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EdTechスタートアップのマナボを退職しました

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※(タイトル画像について)マナボでは”退職”のことを”卒業”と呼んでます。

2015年からジョインして、およそ3年勤務した「株式会社マナボ」を退職、もとい卒業し、同時に執行役員事業統括部長も退任しました。

実はわたしは今回で10回目の退職になるのですが、これまでにいわゆる退職エントリというものを書いたことが無かったので、せっかくの機会なのでこの3年間を振り返りつつ、得られた学びを卒業エントリとして、書き残しておこうかと思います。

株式会社マナボとは

株式会社マナボは、2012年に創業したEdTech(Education x Technology)スタートアップ企業です。

代表の三橋さんは東大の大学院時代にシリコンバレーの青い空を見て起業を考え、就活し外資コンサルに内定するも、苦渋の決断でそれを蹴って起業されました。

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3000人を超える講師(チューター)がスマホ/タブレットにアプリをインストールするだけで24時間365日、勉強を教えてくれる「スマホ家庭教師manabo」を提供しています。

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その後、山あり谷ありでしたが、めでたく、2017年春に5周年を迎えました。

わたしのマナボ入社前

入社前の2014年は個人情報漏洩によるいわゆる「ベネッセショック」の年でした。プロ経営者と鳴り物入りで原田泳幸さんがやってきて、デジタルで改革していこうと。わたしは、教育サービスの新規事業としてパソコンやiPadを用いた「BenePa」や「デジサプリ」の開発をやっておりましたが、中々決裁スピードが遅い大企業でEdTechを推進することに限界を感じていました。

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そんな中、さらに昔の会社のインターン生の紹介でマナボの役員とつながる機会があり、何度かオフィス見学や体験入社をした後で「教育 x IT」の経験を買っていただき、ちょうど人手が足りていなかったアプリディレクターとしてマナボに採用されました。

といってもWebやアプリ開発のPM的な経験はありましたが、Appleへの申請周りを少しやったことがあるくらいで、認定スクラムマスターの資格は持っていましたが、そこまでのアジャイル開発の実務経験もなく、Githubもアカウントを持ってるだけという感じでしたが、まあ入ったら入ったでどうにかなるだろうと考えていた41歳でした。

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神田オフィス~渋谷オフィス時代

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最初に入社したときにオフィスがあったのは神田の雑居ビルでした。

土日も指導をするために出勤してくるインターン生(チューター)がオフィスの鍵の管理をしていて驚いたり、仮眠室があって渋谷のオン・ザ・エッヂオフィスを彷彿させたのを思い出します。

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※当時、オフィスを開けてくれたMチューター

ルールやセキュリティがガチガチに決まっていないまま、まずはリーンにスタートして走り続けるのがスタートアップなのだなと。見よう見まねでプルリクエストやらマージやらLGTMやらデプロイやら覚えたのがこの頃です。

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そういえば、オフィスの近くにいきなりステーキがあったので通いはじめ、肉マイレージカードを作ってランチのワイルドハンバーグを食べ続け、今では9,900gまで肉マイレージがたまりました(※三橋代表は60,000g

その後、手狭になったこともあり渋谷へ移転。道元坂の上のAPA HOTELの隣のビルでした。

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全部で100人は座れる広いオフィスでした。この頃、社員は20名弱でした。

正式入社前だったので、社外取締役のベネッセの方が取締役会に来ている時は見つからないように隠れていたのも今となっては良い思い出です。

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この頃はメインの事業としてはベネッセと「リアルタイム家庭教師」という進研ゼミ高校講座受講者向けのオプションとしてmanaboアプリのOEM版を提供しておりました。

2015年の夏休みに1ヶ月質問し放題キャンペーンを展開したときには1日あたりの質問投稿数が800問(!)にも上り、このオフィスにチューター講師が最大50人まで入ったこともありました。(エアコン全開でも全然冷えなくて大変な目にあいました)

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しかし、、、残念ながら結果はふるわず、翌年春でリアカテのサービス提供は終了します。

個人的には複雑な契約条件を調整しながらアプリを2種類提供し続けるディレクションは本当にしんどかったですが、ベネッセ時代の経験も活かしてなんとか乗り切りました。

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※リリースした機能の管理ボード

六本木オフィス時代

年が明けて2016年。ピボットというほどではないかもしれませんが、狙う市場をBtoCからBtoBへ変更する経営判断がなされ(かのスタディサプリをもってしてもBtoC展開は難航しているという情報もありました。)、そんな中、半分以上の社員が退職していき、社員数は8名になりました。

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社員数のアップダウンでいうと、今は急成長レシピサービスのKURASHIRU(クラシル)にも↓こんな時代があったようです。

社員が全員辞めた。dely・堀江の語るピボットから得た学びとは : 

何が起こるのかわからないのがスタートアップ。できればそれでも楽しめる人が向いているのかもしれません。

オフィスが逆に手広になったため、経費を圧縮するためにも、休日にレンタカーを借りて社員全員で引っ越しました。これまでの経験を総動員して超短期間でテーブルやソファーなど大量の什器を譲り先を見つけたり、電話関連を移設したり目まぐるしかったです。

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MacのサンダーボルトモニターやBaronチェアなどがごっつくて、何度も六本木通りを往復しました。

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オフィススペースとしてはこじんまりとしましたが、さすがは「住友不動産(通称スミフ)」、エレベータ内に水漏れやタバコの煙が充満といった、あり得ないトラブルは起こることもなく、仕事環境は大幅に改善しました。

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BtoCからBtoBへ、ディレクターから営業へ、そして

しかし、ただアプリ開発をしていてもお金が入ってくるわけでもないので、とにかく何かを売って売上を作らなければいけません。

法人向けの商品パッケージを検討し、中小の塾にテレアポするという泥臭く地味な毎日でした。営業できる人数も社長と自分含めた社員2名とインターン生1名。いきなり飛ぶように売れるはずもなく、並行して禁断の受託開発も行い、システム開発のディレクション業務も引き続き行っていました。

まさに暗中模索の日々。

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社員数も限られているので、経理業務や広報業務も未経験でしたが担当しました。社会保険や納税、給与振込手続きなど、自分でできそうなことは一通りやりました。

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先が見えなかったこの時が一番厳しく、三橋社長も調達後にマナボはHARDTHINGSの8割を経験した語っていました。ギリギリの頃にはどこから嗅ぎつけてきたのか、感じの悪い担当からの「ビジネスローン」の営業電話が連日のようにかかってきたことで精神的にも相当追い詰められました。

そんな時には「Founders at Works」を読んで歯を食いしばりました。

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Z会から2.5億円の調達を実施

販売代理店展開や教育系メディアへの露出など試すも、BtoB塾の契約数は伸び悩んでいましたが、いわゆる大手の教育系事業者はベネッセ以外ともやりとりがコンスタントに続いておりました。

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そして、2016年の秋に差し掛かった頃、以下のBRIDGEの記事中にもあるように、Z会と話が進み、2.5億円の調達ができました。

スマホ家庭教師「manabo」が2.5億円調達、Z会と資本業務提携 - THE BRIDGE(ザ・ブリッジ) : 

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Z会や栄光ゼミナールの生徒にも1万人単位で提供が決まり、仕事が増えるぞ!ということで、募集停止していたWantedlyを再開し、人材採用にアクセルを踏み直します。

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様々な広報活動を経験

この頃、ご縁に恵まれて、あちこちの媒体からお声がけ頂きました。調達できたことで流れが変わったのかもしれません。

・2016年秋にはホリエモンチャンネルに代表が出演。こんな形でホリエモンと再会するとは。便乗して私が出した本にもサインをいただきました↓

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・2017年春には、ビザスクが掲載されてから憧れだった日経ビジネス「フロントランナー」にも掲載。積年の思いを果たせました。

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その節はいち早くmanaboを導入決断していただいた川崎市の個人塾「ユニバースクール」様にも大変お世話になりました。

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わたし自身もスタートアップ向けプラットフォームのeiiconでのピッチや消費者庁セミナーへの登壇と、専任ではないですが広報活動を経験できました。

自分は何者なのか

「腕一本で転職9回。大企業からベンチャーまで渡り歩いてきた辣腕の仕事人が、攻めの転職を語る」 | 株式会社マナボ : 

そんな中、その年(2017年)の6月に上記のWantedlyで約1万PV集めたエントリで私の仕事観について触れています。

幸せな気持ちで働く上で一番のポイントになるのは、「やりたいこと」「やれること」「やらないといけないこと」できるだけ重なることではないかと。

しかし、クライアントや職種が変わるなどの環境の変化や、自分の年齢や体調のこと、その他の要因など、それらが安定的に変わらないことは中々ないでしょう。その時にどうするか。

採用活動が順調に進み、1ヶ月に一人以上が採用が決まり、気づくと2017年の夏には社員数もインターン生を含めると30名弱の規模になっていました

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自分が持っていた仕事も次々と引き継いでいくことがでやらないといけないことが変わり、土日に自宅からカスタマーサポートするようなことも無くなりました。

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おかげさまでアプリ開発に強いメンバーも入り、サービスもみるみる洗練されていきました。大学生インターンも次々と優秀なメンバーが集ってきました。

創業役員とCFOの卒業後に、執行役員にもしていただきました。タイトルへのこだわりがないといえば嘘になりますが、功績を認められた気がして素直に嬉しかったです。

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しかし、これから、自分の強みを今後の会社の成長にどう活かしていけるのか?を考える毎日でした。直接の原因は不明ですが、2017年に入ってからは気持ちが晴れない日が続き、人知れず不眠症で病院に罹ったりもしていました。

会社のフェーズが変われば求められるメンバーも変わるというのは実にスタートアップあるあるの1つです。

これが世にいうピーターの法則なのだろうか、そんなことも思ったりもしました。

キャリアのVSOP

誰かがいってました。

20代はVariety

30代はSpeciality

40代はOriginality

50代はPersonality

もう独創性を必要とされる年齢まで来ていました。

自分の強みについて改めて見つめ直す44歳

学生時代と違って、社会人生活では3年ごとに、受験やクラス替えなどは定期的に訪れないため、今の自分を客観的に見直す、キャリアの棚卸しをする機会を意図的に設けるようにしてきました。

つまり「年収が良いから」「長く勤めたから」「取引先に迷惑がかかるから」のような「辞めない理由」を挙げることは簡単なのですが、それらに対して「自分がいることで会社を強く前進させるためにパフォーマンスが発揮できているのか?」という問いに対してYESであることこそがそこで働き続ける判断基準ではないでしょうか。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

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2000年頃にもやったのですが、新版が出ていたので改めてやってみました。

1. 調和性 2. 共感性 3. 最上志向 4. 社交性 5. アレンジ

この結果が全てではありませんが、自分のモチベーションが高まる領域で勝負することは、ビジネスで生き残っていくためには必然でしょう。

とにかくリソースの限られているスタートアップにおいて、人材が最適に配置できているかどうかは死活問題。

マナボノベルティを展示するミュージアムを建てる志途中にして、残念ですが深く深く考え抜いた末に辞めるという決断をしました。

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スタートアップとしての宿命

スタートアップとベンチャー。入社前は単に言い方の違いだけかと思っていたのですが、時間が経つにつれてに大きく違うものなのだと思うようになりました。

いわゆる投資家から投資を受ける「エクイティファイナンス」。銀行融資(デットファイナンス)とは異なり、いただいたお金は返さなくて良いものの、しかし、無駄遣いをして良いわけでは当然ありません。

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とは言え、ダラダラとゾンビ企業として、伸びもせず潰れずに生きながらえることも存在している意味がない。人生に限りがあるように、スタートアップの命も1つの目安としては10年。その間に、IPOなり、M&Aなり、exitする必要があります。同じ決断であればとにかく速いことが大事である、と。

CEOとCOOの違い、ストックオプションについて、社外取締役の役割と人数、etc...これまで考えたことがないことを考える機会にも恵まれました。

そんなヒリヒリしっぱなしの毎日の中で、大企業では決して見ることができない体験を三橋社長の近くで味わえた貴重な3年間だったと言えるでしょう。

三橋社長が好きな言葉の1つに「memento mori(自分がいつか死ぬことを忘れるな)」というのがあり、故ステーィブジョブズも演説で同じことを話していました。

まさにスタートアップには必要なスタンスではないでしょうか。

それゆえに、スタートアップは万人には勧められませんが、それでも飛び込もうという人は出来る限り応援したいですね。

なんのために働くのか?なんのために学ぶのか?

昨今、副業解禁やら働き方改革が叫ばれています。

私が初めての転職を決断したのは1998年。

もう20年も前になりますが、社会の状況はかなり変わり、転職が当たり前の時代に向かっており、”転職”についての取材に応じる機会も増えてきていることからも実感します。

リクナビNEXTジャーナル 2016年10月18日掲載

AERA 2017年5月22日号 : 大特集 転職のリアル掲載

いずれ、就職や正社員という定義も変わり、転職や退職が特別なことではなくなっているかもしれません。例えばベーシックインカムが導入されれば「働き」に対する捉え方は大きく変わるでしょう。

もしもそんな時代がきたら、いわゆる人材紹介ビジネスの会社はビジネスのやり方を変える必要に迫られるでしょうし、関連して大学へ行く意義なども変わっていくでしょう。つまり、大学進学が変わればいわゆる高校までの「教育が変わる」のではないかと。

果たして、教育は変わるのか

2020年のセンター試験改革どころではなく、根本的に「教育が変わる」ということの影響力は計り知れませんが、やがてきっとくるでしょう。多くの人は、その日が来るのを心配するかもしれませんが、わたしはワクワクしています。

なぜなら「教育」や「学びたい」という気持ちは尊く、それはこの3年間で色々な教育会社や塾の教室現場をまわっても感じました。現場はまだまだアナログな部分が大きいですが、いつかきっと「学びたい人が学びたいこと学びたいときに学べる」日が訪れると信じています。

そしてそこには技術力が必要になっているはずです。

その日はすぐにくるかもしれませんし、しばらく先になるのか、わかりませんが、それでこそ不確実であればあるほど、スタートアップが取り組むべきテーマであるのかもしれません。

ただ、教育は成果を認められるのに時間がかかる領域、もっといえば数値で評価することが難しい世界であり、そこは腰を据えて取り組む必要があるのかもしれません。

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さいごに

これから私はマナボOBにはなりますが、引き続きEdtechの動向はキャッチアップし続けると同時に、教育業界の発展と、マナボ社の発展を陰ながら応援しております。マナボでお世話になった皆様と、特に苦しい時代を一緒に戦った、三橋代表、山下CTO、近藤さん、廣田さんに強く感謝の意を込めて。

「勉強は嫌なこと」が当たり前の世界に、技術の力でひとりひとりにとって楽しく勉強ができる日が来ることを祈って。

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これから

次は、一旦、教育業界を離れて人材業界で再度スタートアップで挑戦する予定です。またもどうなるかわかりませんが、いつものことなので、また、落ち着いたら近いうちに個人ブログでお知らせできればとおもいます。

長文にお付き合いいただきありがとうございました。


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