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香港デモ地に行って思ったこと

<行ったきっかけ>

6月21日〜23日の2泊3日で、香港に渡航した。デモが起きたことは少し知っていたものの、有給休暇の旅行先を香港に決めた理由は非常にあっさりしている。
大好きな映画『恋する惑星』『天使の涙』といったウォンカーウェイ作品だったり、モンド・グロッソの「ラビリンス」で満島ひかりが踊るMVなど、聖地?的に気になっていた香港を衝動的に選んだだけだった。最初は。でも、到着日の夜に幹線道路を埋め尽くす黒服の大群をTwitterで目にした。これが、電車で20分ほどのところで起きているということに、カルチャーショックを受けた。

<そもそも何のデモなのか>

今回のデモは、「逃亡犯条例」の改正案に対して市民が撤回を求めることがきっかけでスタートした。「逃亡犯条例」の改正では犯罪を犯した容疑者の中国本土への送還が簡略化され、これによって国内の裁判権が侵害されてしまうとして市民が立ち上がっている。
デモは現在も続いているが、6月23日時点で香港政府は逃亡犯条例の「議論先送り」を発表するも、市民は「法改正案の完全撤回」を求めてデモを継続していた。

この後、デモと警察の衝突が激化し、現在に至るまで収束することなく10週目を迎えている。現在、中国政府そのものに対する抗議や警察の鎮圧激化など、状況はさらに複雑化している。

<大規模抗議活動の翌日に現地へ>

デモ真っ最中だった21日夜は、海を挟んだ九龍島の民泊からTwitter上のロイターのライブ配信を見ていた。香港本土は、中国とも地続きの九龍島と海を渡った香港島とに分かれており、デモが行われていた行政府付近は香港島に位置している。この時、集まっていた市民たちは「逃亡犯条例」改正案の完全撤回と親中派の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の辞任を求めていた。

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私がデモ現地に赴いたのは、明くる日の22日正午ごろ。行政府の本部庁舎に幹線道路をうめつくす何百万もの黒服の香港市民が集まった次の日、どんなことが起きているのかをちょっと知るためにわざわざスケジュールを空けて現地に向かった。途中、現地の人と間違われて道を聞かれたりもしつつ、汗だくでデモ現地に到着。そこには香港の行政府や警察総本部がある。

金鐘駅から歩いてすぐの行政府・警察署周辺は、香港島サイドでも中環(セントラル)など海外旅行客が集まる、日本の原宿〜代官山のような観光地とは一線を画す場所だった。例えると、日本の永田町のようにガラパゴス的で、妙な清潔感と緊張感がある。無機質な道路とビルが存在感を放ち、熱波が立ち込める真昼のコンクリートジャングルにはほとんど人が居ない。「本当にここに人がいっぱい押し寄せて、抗議活動をしていたのかしら?」というくらい機械的で(ある意味)静謐なオフィス街だった。

だが、警察総本部に近づくにつれてちょっとずつ「非日常」的な風景が顔を出してきた。まず上方を見ると、幹線道路をまたぐ歩道橋で大きなカメラと機材を構えたまま休憩している何組かのクルーが目に入る。さらに歩を進めると、小さな折りたたみ椅子に腰掛けている何人かを見つけた。ストリートアーティストのようにぽつんぽつんと座って並んでいたが、近づくにつれて彼らが「レジスタンス」の一部であることがわかった。背後の壁は、たくさんのメッセージ付き付箋や「反送中(逃亡犯条例への抗議活動中の意)」などの言葉で埋め尽くされていた。

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その奥には、歩道橋に登るための階段があって、メッセージが書かれた付箋がびっしりと貼ってある。その内容は印象的で、ポップなイラストやポジティブな言葉が多かった。さらに、かつての香港でのデモ「雨傘運動」を模した傘や、6月15日に命を落とした男性に捧げる手作りの慰霊碑(ろうそくが石畳に直接立っている)があった。その全てに、香港市民たちの平和的解決を求める機転のきいたユーモアさと、命をかけて市民を守る人々へのリスペクトが込められていたように思う。そして今そこに市民たちがいないからこそ感じる(投げつけられた生卵の)残り香や足跡などの「存在感」を感じた。

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さらに、数えきれないほどの付箋と一緒に、街にはところどころカラーペンが置いてある。誰でもメッセージを書いて貼れるようになっていた。黄色の付箋にブルーのペンで大きなハートを描いて「PEACE」と添え、階段のふちにこっそり貼る。余談だけれど、普段オフィスでも使っているような何でもない付箋とペンなのに、メッセージを書くとき少しだけ手が震えた。「文化」を全身全霊で感じていたからだ。この話を美化するつもりもないし、日に日に激化していくデモに対して私は肯定的でも否定的でもなく、見つめることしかできないのだけれど、この時間は昨今の日本国内では感じえない、神経を介して何かがほとばしっていくようなとても肉感的な体験だった。

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<思ったこと>

「hope」「sing」などハッピーな言葉を添えたゆるいイラストや、黄色い傘のオマージュ、そして『レ・ミゼラブル』の民衆の歌がアンセムとなって大合唱されることなど、市民たちがとても「文化に対する理解度が高い」ことが大きな気づきだった。彼らはリスペクトすべき作品や、表現の方法や、歴史をきちんと記憶していて、さらにタイミングに応じた使い所を熟知している。この文化的な読解度(リテラシー)の高さはどこから来るのか?教育の問題?それともメディアの問題なのか? それとも、ある一部を切り取って見ている私の視野の狭さなのだろうか。
ちょっとだけ、私は「英語でニュースを知ることの重要性」のような気もしつつ、香港は誰しもが英語に精通している訳ではない(特に下町はプリーズやサンクスなど、日本と同程度な感じ)ので、今回のデモの文化的な側面について考え続けていこうと思う。

そして、デモが激化している今、香港現地がどんな状態になっているのか私には想像ができない。帰りにキャセイ・パシフィックで若干の遅延を待った香港空港も、今や全便の渡航がストップし、市民たちが集結している状態だ。そして、にわかには信じたくないような手段で警察が弾圧しているとのニュースまで飛び交っている。デモ活動を続ける市民たちの「ロマン主義的」な熱狂や、警察の暴力的な弾圧や、日本のテレビで全く報道されていないことに対しては、すごく懐疑的な気持ちになっている。

香港市民がつぶやくTwitterや、リアルタイムに情報を更新してくれるニュースサイトを頼りにしつつ、私は自分が初めて「生身」でふれた市民権運動の行方を見つめ続けていこうと思う。正解とか正義とか答えは、まだ出せないような気がする。

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