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【つの版】度量衡比較・貨幣120

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。

 今回は、江戸時代前期(17世紀、元禄より前)の貨幣と物価についてざっくり見ていきましょう。とはいえ金・銀・銭・米などの相場や物価は日々変動しており、時代や地域によってもまちまちなので、おおよその目安です。あなたがこの時代の日本に転移した時の参考にしてください。

◆銭◆

◆ゲバ◆


物価上昇

 前述のように、徳川家康は慶長14年(1609年)に御定相場を制定し、金1両=4分=16朱=銀50匁=銭4貫文=米2石としました。米1石=銀25匁=銭2貫文、金1分=銭1貫文、銭1匁=80文です。それから40年後、徳川家光の晩年にあたる慶安3年(1650年)には、およそ金1両=4分=16朱≒銀63匁≒銭3.9貫文、銀1匁≒62文でした。銭に対して銀が安くなっています。

 大工の日当は、16世紀後半には米1斗≒銭100文、慶長・元和年間(1596-1623年)には銀1匁(80文)です。しかし寛永7年(1630年)には銀1.6匁(1匁62文として99文)に上昇しています。銀の重さにして1.6倍、銭の枚数にして19枚増えたのです。

 大坂における米1石の相場は、慶長5年(1600年)には銀10匁(800文)ですが、10年後には18匁(1440文)に倍増し、元和6年(1620年)には29匁、慶安3年には32匁(1984文)です。これは金0.5両、銭2貫文弱に相当します。酒や塩の値段もこの頃に倍増(1升あたり酒20-30文から40-60文、塩5-10文から10-20文)しているので、江戸初期より銀や銭は労賃や物価に対し安くなった(労賃や物価が上昇した)ことになります。

 現代日本での大工職の日当は1万円前後(親方なら倍)ですから、1匁=80文が1万円とすると1文=125円、1.6匁=99文なら1文≒100円で、1匁≒62文≒6200円、銭1貫文≒10万円、米1石≒2貫文≒20万円となります。

 なお織豊時代から江戸時代前期には織田信長が制定した京枡(1.74リットル)が公定の枡とされていましたが、寛文9年(1669年)に新京枡(1.8039リットル)を採用しました。1石=10斗=100升=1000合ですから、1石は古京枡では174リットル、新京枡では180.39リットルになります。米1升は大人2人家族の1日分に相当し、1石で100日です。

 しかし10年後の万治3年(1660年)には米1石が銀69匁に高騰し、幕府は俸禄米の公定価格を「米1石=金1.4両」としています。これに連動して大工の日当は銀3匁に倍増しました。これが1万円相当とすると、金銀や銭の価値は寛永・慶安年間の半分から1/3に下落したわけです。すなわち金1両≒銀60匁≒銭4貫文≒20万円1貫文≒5万円(1文≒50円)で、米1石=銀69匁≒28万円となります。その後も物価と労賃の上昇≒貨幣価値の下落は続き、18世紀には物価がさらに3倍になっています。まあ戦後日本でも半世紀前と現代で相当に物価や労賃が違いますし、200年も経てば変化は当然ですが。

物価変遷

 つまり、整理するとこうなります。

慶長・元和年間(1596-1624年)
 金1両≒銀50匁≒銭4貫文≒米2石≒50万円
 1貫文≒金1分≒銀12.5匁≒12.5万円、1文≒125円
 金1朱≒銀3.125匁≒250文≒3.125万円
 銀1匁≒80文≒1万円(日当)

寛永・正保・慶安・承応・明暦年間(1624-1658年)
 金1両≒銀64匁≒銭4貫文≒米2石≒40万円
 1貫文≒金1分≒銀16匁≒10万円、1文≒100円
 金1朱≒銀4匁≒248文≒2.48万円
 銀1匁≒62文≒6200円 銀1.6匁≒100文≒1万円(日当)

万治・寛文年間(1658-1673年)
 金1両≒銀60匁≒銭4貫文≒米1石≒20万円
 1貫文≒金1分≒銀15匁≒5万円、1文≒50円
 金1朱≒銀3.75匁≒251.25文≒1.25万円
 銀1匁≒67文≒3350円 銀3匁≒200文≒1万円(日当)

慶長・元和年間(1596-1624年)
食料品等
    1升         1石(100升)
 米 :20文(2500円)    2貫文(銀25匁、25万円)
 塩 :4文(500円)     400文(銀5匁、5万円)
 大豆:9.6文(1200円)   960文(銀12匁、12万円)
 酒 :24文(3000円)    2.4貫文(30万円)
 味噌:65文(8125円)    6.5貫文(81.25万円)
 油 :112文(1.4万円)   11.2貫文(140万円)

 豆腐1丁:4-10文(500-1250円) 約1.2kg、現代の4丁に相当
 薪 1束:銀1匁(1万円)
 布 1反:銀2匁余(2万円)

平戸からシャム(タイ)への輸出品
 小刀1振:金0.5両(25万円)
 鉄砲1丁:金2.5-3両(125-150万円)
 武具1具:金4.5両(225万円)

遺産等
 慶長 3年(1598年)、秀吉の遺産
  金9万枚+銀16万枚=金106万両(5300億円)
 慶長17年(1612年) 名古屋城天守の金鯱1対
  慶長大判1940枚分(純金215.3kg)≒金1万9400両(97億円)
 元和元年(1615年)、大坂落城時に接収された財産
  金2.8万枚+銀2.4万枚≒金300万両(1.5兆円)
 元和 2年(1616年)、徳川家康の遺産
  江戸に400万両、駿府に200万両、計600万両(3兆円)
寛永・正保・慶安・承応・明暦年間(1624-1658年)
 米 1石:2貫文≒32匁(20万円)
 日当  :1.6匁≒99文(1万円)
 銀1貫目:1000匁=62貫文=620万円

 大豆1石:銀37匁(22.94万円)
 油 1石:銀30匁(18.6万円)
 布 1反:銀3匁5分(2.17万円)
 そば1食:6文(600円)
 銭湯代 :6文

寛永9-11年(1632-34年)、日光東照宮の造営費
 金56.8万両(2272億円)+銀100貫(10万匁、6.2億円)+米1000石(2億円)
承応3年(1654年)、玉川上水の建築費用:1万両(40億円)

 同時代の欧州では銀10gが現代日本の1万円相当ですから、銀3匁(3.73×3=11.19g、銀純度8割として8.952g)で1万円ならほぼ世界標準です。ポルトガル人やオランダ人、唐人は日本の金銀を安く買って儲けていましたが、それも難しくなってきました。

 ただこの頃、戦国時代以来隆盛を誇った日本の金銀産出量は減少していました。鎖国中とはいえ対外貿易で金銀が流出し、国内経済の発展に伴い貨幣需要は増大したものの、銅銭以外の供給が追いつかなくなっていたのです。幕府は金蔵から莫大な金銀を放出しますが追いつかず、元禄7年(1694年)には寺社造営費がかさんで10万両を超える財政赤字となり、元禄8年(1695年)にはついに慶長以来の金銀貨幣の改鋳を行います。

 慶長金銀は品位8割以上でしたが、元禄金銀は6割前後しかなく、市場に出回る金銀の数量は増えたものの、「グレシャムの法則(悪貨は良貨を駆逐する)」が働いて貨幣制度は混乱し、物価が高騰しました。また幕府は元禄改鋳によって500万両もの利益を得たものの、飢饉や火事・地震などへの災害対策費として流出し、幕府財政の窮乏は続いています。

分限長者

 元禄元年(1688年)に出版された井原西鶴(1642-93年)の『日本永代蔵』によると、資産が銀200貫目以上の者を「金持ち」、銀500貫目以上の者を「分限ぶげん者」、銀1000貫目以上の者を「長者」と呼びます。1貫目は1000匁ですから、1匁を3350円とすれば1貫目は335万円、金にして16.7両ほどです。すなわち銀200貫目は6.7億円(3340両)、500貫目は16.75億円(8350両)、1000貫目は33.5億円(1.67万両)となります。資産が金1000両(2億円)なら千両分限、1万両(20億円)で万両分限です。

 現代では不動産や消費財等を除く投資可能な資産が100万ドル(1.4億円)を超えていれば富裕層(ミリオネア/百万長者)、3000万ドル(42億円)以上なら超富裕層と定義されます。日本ではそれぞれ1億円と5億円で、2019年時点ではそれぞれ124万世帯と8.7万世帯、合計2.56%ほどです。

 同じく『日本永代蔵』には、鯛の値段の話が出てきます。商家では商売の神である恵比寿様を年2回祀り、祝儀として焼き鯛を振る舞いますが、内陸の京都では鯛1尾が2.5匁(167.5文≒8375円)ほど、5つに分けた1切れが0.5匁(1675円)もします。恵比寿講の時期にはさらに高騰し、この頃に江戸で鯛を買うと金にして1両2分(30万円)にもなりました。

 江戸のとある銭店(両替商)につとめる伊勢山田出身の14歳の丁稚がその1切れを押し頂いて、「江戸に来て奉公すればこそ、こんな贅沢ができる。小判1両の相場がいま銀58匁5分として、1両2分の鯛のうち11切れの1切れなら、銀7匁9分8厘(約536文≒2.68万円)。まるで銀を噛むようなものや。塩鯛や干鯛でももとは生なのやから、祝う気持ちも腹具合も同じやないか」とつぶやきました。主人はこれを聞いて喜び、見どころがあるとして彼を養子に迎えます。彼に経営を任せると、果たして3000両(6億円)の資産が15年で10倍に増え、3万両(60億円)の長者になったといいます。

◆銭◆

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【続く】

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