小林佳徳のプロフィール
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田舎の平凡な家庭生まれ・・・ではなかった
1973年、山梨県甲府市生まれ。
いわゆる第2次ベビーブームと呼ばれている世代で、とにかく人口が多い。
親は祖父の家業を継いでいたのでいわゆる「自営業」。社長といえば格好はいいが、逆にサラリーマンの父とはどんな父かわからないだけだった。
その家業は詳しくはわからないが、今となっては欠かせない、カメラ、パソコンなどに使う「水晶振動子」なる、微弱な電流を与えると振動するものを製造していた。
時代も時代だったので花形になるチャンスもあったのかもしれないが、時代の波に乗りそこねたのか、自分が小学生の頃に事業破綻。
住んでいた一戸建ても手放しアパート暮らしに転落。長男だったわたしが、父親を継ぐ道はなくなった。
秋葉原に憧れる少年時代
物心付いたときからコンピュータが好きだったので、「まあるい緑の山手線♪」のヨドバシカメラのTVCMで秋葉原に憧れ、どんどん新しいものに触れられる東京にいつしか行きたいと思うようになる。
1984年、小学4年生のときに初めて自分のパソコン(PC6001)を手に入れるが、山梨の片田舎で手に入る情報は限りなく少なく、遠くの書店へ自転車を漕ぎながら東京への思いは募る一方だった。
よくわからないまま受験生となり大学へ
もちろん、私立大学へすすめるほど裕福ではなかったので国立大学一本で受験。受験勉強に意味を見出せず大した成績も取れなかった結果、地元の山梨大学に合格し、入学手続きを取っている最中に父親に「地元にいてはだめだ」の一言で、新潟大学へ進学することに。
はじめてのひとり暮らしで、何もかも初めての毎日だったが、幸い、コンピューターを通してたくさんの仲間と出会い、六畳一間の31,000円/月のアパート暮らしだったが、充実した毎日を送る。
その後、新潟大学院へ進み、新卒では大日本印刷(DNP)へ就職。
晴れて上京できることになったのだが、そこからまさか11回も転職することになるとは夢にも思わなかった。
社会の洗礼を浴びる
せっかく有名企業に入ったが、いまどきでいうミスマッチ採用による、いわゆる大企業病をわずらい、10ヶ月足らずで親にも相談せずに転職活動を開始。
まだまだ人材紹介というビジネスが珍しい中、運良く、リクルートが始めたばかりのエージェントビジネスでベネッセに転職。
リクルートエージェントができる前の、まだまだ転職が一般化していない1998年に、社会人になったばかりなのに10ヶ月で転職した話
1999年にパソコンxインターネットx進研ゼミという最新のビジネスに関わる。何もかもスペックが貧弱でトラブル続きだったが、色々経験できたのは良かった。
その後、落ち着くかと思いきや、またも大企業的な窮屈さに嫌気がさして、日本一周にマニュアル車に乗って飛び出した。
フリーターになるってどんな感じなんだろう、と。
自分探しをする痛い29歳
1ヶ月半をかけて日本の海岸線を15,000km走破。
貯金もなくなったので、生きるお金を稼ぐために就職することに。本当に先のことなんて全然考えていない2002年だった。
たまたま購読していたパソコン雑誌でホリエモンを見つけて、なんとなく応募してみたらオン・ザ・エッヂに受かってしまうのでそのまま入社。
○○ショックの多い人生
六本木ヒルズ移転とか、フジテレビ買収劇とか、ライブドアショックとかいろいろ起きる。その後、顛末をSOTRYS.JPというサイトにまとめていたら出版社から声がかかり出版の機会をいただく。
その後ベンチャーを転々とし、またベネッセに出戻ると、今度はベネッセショックが起きる。ここまで、○○ショックが多い人生も珍しい。
原田泳幸氏と、iPad教材などの新規事業立ち上げを経験。
EdTechスタートアップのマナボへ転職。
この頃から、どこで聞きつけたのか、転職回数がすごい、ということで、AERAなどいくつか取材を受ける。
■ 転職9回 ミドルの極意「自分の成長が目的」で日経Web版でチラ見え | 転職のプロ
スタートアップにかける夢はもろくも崩れ去る
入社前に3.3億円の資金を調達完了していたので、ここからぐいぐい行くぜ!、と思ったら、あれよあれよという間に事業が伸びず、入社時に20名いた社員が4名になったり、資金が底をつきそうになり、夜逃げ同然でオフィス移転したり、人生最高のHARDTHINGS状態に突入。
妻も子供も住宅ローンもあるのに、どうなるんだろうと思っていたら、神風(資金調達)があって、なんとかどうにかなったり。
もうスタートアップなんて懲り懲りとなりそうなところからの、この経験を活かして、一度でいいからIPOを経験したい。その気持を胸に転職。
ネバーギブアップ
教育関連の仕事も10年以上やったので、人事経験も活きるHRtechスタートアップのリフカムで再挑戦。
Refcome(リフカム)- リファラル採用を活性化するクラウドサービス
正社員で10回転職した方法で一番多かったのは、意外にも人材紹介経由ではなく◯◯◯◯だった。
10番目の社員として入社し、管理部門の0からの立ち上げを経験。
・就業規則がない
・もちろん勤怠管理や有給管理もない
・給与は社長が手動で振り込み
・会計事務所が適当で源泉徴収税額が間違ってる
そんな中で、テレビ東京の取材を対応したり、恵比寿の住友不動産物件に移転したり、色々経験した。
営業、開発ディレクション、資金調達、やれることはなんでもやった。そして今の自分の力ではこれ以上会社の発展の貢献できる未来が見えなくなった。。。
To be continued...
今は、これからの人生について考えつつも、新しいことに挑戦し続けている。挫けそうになることもこれまで数え切れないほどあった。
それでも、あがき続けることで今もなんとか生きている。
諦めなければ、生きていれば、また何か面白い、ワクワクするチャンスが回ってくる。
そう信じて、今日も。
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