ハイテクが拓く古代研究(下)「日本人の起源」探るゲノム 縄文・弥生の「二重構造」に新説

2020/4/22付│日本経済新聞 朝刊

縄文人や弥生人のゲノム(全遺伝情報)の解読を通じて「日本人」の成り立ちを探る研究が進んでいる。国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤成也教授を代表に、2018年度に始まったプロジェクト「ヤポネシアゲノム」はその一つだ。

遺伝学者、人類学者に加え、考古学者や言語学者も参加している。「沖縄で見つかっている旧石器時代の人々と縄文早期以降の縄文人は、DNA的には1万1千年前で途切れていると分かったのはほんの数年前。そのミッシングリンク(進化の欠落部分)には考古学者としても興味がある」。考古学的解析班を率いる国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎教授は話す。

古代人のゲノム分析は細胞の小器官ミトコンドリア内のDNA解析から始まった。この手法では母方の遺伝情報しか分からないが、10年代以降、細胞に1つしかない核のDNA分析が可能となった。

「縄文人は遺伝的には現代の世界ではどこにもいない特異な集団」と語るのは国立科学博物館(東京・台東)の篠田謙一副館長。ヤポネシアゲノムでは古代人ゲノム解析班を率いており、鳥取市の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から出土した弥生後期(1~2世紀)の人骨のDNA分析を考古班とともに進めた。「縄文系、朝鮮半島・中国大陸からの渡来系と、様々なタイプが埋葬されていた」という。

長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡から出土した弥生後期(1世紀ごろ)の人骨も分析。長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は縄文人直系と考えられていたが、渡来系弥生人との間で混血がかなり進んでいた人たちもいることも明らかにした。「日本列島全体では、混血は弥生時代(紀元前10世紀~3世紀)で終わったのではなく、古墳時代(3~7世紀)まで1500年ほど続いたと考えられる」と篠田氏。

プロジェクトの季刊誌「ヤポネシアン」の2020年3月号には、国立科学博物館の神沢秀明研究員による「クラウドファンディングによる古代出雲人DNAの解析」という文章が載った。出雲市の猪目(いのめ)洞窟遺跡の古墳時代とみられる層から出土した人骨を、18年12月から斎藤氏と解析した経緯を紹介するものだ。

調査は出雲出身者で構成する「東京いずもふるさと会」が研究費を負担する形式で進められた。解析の結果、人骨は「現代本土日本人よりも僅かであるが統計的に有意に縄文的であることが明らかになった」と記す。

「日本人」の成り立ちは「二重構造モデル」が定説とされる。最初に日本列島に住みついた人々が採集狩猟中心の縄文人を形成した。弥生時代に渡来した人々が九州に水田稲作を伝え、それが「列島中央部」に広がり、この間に縄文人の子孫と混血を繰り返す。一方、列島の南と北には縄文人の遺伝子を色濃く残す人々がいるとの見方だ。

この説を踏まえ、斎藤氏が打ち出したのは「うちなる二重構造」という仮説。「列島中央部」をいま東海道・山陽新幹線が走る地域とそれ以外に分け、「日本人」の源流を探るものだ。「朝鮮半島に近い出雲に住む人々が、東北などと同様、縄文人の遺伝子を色濃く受け継いでいるとしたら、いわゆる『弥生人』に2種類あったのではないか」と斎藤氏は話す。

「DNAでみると現代日本人と渡来系弥生人は遺伝的によく似ている。DNA分析では親族関係の特定もできるので、縄文・弥生社会の解明につなげたい」と藤尾氏は学際研究に期待を寄せる。

村上由樹、中野稔、竹内義治が担当しました。

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