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自立 independence

自立は幸福にとって重要である。なぜならば、(1)幸福にとって自由が重要であり、(2)自由にとって自立が重要だからである。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法第13条。太字は筆者による。

まず、なぜ幸福にとって自由が重要なのかを確認しておく。例えばもし自分がどのような状態になったら幸福なのか、仮にそれがあらかじめわかっていれば、そこを目指せばいい。そこに向かってなるべく真っ直ぐ、つまり最短距離を走っていけばいい。しかし、現実には生育環境は周囲の人間関係、経済状態、利用できるテクノロジーやインフラの状態によって、あるいは遺伝によって形成された肉体と神経の特性によって、何が自分自身の「幸福」なのか、あるいはどんな感情や環境が揃ったときを自分にとって満足できる状態と決めるのかは必ずしも明確ではない。たとえ仮に明確になっても、時間が経てば事情が変化し、またその地位があやうくなるおそれもある。したがって、何が自分自身とその環境においての「幸福」なのかを探索し、変更できる余地・余裕を自分自身で握っておく必要がある。幸福にとって自由が重要なのは、幸福を探索し、目標としての幸福を定めたらそちらに向かって選択をおこなっていく余地を確保するために必要だからである。

次に、なぜ自由にとって自立が重要なのかについて確認しておく。それは、もし自立が損なわれているとしたら、自由が困難だからである。言い換えれば自立の確保は自由の必要条件だからである。例えば、もし自立が損なわれているとしたら、それは誰かに、あるいは何らかの勢力によってあなたが拘束されたり、あなたがそれらの人々や薬物や行為に過剰に依存 depending しているからであろう。もしあなたがそれらの拘束や依存から自分一人の力ではもはや脱出することができないのだとしたら、仮にあなたが自分自身の「幸福」なあり方を発見したとしても、そこに向かって動きようがないことになる。その場合、あなたは外からの援助をまずは待つか、求められるなら求める必要が生じることになる。

そうではなく、仮に自分自身を現在の封じ込められた状態から、満足可能な状態へと徐々にでもズラしていけるとしたら、一時的に拘束を受け入れたり(例えば労働契約を取り交わすなど)、依存をすることで気晴らしをしたり(例えば飲酒など)することが途中でたとえあったとしても、大筋ではそれによって被(こうむ)る幸福追求上の不利よりも有利を多くするように賢く選択を重ね、累積させることによってであろう。

反対に、もしあなたが解放されていて、何かに特別依存しておらず、自由があるのであれば、あなたは自分がどんな刺激を受けるか、あるいはどれぐらいその刺激に注意を向けるのか、はたまた全くスルーするのかを選べるということである。

自分が相手から構ってもらって刺激をしてもらうこと、例えば誘いを受けるチャンスがあるなら、それは全く孤立しているよりはずっといいことだ。なぜならば、それを受けるか断るかあなたには選択肢があるからだ。

しかし、複数の相手から誘いがあって、かつ、混乱せずに自分にとって優先すべきことを考えてどれかを受けてどれかを断ったり、すべて断って敢えて独りの時間を優先することができれば、あなたはそれらの相手から自立した主体であると言える。なぜならば、それらの相手から情報を得ても、それは飽くまで参考にするだけで、最終的には自分で選択をおこない、それによって相手に影響を与えているからだ。

反対に相手があなたに断れないような仕方で(例えば脅迫のようなかたちで)勧誘を仕掛けてくるような状況では、あなたは自立しているとは言えない。実質的にあなたには選択肢がなく、あなたは相手の影響を一方的に受けるしかないからである。

よって、自立とは環境に対する自分自身の影響力のコントロールである。これをコントロールできて初めて、あなたは自由になり得る。そしてあなたが自由なら、何が自分自身にとって幸福なのか、それを探す旅に出ることもできるだろう。自分自身の主人は自分自身である。何にも怯えずに、自分自分の未来の扉を開いていこう。

(1,768字、2024.06.14)

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