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中国で作られたモンゴルの民話。『「スーホの白い馬」の真実』ミンガド・ボラグ

我が家にもある『スーホの白い馬』の絵本。赤羽末吉さんの挿絵がすばらしくて、でもちょっと悲しい馬頭琴のお話。これがまさか、モンゴル人には違和感ありまくりの、中国製の物語だとは知りませんでした。

著者は中国内モンゴル自治区シリンゴル生まれで、1999年に留学のために来日。今は大学でも教えたり、日本とモンゴルの文化を比較研究したり、馬頭琴演奏者としても活躍されている方だそうです。

最初に日本で『スーホの白い馬』を読んだ時、すごい違和感を感じたけれど、モンゴル人といえど、やはり現代っ子だったのでどこがどうおかしいのか言葉で説明できず、実際に大学で勉強したり、地元のモンゴルへ戻って取材した結果をまとめたのがこの本だそうです。

この本で私がおもしろいと思ったのは2点。まず、作画の赤羽末吉さんが、戦時中に「旧満州」に住んでおられたということです。あの迫力ある赤羽さんの絵は、なるほど現地を見た人ならではだったということですね。

戦時中、日本軍は「満州」のモンゴル族のいる地域をまとめるために、チンギス・ハーン廟を建設することを計画し、そこの壁画を赤羽さんを含む数名の画家に依頼したとのこと。そのとき、現地をたくさんスケッチしたものが戦後に活きたようです。

そして、赤羽さんが取材した年が偶然、大旱魃だったので、赤羽さんが描く『スーホの白い馬』は青々とした草原の絵が1枚もないのだとか。確かに、絵本を見返してみると、一面茶色の枯れ草色ばかり。全く気がつきませんでした。

もう1つ驚いたのは、『スーホの白い馬』の原型になる物語が、実は「白い馬の物語」と「馬頭琴の伝説」が2つあって、どうも中華人民共和国ができた後に、この2つを結びつけて共産党らしい話をつくったらしいのです。

まず、モンゴル人の名前にスーホという音はなく、あるとしたらスフとかスへスケ。これは『スーホの白い馬』の文章をつくった大塚勇三さんが、中国語の『馬頭琴ー内蒙古民間故事』(1956年)を参考にしたので、中国語の蘇和(suhe)をスーホとしたそうです。ちなみに、スーホはモンゴル語での意味。

次に、遊牧民の生活や馬の習性についても間違った記述が多いようです。例えば、①絵本のスーホは日暮れに白い子馬を拾いますが、草原では明るいうちに放牧をやめないと狼に襲われます。なので、暗くなった草原で子馬を拾うシチュエーションがありえません。

②また草原では、馬の群と狼の群がたたかうことはありますが、円陣を組んで子供を真ん中にし、雄馬が強力な後ろ足を使います。絵本のように1対1で前足を立ち上げて狼を威嚇することはありえません。そもそも、狼がきたら、馬より先に猟犬が威嚇します。

③絵本では、モンゴルの王様が競馬で1位になった若者を娘と結婚させるとお触れを出しますが、モンゴルの競馬は20~30kmの長距離が普通で、乗り手は10歳前後の体重の軽い子供が常識。なので、競馬で婿探しはありえません。

④なにより、モンゴル人にとって馬はとても特別なので、逃げた白い馬の足が速すぎて捕まらないからといって、絶対に射殺したりしません。そもそも、背中に鞍が載って手綱を引きずっている馬は、邪魔な荷物を載せた状態なので、一瞬で捕まるそうです。そういう知識は、馬と日常的に接しているモンゴル人でないとわかりませんよね。

主なものだけでも、こんなにたくさん間違いのある『馬頭琴ー内蒙古民族故事』という本の物語。それを、戦後の良心的な日本人が、西洋の絵本だけでなく、ちゃんとアジアの本も翻訳してお互いの理解に役立つようにと絵本にして、それが超名作として知られているというのは、歴史の皮肉でしょうか。

余談ですが、この本には、私が以前大好きだったモンゴルを題材にした小説に『神なる狼』(中国語:狼図騰)も出てきます。文化大革命中にモンゴルに下放された漢族青年が、モンゴルの老人に草原で受け継がれている知恵を教えてもらいながら、だんだんモンゴルを理解していくのに、最終的には中国共産党の政策で草原が荒らされ、狼もいなくなるという物語。

世界中で評価され、中国国内でもベストセラーになって海賊版まで出た本ですが、なんと、これもモンゴル族から見れば間違いだらけなのだとか。その後、映画化されたときの改編の酷さは聞いていましたが、そもそも原作から違うとは。ショックでしばらく、立ち直れそうにもありません。


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