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【AZアーカイブ】ゼロの蛮人(バルバロイ)第十一話

「まあいいや、お邪魔するぜ。サー・トラクス」

『開錠』で勝手にドアを開け、ぬしりと入ってきたのは、身長190サントはある巨漢。白髪の短髪を立て、浅黒い肌で筋骨隆々。鉄の槌じみた杖を握り、革のコートと燃えるような気を纏っている。戦士ではなくメイジなのだが、戦士としても充分やっていけるだろう。雰囲気から、年恰好は三十半ばか、四十の頃か。

恐ろしさを増幅させているのは、その顔だ。額の真ん中から左眼を包み、頬にかけて古い火傷の跡。右側は眼帯をしており、堅気ではない事など火を見るより明らかだ。両の眼は光を失っていたが、嗅覚と独特の感覚で人の位置は分かるらしい。トラクスに向き直り、一礼する。

「始めまして、サー・トラクス・オブ・スキタイアン。オレの名はメンヌヴィル。火のメイジであり傭兵隊長。二つ名は『白炎』だ、お見知りおきを」
意外と陽気な声で、メンヌヴィルと名乗る男は挨拶した。
『デルフ、聞き覚えがあるか?』
『昔の持主も傭兵稼業だったから、チラッと聞いたかもな。やばい奴としか記憶にねえが』
相当な使い手だ。魔法ならワルドには劣るかも知れないが、戦場を歩いた経験はワルドの倍以上はあろう。

「なあ、早速だが殺し合わねえか? あんたからは、いい『匂い』がするんだよ。硫黄や硝煙や焼き鳥の匂いより、もっと芳しい、素晴らしい人殺しの肉の香りがさあ!」
「はァア?」
メンヌヴィルは笑みを湛えたまま、いかれた事を口走る。デルフが思わず声を出した。
「オレは人間が焼け焦げる匂いが大好きなんだ。その熱も、またいい感じなんだよ。戦場を駆け回り、老若男女平等に焼いて来たんだが、特に強い男の皮膚と血肉と臓物が焼ける香りがたまらない。興味のある奴は、是非とも一遍焼いてみてえんだ。それがオレの生きる目的であり、愉しみなのさ」

兇悪に笑いながら、巨漢は一方的に話し続ける。
彼に、人としての『温かみ』はない。あるのは燃え盛る狂気だけ。
トラクスがわりと物静かに、冷静に……野菜や果物を切るように人を殺せる男なら、この『白炎』のメンヌヴィルは、人肉を焼くことでその匂いを味わい、陶酔するタイプの殺人鬼。

デルフが怪訝そうな声で、ぼそぼそと通訳する。人斬りは好きだが、いかれた人間は好きではない。

そしてトラクスは『狂気』に取り憑かれているわけではない。その行動は、彼の文化的価値観に拠っているだけだ。殺さなくていい人間は、別に殺さなくてもいい。邪魔物は合理的に排除し、自由と富を追及する。それが強盗や殺人、戦争で手軽に得られるなら、やってみる。それが『スキタイ流』だ。だが、強くて有能な者には従う。そうすれば大きな利益が得られるからだ。復讐以外で無益な事はしたくない。

「俺は疲れている。戦いたくない。休みたい」
トラクスはぶっきらぼうに言い放ち、寝転がる。デルフもベッドの上に抛る。
「つれないねえ。まあ、オレも戦うことが第一目的で来たんじゃあねえ。クロムウェル陛下から、あんたらの手助けをしてトリステインのメイジと戦えって命じられた。あんたを焼き殺すのは、それが終わってからにするさ。……なあ、でもちょっと手合わせしねえか?」
本気らしい。冗談ではない、えらい仲間が来たものだ。
「げひゃひゃひゃ、モテモテだぜトラクス。むさい野郎ばっかりだがよ」

「ま、ままままま、メンヌヴィル殿。ここは私の顔に免じて」
後ろからユリシーズが現れ、仲裁する。彼の魔法で、薄い水の壁が二人の前に張られた。
「ああ、分かってるって。今日は顔合わせに来ただけだよ。一ヶ月も人間を焼くなって言われると、どーも調子が出ねえんだよな。二、三人、死刑囚とかいねえか?」
「まままま、今度焼肉でも食べましょう。家畜の肉もいい香りですし。ああ、サー・トラクス。そんなわけで、ミスじゃなかったデイム・マチルダと並ぶ強力な助っ人です。この方の部下を数人護衛に回してもらいますんで、ゴロツキを気にせず外出できますよ」

やれやれ。まあ、自由に外出できるのは有難い。どうせこいつの部下だから似たりよったりの傭兵だろう。戦いの連続で疲れた体を、リフレッシュしたいものだが。
「ところで、フーケ、いや、マチルダは?」
「彼女は旧領に用があるとかで、故郷サウスゴータへ里帰りですよ。サー・トラクスも行かれます? ご実家はもう残っていないそうですが」
「……いや、いい。あいつにも都合があるだろう」
「そうですか。じゃあ、また来ます。何か用事があれば呼んでください」

俺のような蛮人が付いて行けば、双方にとって碌な事にならん。
故郷、家族か。

スキタイからもギリシアからも辺境に当たるトラキアで、トラクスは生まれた。土着のトラキア人も馬に乗り戦うが、組織された軍隊ではない。双方から侵略され、奴隷の供給地になっている。スキタイの家族は移動牧畜民だ。王族スキタイのような豪勢さも、農民スキタイのような貧困もない。自由民として牧畜や商売を行い、足りねば略奪して増やす。素朴で荒々しい世界だった。

マケドニアやギリシア人たちとの小競り合いもあったが、戦闘技術に優れたスキタイは必ず勝つし、負けない。昔ペルシア帝国が何十万という大軍で攻め寄せたときなど、焦土作戦で撃退したほどだ。だが、近頃は東方からサルマタイとかいう連中が来て、黒海の北側を荒らし始めたという。スキタイもキンメリアのように、南下した末に呑み込まれて滅びるのかも知れない。

「帰れるのかな……俺は」

帰ったところで、俺が捕らえられて奴隷に売られた時点で、親兄弟は殺されたか、別々に売られた。俺は剣の腕もあって警戒され、手足に鎖を付けられてしまった。あのクソ奴隷商人め、酷い事をしやがる。この戦で手柄を立てて貴族様になって、退役したら領地経営で安穏と日を暮らすか。それも退屈そうだ。烙印のせいで女は抱けないし。

いい馬を貰って、どこか遠くへふらりと旅してみたい。ガリアやゲルマニアや、その東へも。マチルダやルイズは置いておこう。デルフがいればなんとかなる。多分。

トリステイン王都、トリスタニアの王城。その一室で、連日秘密会議が開かれていた。出席者はアンリエッタ王女とアルビオンのウェールズ皇太子、マザリーニ枢機卿、ラ・ヴァリエール公爵。そしてワルド子爵だ。ただ、王女は親友の危機に気が沈み、子爵は発言を自重している。

「状況は芳しからず、ですな。ウェールズ殿下」
「そうだね、枢機卿。ミス・タバサという諜報員を内部に持てたのはいいが、軟禁されていてはたいした情報は入らん。それに、筒抜け部分が分かっているから、偽情報も送ってくるはずだ」
「問題は、我が国内の内通者。『レコン・キスタ』と通じ、機密を漏らす不届き者を焙り出さねばならん」
「軍資金は、彼ら反逆者や不正貴族を粛正して搾りたてるのがいいだろう。 平民に重税を課せば危険だし、王権の強化にもつながる。若く有能な者はどしどし登用だ」
「国内改革が進んで、いいやら悪いやらですな。危機も逆手に取ってみるものです」
「余り締めつけても、貴族どもが不満を持ちましょうが……」
「内乱の芽も早めに摘まねば、我が国のようになりかねないよ。いや、焙り出すために一度蜂起させても……」

まったく、こんな事になろうとは。
実を言えば、かつてワルドも『レコン・キスタ』から勧誘を受けていたが、断った。『虚無の担い手』らしいルイズのこともあるし、『聖地』への道はロマリアやガリア、ゲルマニアからも通じている。ラ・ヴァリエール公爵家の婿となり、マザリーニ枢機卿のように平和裏に国の実権を握れれば、越した事はない。綺麗事で世間は渡れないが、物事の道理というものはあるのだ。亡き両親もよくそう言っていた。

後は、半年もしないうちに襲来するであろう『レコン・キスタ』との戦争で功名を立て、ルイズを取り戻し、結婚だ。……なんなら、姉のカトレア嬢でもいいが。エレオノール嬢はちと勘弁して欲しい。

「ワルド子爵。聞いているかい?」
「え、ええ。ガリアとゲルマニアについてですね」
「うむ。今回の貴族反乱は、クロムウェル一人の策謀ではあるまい。どちらかが糸を引いているはずだ。怪しいのはこの二大国、ことにガリアだな。ゲルマニアは先年まで内乱続きで、それどころではなかろうし」
「『無能王』のガリアが、ですか。側近は有能なのかも知れませんが」
「無能を装って、腹の中では何を考えているやら。まあ、結ぶならゲルマニア皇帝がましだな。成り上がりめ」
「大義名分はこちらにあります。皇帝もクロムウェルに攻め込まれるのは癪でしょう」

「それと、両殿下。婚姻の儀を進めておりますが、一度『レコン・キスタ』を叩いてからがよろしいか、出陣を前にしてがよろしいか? アルビオン王党派や国内の士気にも関わりますので」
「アンリエッタ。聞いているかい?」
「は、はいっ! え、あの」
急な話に、アンリエッタは顔を真っ赤に染める。二人が恋仲である事は、皇太子の亡命によって知れた。
「おお、それはよい。両王家は始祖ブリミルの正統なる後裔、家格も年頃も申し分ない。まったく、我が公爵家の三人娘も、いつになったら身を固めてくれるやら」

「そ、そうですね。ですけれど、一度敵にダメージを与えてからの方が、よろしいかと。強大なアルビオンの空中艦隊に加え、無数の竜騎士やメイジ、恐ろしい例の蛮人もいるのですから」
「かの『ガンダールヴ』こと、スキタイ人のトラクスか。近頃はトリスタニアの街中でも、知らない人はいないよ。なにやら物凄い怪物になってしまったがね。トラクスが来るよ、と言えば泣く子も黙るそうだ」
アルビオン以前に魔法学院でも大暴れしたため、噂は増幅されて『人喰い怪獣トラクス』になっていた。学院に建てられた慰霊碑には、(ルイズのことはないが)トラクスの実際の所業が細かく刻まれているとか。

「ま、奴らも難癖をつけて攻め寄せてくるはず。ゲルマニアとの同盟工作も進めています。我がトリステインが弱敵ではないと、『若僧』クロムウェルどもに知らしめてやりましょう」
『鳥の骨』マザリーニ枢機卿が、にやりと笑った。

《『王宮日誌 シャルロット秘書録』より》

「何だ、タバサか。珍しいな。俺に用か?」
ハヴィランド宮殿の一室。私は『サー・トラクス』の部屋に、監視の女官とユリシーズ付きで訪問した。
「貴方の話が聞きたい。好奇心」
抑揚のない声で告げる。トラクスは、相棒のマチルダやデルフとはよく話したが、ルイズはともかく私とはほとんど話していなかった。

「お前が、話しかけてこないからだ。用もないのに喋る事はないが、無口が過ぎる。誰といても本ばっかり読んでるしな。俺は文字を読めないんだが」
「そうそう!せめて俺様の10分の1は雄弁になれよ。暗い女は嫌われるぜ」
「お前の100分の1で充分だ。少し黙れ」
とはいえ、毎日の掛け合いで異国語の習得が上手くなったのは、デルフのおかげでもあろう。

「本は好き。誰にも邪魔をされず、行ったこともない場所の、遥かな過去の知識でも教えてくれる。論理的な思考法も、無数の人の情緒や感情の動きも分かる。発明や発見、失敗と成功、人生と死後、従うべき法律や社会の倫理、そして異なる文化。一生の間に読めるのは、書物全体の中の、ほんの一部分なのかもしれない」
同じトーンで訥々と話す。トラクスに語っているのか、自身へ向けてか。
「でも、書物に書いてある事なんて、世の中全体の中のほんの一部分。だから、貴方の話を聞きたい。私は、それを書き記して、後世に残す」

そう、私は『知る事』が好きだ。学者になりたいわけでもないが、好奇心は人並以上にある。母の事がなければ、そうした研究者の道に進んでいたかも知れない。ユリシーズが少し驚いている。
「へええ、ミス・タバサがこんなに人前で話せるなんてね。スキタイの事ですか。私も興味がありますね、聞いたこともない地名だか民族だかなので。
サー・トラクスの武勇譚も、是非諸国に知らしめたいものですよ」

トラクスはデルフに通訳され、ふっと笑う。私によく見せる表情だ。
「お前のような奴を、前に奴隷をしていた、ギリシア人の街でも見かけた。 男の子供で、裕福な市民の子供らしかったが、どこか俺に似ていた。ひょっとしたら、スキタイだったかもな。……俺がいたのは、スキタイ人の住む中でも辺境だ。トラキア生まれの、トラクス」
穏やかな表情で、トラクスは語り出した。私とユリシーズは、それを速記していく。上手く訳しにくい所は、デルフが代わりに話す事もあった。

これが後のベストセラー、『蛮人トラクス伝』である。

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