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写真で二言三言【金沢編】

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思っていた以上に【金沢編】の記事が多くなってしまったので本編の『写真で一言二言』と切り離して別冊といたしました。
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2024年7月の記事一覧

月曜限定で『大河』が『渉』にメタモルフォーゼ!?

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢時代の麵生活で間違いなく常にNo.1の座を占めていたのは『麵屋大河』。 そもそも数あるラーメンの中でも味噌ラーメンが一番のお気に入りであり、味噌ラーメンの中でもやはり濃厚味噌ラーメンには目が無いわたしのためのど真ん中な味噌ラーメンを提供し続けてくれたお店が『麵屋大河』であった。 そんな麵屋大河がある日突然お店の屋号が変わった時に偶然出くわした

実は包まれるのがキラいなうちの小春さん。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 我が家の長女であるトイプードルの小春さんもいまや11歳。人間の年齢に換算すると60歳、還暦という我が家でも一番長寿の立派なお婆さんに成長したわけだが、この2015年12月の写真の頃は後半月もすれば満3歳、人年齢では28歳の女盛りの頃合いである。 以前も触れたが、ブリーダーのところで拝見させてもらった時はポワァ〜ンと少々のんびりした感じなのではない

たまに無性に食べたくなったIL CHIANTI!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 思い返せば四半世紀以上前のコト。 大学入学とともに上京し、実家を出て初めての一人暮らしを始めたワケだが、その後結婚するまでの独身時代に一番食した炭水化物はスパゲティであった。 中学時代に出会った村上春樹の『風の歌を聴け』で、初めて明治大正昭和初期の文豪以外の同時代の作者による文学に触れてからわたしの活字中毒症状が発病するのだが、それはまた別の機会

余所者にはなかなかのギミックな融雪装置。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 暮らす土地が変わるとこれまでの環境とは全く異なる光景を目にすることで、改めてその土地土地の生活というモノを実感するモノである。 金沢に来て初めての冬。 北陸という土地になんの地縁血縁もなく引っ越してきた関東モンのわたしとしては『北陸=豪雪』という思い込みが在り、2014年の初めての冬ははたして無事に我が家は北陸の冬を越すことが出来るのだろうか?と

贅沢が過ぎる金沢駅構内『歴々』の冬の丼。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 どうせ金沢観光するのであれば、一年のうち一番海の幸が賑々しくなる12月の蟹漁解禁以降が絶対的にオススメである! ということはすでに金沢移住1年未満の2014年の12月には疑うべきモノが無いほどに確信していた。 とにかく、普段使いしていた回転寿司をはじめ、近江町の数ある魚屋さんの店先までこれまでと違って、明らかに海産物のラインナップが豊富になってくる

犀川上流から兼六園に流れ込む辰巳用水。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 以前も触れたが、金沢時代に散歩にハマり、都内に戻って以降現在に至るまでカメラと写真と散歩をこよなく愛するおじさんに変えてくれたのが、金沢市内を縦横無尽に走る用水の数々である。 そもそも大元は加賀藩前田家の居城である金沢城の防衛と市中の水源確保のために城の周りを巡らせた金沢城惣構跡が現在の数ある用水の元となっているとのことである。 名前の付いた、幅

金沢の洋食といえばひがし茶屋街の『自由軒』。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢飯というとまずはなにはともあれ海鮮丼に回転寿司と、とかく海の幸に話は流れがちであるが、近代に入り人が集まる都市にはなにかと洋食文化が根付いているモノである。 これまでこの『写真で一言二言』金沢編でも、片町のグリルオーツカや柿木畠のグリル中村屋に触れてきたが、実はそれ以上に有名な洋食屋さんがひがし茶屋街の『自由軒』である。 今も昔も金沢の観光地

北陸生活の思い出作りに『加賀屋』へ。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 金沢生活の2年間、わたし自身は仕事で福井・富山といった両県や北陸圏外に出張で赴くこともあったが、ともに連れてきた妻はほとんど金沢から出る機会がなかった。 といっても、本人自身が出不精で引き籠もり体質なので、なにか不満やストレスが溜まったということもなかったようなのだが、せっかく北陸まで住民票まで移してやってきたのに、石川県自体も引越直後にバスツアー

横浜土産は崎陽軒に限る!

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 2015年11月の写真ライブラリを見ていてなんで?と思ったのが今回の写真である。 池袋に戻って来てからでこそ、池袋東武百貨店のデパ地下でよく崎陽軒のシウマイ弁当を買って帰ることがあるが、金沢時代になにゆえ?と思ったのだが、どうやらこの年の11月に毎年秋口に横浜のパシフィコ横浜で開催される図書館総合展にわざわざ金沢から出向いていたらしい。 金沢時代

いくら何でも進捗が遅過ぎないだろうか?

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 今さらながらフト気がついてしまったことがある。 この『写真で二言三言』の金沢編を始めたのが2023年6月24日の投稿。 それまではMacのハードディスクに収められた写真アプリのライブラリの中からランダムに選んだ1枚の写真を元に500〜1000字程度の駄文をアップしていたのだが、この2023年6月24日の投稿の1枚をランダムに選んだところ、妙なノス

福井に来たらなにはともあれヨーロッパ軒。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 何度も触れていることだが、2014年7月から2016年6月末までわたしは地域会社の組織長として基本的には金沢の本社に籍を置きつつ、左右の両県である富山と福井の支店長も兼務というワケワカな立ち位置で職務を全うしていたのである。 なので、ひと月の内ほとんどは金沢の本社に通勤しつつも、単発で福井や富山の支店にも出社するというスタイルであった。 2015

トリミング台のうちの小春さん。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 今年の一月で満11歳を迎えたうちの小春さんも、人年齢に換算すると還暦!? 時が経つのも早すぎて、なかなかわたし自身現実を受け入れられないのだが、そんなうちの小春さんも金沢時代の2015年はまだ2歳。人年齢ではまだまだ24歳と女盛りを謳歌していた頃合いだが、こうして当時の写真を見てみると、骨格や肉付きは現在の還暦の婆さんとほとんど変わっていないように

大阪出張帰りはサンダーバードからの湖西の車窓が楽しみ。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』 前回は大阪出張時の楽しみな大阪飯の記事をアップしたところだが、2015年当時は金沢⇔大阪間は特急サンダーバードが運行していた。 なので、だいたい早朝金沢発で大阪に向かい、夕飯後にサンダーバードで帰路につくというケースがほとんどだったのだが、たまに打ち合わせが予定よりも早めに終わり、夕暮れ時にサンダーバードに乗る機会が何回かあった。 自分自身乗り鉄