはお前ひとりだ。これ以上待てぬぞ」
始皇帝の声はよく響き、不気味に柔らかく、どすがきいている。豺狼の如き声だ。百官は震撼し冷や汗を垂らすが、儂は顔をあげて堂々と言った。
「はい。蓬莱に辿り着けば、神薬を得られるのは確かです。しかし、いつも大きな鮫魚(さめ)に苦しめられて、到達できないのです」
「鮫魚だと」
「はい。ですが、ご安心を。多数の連弩と上手な射手を船に載せて頂ければ、これを射殺できましょう」
儂がすらすらと虚言を述べると、始皇帝は鼻息を吹き、大声で叫んだ。
「殺せるとな。ならば朕が手ずから射殺してくれる! 船に載せろ! 蓬莱へ直接征くぞ!」
百官がざわめいた。諌めるべきか否か戸惑っている。儂は神妙な顔で深々と頭を下げ、両手を掲げて、さらに虚言を吐いた。
「皇帝御自ら征かれれば、僊人も必ずや薬を献上致しましょう。されば不老不死と成りたまい、永久に天下を治めることができまする」
これはまことに好都合。船の中で始皇帝を殺し、儂らはそのまま悠然と、準備してある東海の彼方の別天地へ逃れればよい。
「よし。案内せい!」
靴音を鳴り響かせ、興奮した始皇帝が駆け寄った。
「あッ」
始皇帝が儂の首根っこを引っ掴み、琅邪台の石段を駆け下りようとした、その時。
「なんだ、あれは」
始皇帝が呟いた。見ると、海の彼方に巨大な、山のようなものが傲然と立っていた。胴体と四肢は人のようだが、頭は……鮫魚に似ている。なんだあれは。儂は頭を回転させ、咄嗟に答えた。
「か、海神でございます! 鮫魚では」
「よし、射殺するぞ」
【続く/800字】
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