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私は何者になれたのだろう──或いはまだそれを考える立場にない

 私は何者になれたのだろう。半ば中途で留学から帰ってきて、新たな大学に編入するまでの半年間──さらにいえば大病を克服してからくらいか──ずっとこの疑問をどこかに持っていたように感じる。

 日本に帰ってきて、講演をする機会を得たり、色んな方に知り合えたり、遂に個人誌を刊行して、当初思ったよりはるかに大きな成果を得て2023年を終われた。
 対して24年が始まって10日あまり。去年のような狂騒は嘘のように静まり、全てをやり終えた満足感から、ふと我に帰ると心の底にあったこの疑問に再び悩まされるようになった。さらにいえば"結局まだ何もやり終えてないではないか"という疑問と新たに増えた。

 本題に戻そう。果たして私は何者になれたのだろう。結論から言えば「まだ大学の学部生がそのような大それたことを成し得られることは殆どない」に尽きるのだろうが、それはそれとして、やはり私の主観としては「結果としてまだ"何者にもなれていない自分"」に対する焦りというは全く拭えていない。
 というのもまず一つに、──これはある意味私の交友関係に恵まれていたのだろうが──私の周囲に何かを成し得た同世代がそれなりにいるというのが、この焦りを加速させていると思う。
 昨年末に、久々に連絡が来た友人の今が気になって少し調べたら、地上波でガッツリパズルの天才として映っていたし、海外のテレビにも呼ばれるようになっていたと知って驚いた。また別の友人は、イランの国営メディアでガッツリインタビューを受けており、本当に驚いた。
 別にそういうのは特殊な例だと言われたらそれまでだが、そうでなくても私の同世代の多くは来年度から社会人になる。社会の消費者から生産者に回るだけでも、ある意味で何者かになったようなものだし、それに回れていない自分は、やはり何者でもないのだ。

 ここで一度自分を振り返ってみる。中高大とかれこれ10年近く朝鮮のアレコレを追ってきたとは言え、その10年で何か朝鮮研究に大きく寄与したわけではない。ただ一つ誇れることとしては朝鮮趣味者が集まるサークルで色々活動して、朝鮮に対する興味関心を少しでも広げられたことだろうか。ただこれも周囲の協力があってこそであるので。
 留学中、コロナ禍の中国のことをいろいろ発信してそれなりに好評を博し、日本に帰ってからは個人サークルで個人誌を発行するに至った。しかしこれも先述のサークルの協力あってこそな上、情報発信で人々が注目するのは発信者よりも情報そのものであるから、何者になれた。というわけではない。
 あとは趣味で創作系の活動もしているが、これもまあ別に何か遠大なことを成し得たことはなく、基本はそこに関わっている人の創作活動が円滑に回るように上手くこう回していく的なことがメインで、何かを成し得たというわけでもない。

 そういうことをしているうちに、私の同世代は大学に入り、サークル活動をして、それなりに交友関係も大人びてきて、同性異性関係や人生的な悩みを持って、ぼちぼち社会人になったり、進路を決めていくようになって行った。 

 ことここに至て、「何者になろうと思っているうちは何にもなれなく」て、多分大体の場合は「気づいたら何者にはなっているのだろう」と気づいた。結局今焦っていても何も起きないのだ。
 そして今はこういうことを書きながらも、心のどこかで「大学で再びいろいろ学び出したら何者かにはなれるんじゃないか」と思ってしまう自分がいる。別にそれを今思ったところで焦りは解消されないと分かっていつつも、せめてもの慰みにはなるだろうか。

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