演じることに憧れていたら、本当に演ずることになった話
演者に大きな憧れがある。
きっかけは所属しているコミュニティで行われた「2019コルクラボ文化祭」で生の演技に触れたことだった。
そして一年後の今、
憧れた演者のみんなと一緒に演技をできる、という震える機会を得ることができた。
1月末に行われる、カフェ「マメヒコ」のオーナー井川啓央さん脚本・演出の舞台『ぽうく』に出演することになった。
出演の経緯は割愛するとして、今回はぼくが何で演技に憧れたのかについて書きたい。
2019年のコルクラボ文化祭は、いわゆる「学園祭」と同じように本物の学校の跡地を借りて行われた。
ぼくは「廊下を練り歩くエンターティナー」として、文化祭に関わることなった。
メンバーは僕以外みんな演技経験者だった。
「廊下を練り歩くエンターティナー」をやるとこになったはいいが、何をしたらいいのか分からない。
・来場者の規模感。
・廊下にはどのくらいの人が往来するのか。
・どのような興味関心軸の参加者が多いのか。
全く想定が立たないので、出し物がなかなか決まらない。みんなモヤモヤしていた。
そんな中、
即興で演劇してみたらどんな感じだろう。
誰かが言い出して、
とりあえずやってみるかとなった。
誰でも知ってそうなラブソングをあてて、演技を始めてみる。
衝撃が走った。
いくらなんでもいきなり演技はできない、と思っていたから。
さっきまでのモヤモヤした現場はすっかりなくなっていた。代わりに「上京するしないの葛藤を繰り広げる幼馴染のカップル」がいた。
興奮した。
絶対に文化祭でこれをやってほしいと思った。
ということで、
文化祭では「高校の演劇部の練習風景」という設定で、廊下を舞台に即興演劇をやることになった。
ぼくは未経験者で即興演劇はできないので「顧問の先生」という形で加わった。
ぼくはなぜあんなに興奮したのだろう。
当時は言語化できなかったけど、今ならわかる。
確かな感情があったから。
「感情を出してもいい世界」がそこにはあった。
ぼくがもし、リアルに公園で上京の話をしていたなら、どうだっただろう。気持ちは一緒かもしれないけど、もっと淡々と会話をしていたと思う。
社会は感情的だけど、感情表出的ではないから。
ぼくは目の前の演技を通して、感情表出的な世界に憧れたんだと分かった。
感情表出的ではない社会に生きていると、必要以上に感情表出を抑えてしまう。抑えていると不思議と感情自体も掴みにくくなってくる。
ぼくは感情表出的な人生を生きたい。
憧れの正体はそのような希望だった。
憧れさせてくれた、希望を持たせてくれたみんなと一緒に演劇ができる。書いてても泣けてくるくらい、1人感極まっている今です。
きっと四苦八苦するので、
その時の感情をまたここやラジオで表出しようと思う。
ではではまた。
これを読んでいるってことは、投稿を最後まで読んでくれたってことだね。嬉しい!大好き!