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”オリジナリティ”にこだわるなら徹底的に”模倣”しろ!

私は昔から「努力」が嫌いだった。というより単調な作業の繰り返しが「苦手」だった。例えば、漢字練習をするだとか英単語を覚えるだとか。毎日のコツコツ作業は「苦行」に近かった。学校の先生が「継続は力なり」を座右の銘としてあげるが、そのたびに鼻を鳴らしてしまうようなクソガキだった。

社会人になってから、この認識がどうやら「誤り」だったことにようやく気づいた。

ひとつめは、自分の「努力」のハードルが限りなく高かったこと。自分では片手間で手を抜いているつもりでも、周囲の評価は高く「頑張っているね」「努力家だね」と評価された。はじめは「どこをみてるんじゃー!お前の目は節穴かー!!」と感じていたが(大変失礼な話である)、”周りの大人”は「相対的」に自分を評価していたのだと考えを改めた。そう、相対的にみると自分は意外とストイックな部類に入るらしい。

ふたつめは、「継続は力なり」がマジで「力なり」だったこと。単純に何かを継続させることは想像以上に難しい。そして、先人の知恵に習い、「型」を反復練習することの重要性を身に染みて感じる機会が多くあった。これが、タイトルの「”オリジナリティ”にこだわるなら徹底的に”模倣”しろ!」につながる。

一文字の練習に半紙100枚は当たり前!ストイックの源泉は”習字”だった

小学3年生になると「習字」の授業がはじまる。私は転校したばかりで、新しい担任の先生や友達の存在にどぎまぎしていた。そして、なぜかはじめての「習字」の時間に「居残り」させられる。

幼心ながら「自分があまりに下手くそなのか……」と密かに悲しみに暮れていたが、思い違いだったらしい。帰り際に先生が「あなたの作品を区展に出すから」といった。〆切ぎりぎりだから居残りをさせたらしい。図工でも居残りさせられたので「これが転校生への洗礼か……」と妙な理解をしていた。

区展・都展とは、毎年「東京都美術館」で公募団体・学校教育展が行われる展覧会である。「書道」「図工」「家庭」のジャンルがあり、区立小・中学校の部と都道府県小・中学校の部がある。「ほー!そんなものがあるのかー」と当時はあまり興味がなかったが、忘れた頃に届いた賞状を母親に見せたら、なぜか母親が急に燃え始めた。

引用元:青葉出版

思い返してみると母親はなぜか「字を書く」行為にとってもセンシティブだった。小学校の頃に配られた漢字ドリルの練習欄は、「お手本と一寸も違わないように書きなさい」と言われ、手抜き文字を書こうものなら容赦なく消しゴムで消されてやり直しさせられる。たった3字を練習するのに、1時間かかったこともざらにある。そんな「地獄の習字特訓」に慣れていたものだから、「じっくりお手本を見ながら書く」癖が身についた。そんな母親の腕前はというと、お世辞にも上手いとは言えない。ただ、祖父が「書」でご飯を食べていた人間だったからか、「あなたはおじいちゃんに似たのね」と誇らしげに語る母親をみて、私も悪い気分ではなかった。

そんなこんなで「書」に目覚めた母親は、冬休みに課される「書き初め」の宿題でも、「鬼教官」ぶりを遺憾なく発揮する。本番用の半紙は2、3枚しかない。それをみた母親は「100円ショップで半紙を買ってきなさい」とつげ、1文字につき「納得のいくまで練習しなさい」といった。

1文字100枚マラソンの始まりである。私も相当ピュアな子どもだったのか、なんら疑問も持たずに母親の監視の目もない環境でひたすら練習を繰り返した。上手く書けない時は、お手本のうえに筆を重ねて、どうしたら筆の動きが重なるのか、同じ形になるのか研究した。

そんな「努力」の甲斐があって、小・中学校では「金賞」をもらえた。「区展」には皆勤賞で完走できたし、都展で都代表にもなれた。「書道」を習っている子よりも良い成績だったから、ジト目で睨まれたこともある。確かに、自分には先生はいなかったし、お金をかけたわけでもない。ただ、私が練習に費やした時間は間違いなくその子たちより多かったはずだ。

納得するまでやり切る。それは私にとって「当たり前」になった。当たり前は「努力」ではくくれないのだ。

引用元:とめはねっ! 鈴里高校書道部

好きな漫画をちょこっと紹介。書道部を舞台にした青春ラブコメ。

いはく「書」は「短距離走」である。この表現にしっくりきた。半紙に墨を垂らしたら、もう止まれない。戻れない。息遣いひとつで「線」と「点」の形が変化してしまう。書はそんな繊細な行為だ。一瞬の「集中力」がすべて。その一瞬の集中ために、何百、何千、何万と積み重ねた「練習量」がある。

お手本を見ながら書くことを「臨書」という。「臨書」は「上手く書く」ことが目的ではない。筆遣いは?余白は?とめはねの処理は?どうしたら、同じように書ける?目の前にあるお手本をひたすら観察して思考をする。手本をよく見て、感じて、手触りを確認する。それは、行動をするときの私の「基本姿勢」になった。

「好きに書きなさい」といわれ困惑 自分の”引き出し”の少なさに落ち込む

中学校で最後の都展。先生に「あなたは芸術肌だから、好きに書きなさい」といわれ、「草書体」のお手本を渡された。この時点で私は困惑した。「楷書」と「行書」の練習はしたことがあるし、書いたことのない文字でも筆の流れもなんとなく想像できる。しかし、「草書」は一度も書いたことがないぞ?!それに、好きに書いていいって何だ?!意味がわからない!

思えば、これが「習字」と「書道」の違いだったのである。お手本の通りに書くことはできた。しかし、「好きに書く」ことは最後までできなかった。惨敗だった。

なぜ書けなかったのだろう?をぐるぐると考える。

答えは簡単だった。圧倒的に「知識」と「実践」が足りなかったからだ。この書体はどのように生まれたのだろう?どのような作品が世の中にはあるのだろう?そして、どのように自己表現しているのだろう?「書」に関わる思考の「型」がなかった。だから、「良し悪し」の判断もつかないし、自分なりの「崩しかた」も分からない。だから、「お手本」を越えた「自己表現」としての「書」を自分は書けなかったのだ。

この経験から「型」の重要性を知った。

「わたし」は「あなた」とは違う さて、「違い」はどのように生まれる?

「わたし」は「あなた」とは違う人間である。

この「違い」がどのように生まれるのか考えたことはないだろうか。この謎を考えるにあたって、近代言語学の祖であるソシュールの思想がヒントになったと思う。

小難しく書けば↓↓

①現象や物体の実体には「意味」や「価値」は付与されていない
②恣意的に、実体を「分断」し「意味」と「記号」を割り振っている
③「差異」の「発見」により、われわれは実体を「分断」している

簡単に書けば↓↓

われわれは、実体の「個別性」を「対立構造」のなかでしか捉えられない、ということである。ビジネスシーンで、この理論を思い浮かべれば、容易に理解できるはずだ。

AとBの違い、BとCの違い、AとCの違い……それぞれは相対的に評価されて、はじめて「差別化」されるのだ。これを単なる商品ではなく、あらゆる事象にあてはめられる。

比較項目……「思考の型(パターン)」「評価の型(パターン)」

比較商品……「競争相手」「他者」

星の数……「相対値」「平均値」

いづれも「過去」と「他者」から学ぶことでしか習得できない。そして、その学びこそ「模倣」から得られる。「他者(対象物)」を俯瞰的に眺められた時にはじめて「スペース」が見えてくるだろう。その空きスペースを突き詰め、他の追随を許さない状態が「独自性」である。

文明が発生してから何千年?自分のアイデアが最も優れていると感じるのは思い上がりである

「”オリジナリティ”にこだわるなら徹底的に”模倣”しろ」

オリジナリティは生まれたときから「保障」されているものではない。自分自身が長い人生のなかでゆっくりと磨き上げていくものだろう。どう磨けばいいのか、なにを磨けばいいのか、分からないときは、まずは「他者」を「知る(観察)」ことから始めよう。「知る」ことは何も知識を詰め込むことだけではない。「実践」を繰り返し、五感で感じる。

お手本を見ながら書くことを「臨書」という。「臨書」は「上手く書く」ことが目的ではない。筆遣いは?余白は?とめはねの処理は?どうしたら、同じように書ける?目の前にあるお手本をひたすら観察して思考をする。手本をよく見て、感じて、手触りを確認する。それは、行動をするときの私の「基本姿勢」になった。

まさに、この「基本姿勢」である。
「型」を知らなければ「型破り」はできない。
格言である。

ビジネスシーンで何かを新しくはじめるときは

・誰かがきっと同じ課題にぶつかったはずだ
・誰かがきっと同じようなことを考えたはずだ
・誰かがきっと同じようなことをやったはずだ

必ずこの思考をたどる。どんぴしゃりに出会うことは少ないかもしれないけれど、絶対にヒントを得られる。

自分のような若輩者よりも、ずっと長く課題に向き合っている人間がいるのは当たり前。そして、自分よりも頭脳も技能も優れている人間がいるのも当たり前。

突き詰めて、突き詰めて、考えていくと、ぱっと道が開けるときがくる。先人たちが見えていなかった「スペース」が突如、目の前に広がる。これがいわゆる「ひらめき」なのだ。

その「ひらめき」は、単なる「思いつき」よりも、事実に裏打ちされた自信に満ち溢れたものになるに違いない。

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