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タイ──微笑みの山を越えて①

 「低い国だな」午後9時、初めて見るタイの上空はその一言に集約された。光が地面のひび割れのように縦横無尽に伸びていく様は、ここが私が今まで訪れたどの国とも似ていないという事実を伝えるには十分だった。隣の席の(多分大学生だろうか)男性にスマホを託され、夜景の写真を代わりに撮ったりしていると、飛行機は首都バンコクに位置するスワンナプーム国際空港に着陸した。

​ タイ王国。東南アジアに位置する国の中では、海外から多くの人が訪れる観光地としても有名な仏教王国である。今回私は、さる友人らの誘いを受けるカタチで初めて東南アジアの土を踏むこととなった。

​あゝ、悠久の古都よ

蛇行した川を見るとここが平地であることを感じる。

 バンコクの安宿で一夜を明かしたあと、一路スワンナプーム国際空港へ戻る。ここでまるで関西の肉吸いのような味がしなくもない、どこか懐かしい米粉麺の料理で朝兼昼食を済ませると、飛行機でタイ北部の大都市チェンマイに向かった。
​ チェンマイに向かう機窓もタイののどかな田園風景をずっと映している。思えば私が旅行していた中国などは、大体どの都市も人口に見合わない規模のビルが都市の一角に位置する光景を見ることができたが、タイではそのようなことはまずない。のどかな田園風景がひたすら眼下に広がる。

タイ版の地蔵尊と言ったところなのだろうか。

 チェンマイはタイ王国でも歴史ある旧都である。都市圏には往時を偲ぶ遺跡も多く残されており、まさに京都のような街だろう。空港で荷物を待っていると欧米系の人が多いのが目についた。アジア圏でも観光立国として知られるだけあり、エスニックで神秘的な東南アジア像を求める人には人気なのだろう。
​ チェンマイ市内のホテルに到着すると、人当たりのいいおばちゃんオーナーが歓迎してくれた。今後の旅程について聞いてきたのでゴールデントライアングルを見て、あわよくばミャンマーの地に入ってみたいと話すと、(どうやらそのおばちゃんは旅行業もしているらしく)プランを考えてくれるという。「値段次第ね」と言い残して市内散策に向かう。

首が長くスッとしたニワトリ。

​ チェンマイ市内は古都なだけあり、かつての城址を囲んでいた城壁や寺院がとても多い。とりあえずそれなりに歩いたところにある寺院を見学してみると、どうやら学校を併設していたらしく、僧侶が下校途中の生徒と談笑している光景が幾度となく見られた。男性なら一度は仏門で修行すると言われるほど仏教が身近なタイらしい光景だ。
​ 寺院の敷地内にはニワトリなどが放し飼いされていた(もしかしたら野良なのだろうか)。ニワトリが飛べるだの飛べないだの話しながら、午後の穏やかな散策を楽しむ。
​ 欧米のバックパッカーも多いこの古都は、散策するにはちょうどよい規市圏で(それでもだいぶ歩くが)、街なかではタイ語に混じり英語などもよく聞くことができる。

​ 一通り散策を終えて、一旦部屋で少し休んでから夕食でも食べようかとホテルに戻った矢先、先程のおばちゃんから「いま部屋に行くから」と言われ、明日の旅程のプレゼンが始まった。
​ 結論から言うと、ゴールデントライアングルで観光して、旅の目的地であるメーサイに行くにはバスなどを乗り継ぐと時間のロスも大きいことから、個人ツアーを手配することにした。それでも一人5000円くらいなのだから、まあ日本に比べればかなり安い部類だと言えよう。

​ 明日の目処も立ったので夕食へ。チェンマイの夜市に行く事も話していたが、友人が興味あるということでホテル近くのパキスタン料理店に行くことにした。
​ 何故か壁面に中国語で「中国とパキスタンの友誼は永遠である」と書かれていた店内には、確かにパキスタン系だろう家族が切り盛りしていた。ここで食べたパキスタン料理はどれも非常に美味しかった。しかしやはりというか日本人向けのパキスタン料理より、どことなく味わいが甘辛いような気もする。これはやはりタイ料理文化圏に合わせて作っているからだろうか。
​ 店で食べていると少しずつだがパキスタン系なのだろう客が増えてきた。客というよりかはもはや家族みたいな距離感だが、異郷の地で過ごす同胞コミュニティのつながりが強いのは、さながら日本のコリアン社会や華僑コミュニティを思い起こさせる。

クラブがあるエリアは妖艶な輝きを放っている。

 店をあとにして夜のチェンマイを散策する。正直なところチェンマイの夜市は、思ったより整備されており、中国の雑然とした市場が好きな私にとっては少し期待外れだった。しかしそれでも、東南アジアの湿った風は1日の疲れを冷ますには十分だった。

​ 翌朝目を覚ますと、同じ部屋にいた友人は朝の散歩をしてきたのだという。時間もまだあったので(その友人に少し無理を言って)私も散歩に繰り出す。彼の案内で先程見てきたという寺院に向かうと、その途上、学校に向かう小学生の集団を見かけた。制服を着て先生に一礼してから校舎に入る姿はまさに敬虔な仏教国然としているなあと思いつつ、目的の寺院に到着。先程は野良犬が跋扈していたらしいが、幸いにもこの時間は特に野良犬も見当たらず、比較的ゆっくりと観光できた。
​ ホテルに戻り準備を済ませると、ちょうどオーナー兼ガイドが運転手を呼んで待機していた。4人が乗るには少し狭い気もするが、まあ1日乗るには不足ない設備だろうという具合だ。かくして我々一行と、オーナー兼ガイド・運転手の6人で車は一路ゴールデントライアングル目指して長い一日が始まった。

最果ての"黄金"を見に

結局これはどんな軽食だったのだろう。タイ語は難しい。

 タイというのは北部に行くにつれ、山がちな地形が姿をさらす。信号で停車中のところに花を売りに来る女性や、ピックアップトラックの荷台で寝ている人などが徐々に減ってくると、反比例するように緑に覆われた大地と山脈が増え、雲が少しずつ近くなってきたように感じる。
​ 途中休憩を兼ねてサービスエリアに寄った。どちらかというとパーキングエリアくらいの規模か。ベンチ横に無造作に展開されている屋台には、緑色のバナナや果実に混ざって大きな葉っぱにくるまれ焼かれた惣菜のようなものも売っている。このような立地で販売していることからして、概ね何らかの軽食なのだろう。コーヒーを買って出発すると少し微睡んだ。

対岸はラオスだが、なんというか中国センスの建物。

 目が覚めるとどんよりとした空模様はどこへやら。もうすぐ車はゴールデントライアングルに到着するという。ガイドの人が会社経営などやっている話を聞いているうちに、車窓の右側のメコン川の対岸にひときわ大きな、金色の大きい建物などが見えてきた。 
​ そう、ここが今回の旅の目的地の一つであり、かつてはアヘン製造で名を馳せ、今は中華の黒社会とカジノ投資で賑わう東南アジアの裏の要衝、ゴールデントライアングルだ。

ミャンマー、そしてラオスへ

まさかこれでこの川を?

 船着き場があるというエリアで途中下車すると時刻は午後1時。先に昼食でも食べようか思っていたら、ガイドがおもむろに我々に荒いモノクロコピーの紙切れ一枚を手渡してきた。どうやらこれがこのメコン川クルーズにおける我々の身分を保証する唯一の書類らしい。そしてもうすぐ船が出るというので階段を降りて桟橋へと向かった。
​ 僅かなフロートで心もとなく浮かんでいる桟橋の先には、おおよそ船と呼ぶにはいささか過ぎた表現になる木製ボートが浮かんでいた。エンジンも比較的小さいものが1つついただけで、少しでもバランスを崩したらすぐにでもひっくり返りそうだ。
​ 船長に紙を渡すと船は豪快なエンジン音を立てて、あっという間にメコン川に滑り出た。まずはミャンマー方面を目指すという船長に従いながら、若干後ろのメリになったボートは川を北上していく。せめてカメラを落とさないように必死に掴みながら風景を収めていると、船は徐々に速度を落としていった。

ミャンマー側のリゾートホテル、らしい。

 友人が楽しそうに地図アプリを開く。私も確認してみると船はあっという間に国境を超えミャンマー側に到達していた。友人によれば左に見えるリゾートチックな建物はミャンマーでも有名なホテルなのだという。我々はタイに到着してから2日程を経て、やっとミャンマーに足を踏み入れたのだ。
​ 感動も冷めやらぬうちに船長は再びタイ側に向けて船を動かす。今度は行乗船地点の対岸方向に船が徐々に向かっていく。すると先程見た金色のカジノホテルが段々とその大きさを露わにしていく。よく見ると岸壁には浅黒く日焼けした男性が数人ほど道路整備をしているのが確認できる。
​ ──何処かでこの光景を見たことがある。ふと私は開山屯の朝鮮側で見た景色を思い出した。天候も違えば季節も違う。青々とした陽光の突き差すラオス国境がまとっていた空気は、紛れもなくあの静かに横たわる豆満江奥の朝鮮国境を覆っていた静かな空気と同じだったのだ。──

ラオス、"運命共同体"の果てに

ラオス側の店の軒先からタイを望む。

 船はしばらく川を下るとラオス側に接舷した。ここから30分ほど自由にラオス側を散策していいという。我々はパスポートを見せることなく、中国に支配されたラオスのドンソン島に上陸した。

プラダにグッチ、バーバリーと"いかにも"なブランドが並ぶ。

 とは言うものの、ここにラオスらしい要素を見出すことは難しい。さすが中国、彼らは中国を海外に建設することにかけては一流で、船着き場の前には内装工事はされていないのに、有名ハイブランドのロゴが掲出されているショッピングストリートが広がっている。更にその奥に向かうと一応はありますよと言わんばかりの感じで、ラオスやミャンマー土産を扱う店舗が密集している区画があった(中国の地方都市にひっそりとある薄暗い観光客向けの土産物街のような感じだ)。しかしこれらも見事に中国ナイズされており、支払手段としてウィーチャットペイとアリペイのコードが適当に貼り付けられているし、土産のラインナップもタバコや謎のラオス・ミャンマー発の健康滋養食品、民族風の刺繍がされたカバンに、ゴールデントライアングルマグネットという具合だ。
​ 面白いことに店員との会話も中国語が通用した。話によるとラオス国内で働くよりも給料が高いらしい。またカジノはもっぱら中国人が多く、性産業の置屋もあるにはあるらしく、日本人を見たことがあるという。

濃いメンツで呑んだ!みたいなノリだが。

 店員と話しながら土産物を少し買うとあっという間に時間になった。船は静かな欲望が横たわるラオスを離れ、ミャンマーやラオス、中国国旗が形容されている作業線の横を過ぎ、細いボートで漁をする住民を抜け、再び始まりのタイの船着き場へと戻っていった。
​ ──徐々に遠くなるラオスの皮を被った中国を見るうちに、やはりここは中国の暗黒街のようなものなのだろうと感じた。かつて植民地主義との抵抗の末に成立した人民共和国が、「運命共同体」の掛け声のもとに新たな植民地主義を展開していることは、知識として知ってはいたが、その現場の入口に立つと、そのグロテスクな欲望の発露に得も言われぬ気分になるのだと思い知った。──

北へ北へ、最果ての地へ

結構美味しかったです、また食べたいな。

 船着き場に戻り昼食を探す。少し奥まったところにある店で暇そうにしている店員に声をかけ、遅めの昼食となった。中国の影響も受けているのだろうか、感じへ行きのメニューには中華料理もちらほら見える。少しぬるいコーラで喉を潤し、かなりぱらついたチャーハンを食べる頃には疲れも取れ、再びガイドの車に乗り、旅の目的地であるメーサイへと向かった。

​ メーサイへの道のりはひたすらの田園風景が広がる。灰色の道路の左右には自由に伸び切った草原が広がり、ひたすらに階層的な雲がタイの目覚めるほど青い空を覆っている。大体3時間くらいだろうか。ひたすら走っていると徐々に都市圏が見えてきて、我々はタイ北部の国境都市であるメーサイに到着した。

奥に見えるのが入管施設。国境都市という具合。

 メーサイの街の構造はとても面白い。泳がずとも渡れそうな川向うに広がるミャンマーの都市タチレクにつながる大きい一本の道路がを中心に左右に小さい道路が広がるという構造をしており、なるほどこれが国境の町というものかという感動を覚える。幸い宿からはミャンマーへの入国管理施設が近かったこともあり、ダメ元でその施設を訪ねることにした。
​ 我々が訪問したタイミングがよろしく無く、やはりこの時期もまだ国境は再開していなかった。一方で入管施設からは絶えずタイ・ミャンマー国民が往来しており、人流が途絶えたというわけでなさそうだ。仕方ないので施設のすぐ横にある川沿いに出られるスペースに行くことにした。

タチレク国境。この数十メートルは現在両国民しか歩けない。

 そのスペースからは国境の橋の様子がよく見える。タイとミャンマー国旗が溢れんばかりに掲揚されている橋を多くの両国民が徒歩で、或いは車で行き交う。国境といえば飛行機で、或いは船で超えるイメージが根付く我々にとって、日常で国境を超えるという生活のある存在はとても新鮮で、これこそが大陸国家というものかと痛感した。

​ 一旦ホテルに戻り、夕食がてら夜のメーサイへ繰り出す。先程まで多くの車で賑わっていた国境の大通りに車はなく、代わりに多くの屋台が軒を連ね、道路から広場へと進化していた。

東南アジアの夜は屋台とともに更けてゆく。

 ──海外旅行あるあるの、謎に日本のアニメをたくさん見ている現地人が経営している屋台で食事をとる。闇に吸い込まれんと煌々と光を放つ屋台の姿はまるで灯台のようであり、タイの最北部まで訪れた我々に、どことなく安心感を与えてくれた。── (続)

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