DAVID-OFF/大熊杜夫

2020-2023中国の大学に本科生として正規留学。専門分野は中朝関係。noteでは旅…

DAVID-OFF/大熊杜夫

2020-2023中国の大学に本科生として正規留学。専門分野は中朝関係。noteでは旅行エッセイを掲載しています。

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ウイグル旅行を振り返って──中華民族のディストピア

 先日、noteでウイグル旅行記を前後編に分けて2篇投稿した。  概ね4日間の旅行は私の抱いていた従来のウイグル観を大きく崩すと共に、一つの結論を導き出させた。つまりこの2023年のウイグル自治区(少なくとも主要都市圏)は、既に"従来の民族文化が全て浄化されたディストピア"なのではないかと言うことだ。これについて端的に述べていきたい。 ①監視体制の弱体化・縮小化  従来、ウイグル自治区のイメージといえば監視カメラが縦横無尽に張り巡らされ、警察が数十メートルおきに常駐する

    • 2023年度を振り返る──行動力と巡り合わせと

       早いもので2023年度も今日で終わり、明日からはいよいよ私の同級生がドシドシ社会人になっていく。他方私は新たな大学でとはいえ学部3年生を続けるわけだが…。  とはいえ、ここに至るまでの一年間は確実に私の人生で最も大きな変化があった1年と言っても過言ではない。今回はそれを振り返りつつ、そこに至るまでに最も大切だった「行動力」の大切さについてつらつら書いていきたい。 〜6月 先の見えない不安の中で  思えばこの時期が一番しんどかった時期だろう。中国にいる中で思うように言語能

      • タイ──微笑みの山を越えて①

         「低い国だな」午後9時、初めて見るタイの上空はその一言に集約された。光が地面のひび割れのように縦横無尽に伸びていく様は、ここが私が今まで訪れたどの国とも似ていないという事実を伝えるには十分だった。隣の席の(多分大学生だろうか)男性にスマホを託され、夜景の写真を代わりに撮ったりしていると、飛行機は首都バンコクに位置するスワンナプーム国際空港に着陸した。 ​ タイ王国。東南アジアに位置する国の中では、海外から多くの人が訪れる観光地としても有名な仏教王国である。今回私は、さる友

        • 今こそ日朝首脳会談を考える

          Twitter(現X)を眺めていたら衝撃的な内容を韓国メディアが報じていた。『[속보] 김여정 "日 악습 털어버리면 총리 평양방문 날 올수도"』日本側が態度を改めれば、日本の総理が平壌に訪問する日が来るというような内容で、日朝首脳会談に向け、朝鮮高官が具体的な言及をしたと見ることもできる。  私はチョソンクラスタとしても、日本政局オタクとしても末席中の末席ではあるが、自身の備忘録がてら、この日朝首脳会談について、日本側の動きを中心に考えていきたい。 もしかして伏線?日

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        • 中国──あの日、あの時
          14本

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          帰郷──寒空の騒がしき夜

           あと3ヶ月で就職する友人らとの新年会を終え駅に着いたとき、上りホームの蛍光灯は完全に消え、自動販売機の灯りだけがホームのアスファルトを照らしていた。時計を見やると0時を回ろうかとしていた頃だった。  ホームに降りたのは10人を少し超えるくらいだろう。駅の規模にしてはえらく閑散としているこの時間が一番好きだ。社会も、街も眠りにつこうとする静かな時間に、私は家路に着く。  駅を出るとすぐのところにあるコンビニに立ち寄る。大体夏は暑さを、冬は寒さを凌ぐついでに夜食を買うコンビニ

          帰郷──寒空の騒がしき夜

          私は何者になれたのだろう──或いはまだそれを考える立場にない

           私は何者になれたのだろう。半ば中途で留学から帰ってきて、新たな大学に編入するまでの半年間──さらにいえば大病を克服してからくらいか──ずっとこの疑問をどこかに持っていたように感じる。  日本に帰ってきて、講演をする機会を得たり、色んな方に知り合えたり、遂に個人誌を刊行して、当初思ったよりはるかに大きな成果を得て2023年を終われた。  対して24年が始まって10日あまり。去年のような狂騒は嘘のように静まり、全てをやり終えた満足感から、ふと我に帰ると心の底にあったこの疑問に

          私は何者になれたのだろう──或いはまだそれを考える立場にない

          ハガキの中の2023─年賀状と夜は更ける

           スーパーや書店でインストアレンジのクリスマスソングが流れる頃、毎年恒例となっている年賀状の入稿が終わった。ここ数年はいつもクリスマスの時期に年賀状が届いては、宛先を確認して本局に持っていく準備をするのが定番になりつつある。  しかし今年は年賀状の宛先が一気に多彩になったな。従来私の年賀といえば同級生が中心だったが、今年はお世話になった諸先生方や新たに知り合った方々を中心に、宛名欄を通じて世界が広くなったことを実感した。  今年を思えば、中国にいた頃は悩みの連続だった。あ

          ハガキの中の2023─年賀状と夜は更ける

          延安──革命の食都

          山奥の小さなこの街が、新中国建国につながる大きな原動力を育て上げたのか。西安から延安に向かう高速鉄道から見える景色は、思わずそう考えさせてしまった。西安を出た頃に見えた田園風景はすっかり険しい山々の稜線へと変わりつつあった。 革命根拠地として  延安は建国の父である毛沢東が、国共内戦の最中に辿り着いた都市であり、中国共産党中央委員会が置かれ、彼はここで"革命家"としていくつかの主要な論文を書き上げるに至った。後にこれが新中国建国を後押しする理論的支柱となり、そのDNAは今

          延安──革命の食都

          中朝国境──豆満江に響く朝鮮鉄路の笛

           4月に入ったにも関わらず、寝台列車のコンパートメントには冷たい冬の風が入り込む。「私は丹東の出身でね。まだこの地域はずっと冬だよ」と話したっきり、同部屋になった東北人のおばあちゃんはじっと雪の残る東北の大地を眺めていた。 丹東駅朝8時  朝8時前、列車は朝鮮との国境都市である丹東駅に滑り込んだ。あいにくの雨模様で傘を持っていない。仕方ない、駅についた感慨にふける間もなく、駅横にあるホテルに駆け込んだ。  中国の良いところはホテルの時間貸しが一般的になっており、数時間しか

          中朝国境──豆満江に響く朝鮮鉄路の笛

          中国──あの日に、あの国に

           11月1日、中国から帰国した私にとって一番大切な編入試験の合否発表。中国関係に強いと評判の大学を受け、緊張とは裏腹に寝ぼけ眼越しに映ったのは「合格」の2文字だった。  お世話になった方や応援してくださった方に感謝のメッセージを送りながら、自分はまた中国に関わる人生を選び直したのかと、思わず苦笑してしまった。  思えば中国という国を認識したのは小学校1年生だった。北京オリンピックが開かれる一年前、同級生のKくんが夏休みに中国に旅行したという話をしていたことを覚えている。万里

          中国──あの日に、あの国に

          李克強同志安らかに。あの中国の日々よ

           休学してからというものの、どうしても昼頃に起きる毎日が続いている。今日の昼頃起きてスマートフォンを見てみると、やけに多いLINE通知が目立って気になったが、すぐにその答えがわかった。中国の前国務院総理、李克強が急逝したという。68歳、余りにも唐突な最期だった。  李克強は文化大革命終了後、当時働いていた鳳凰県の主席として高考を通過、北京大学法学部でもその才覚を示し、エリート党員として瞬く間に出世していく。90年代以降は彼の経済に関する知見などが高く評価され、温胡体制の時代

          李克強同志安らかに。あの中国の日々よ

          あの懐かしき1年に思う──江沢民の葬送ラッパ

           早いもので私が中国に旅立ってからちょうど1年を迎えた。去年の今頃、飛行機から見えた中国大陸は赤茶けた不毛地帯だった。  今思えばこのコロナ禍で中国という国は大きな転換期を迎えた。新型コロナウイルスが流行する前、中国の経済的・国際的な力は強大であり、将来性のある国だと思われていた。今当地に留学している人の多くはその時代のイメージを中国に持ち、彼の国へ旅立ったのである。もちろん私もその1人だった。  コロナウイルスは中国という国が我々西側諸国とは全く異なる価値観に成り立った国

          あの懐かしき1年に思う──江沢民の葬送ラッパ

          雲南─麗しき"金三角"

           中国雲南省。中国国内で最も多くの少数民族が居住するこのエリアは、南方情緒を色濃く残す、中国でも異色の土地だ。  北京市が40℃に迫ろうとしている6月の半ば、雨季の様相を呈する雲南省に私はいた。 北の首都から熱帯の中国へ  北京市から飛行機で3時間、雲南省昆明市。省都にして一帯一路・中国=ラオス運命共同体の拠点にもなっているこの街は、流石というか中国の地方都市の中では比較的規模が多い印象を受けた。  機外に出ると、熱帯気候らしく湿気を充分に帯びた風が通り抜ける。いつも東北

          雲南─麗しき"金三角"

          "日中友好人士"であることを諦めた先に

           思えば去年留学して、今年帰国するまで、さらに言えば留学を始める前まで、私は常に日中友好人士であろうとしていた。しかし帰国して、生活が落ち着いて改めて考えた今、私は日中友好人士であることをどこかで諦めたのだと感じた。  そもそも友好人士とはなんなのか、これをずっと私は考え続けた。ただ相手のことを盲目的に好きになれば友好になるのか、いやそうはならないだろう。日中双方をマーケットに持つ企業で働けばいいのか、いやそうはならないだろう。etc…。  考えた末、私にとって日中友好の架

          "日中友好人士"であることを諦めた先に

          日本人留学生よ、日本を学べ

           海外留学といえば、もちろん留学する国の言語を学び、文化を学び、その国はなんたるかを知ることが一般的だ(もちろん世の中には、就職とかの箔をつけるために留学する人もいるが、それは論外として扱わない)。しかしながら、実際に留学して思うのは、やはりそれらを知るためまず必要なのは「日本について学ぶ」ことだと実感する。 日本を学ぶことに慣れない日本人  壮大な括り方をしたが、実際日本人は日本を学ぶことに慣れていないと強く実感する。そもそも日本という国は、なんだかんだ言っても先進国と

          日本人留学生よ、日本を学べ

          甲府──中国から北朝鮮を学ぶということ

           先日、甲府で行われた宮塚コリア研究所の創設10周年記念講演会で、末席ながら中朝国境地帯の現状についてちょっとした講演を行なった。その後、講演後の休憩時間や懇親会では渡航した地域などを中心に多くの方からご質問を頂き、自分の講演が少しでも役に立ったのだと実感できたことはとても嬉しかった。  さて、講演で中朝国境地帯について触れたように、中国と朝鮮の関係というのは切っても切り離せるものではない。起りを辿れば、朝鮮という国が初めて経験した戦争にして国難たる祖国解放戦争(日:朝鮮戦

          甲府──中国から北朝鮮を学ぶということ