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ULTRASに重ねるCREWとREPRESENT精神

2016年、僕達の街「名古屋」を代表するサッカークラブ"名古屋グランパス"はJ2に降格した。
今となってはちょっぴり懐かしくも感じてしまうその出来事だが、僕みたいな「にわかファン」が語るには難しいほど、流石に重い出来事だった。

また、僕の人生において、2016年は非常に大きな出来事があった。
待望の第一子が生まれたのだ。僕と嫁の生活から、家族3人での生活になった。それに伴い、自宅を瑞穂競技場からほど近い所に移ることで、僕の"本格的な"「名古屋グランパスのファン生活」が始まった。

2016年、僕は名古屋グランパスのサポーターとなったことで、ULTRASという存在をより深く触れ、知ることとなった。
普段はダンサーとして、プレイヤーとして活動をしている自分にとって、何かを応援する「サポーター」として熱さを持っている人たちの存在は非常に新しく、非常に刺激的だった。

ウルトラス(Ultras)とは、サッカーの熱狂的なサポーターグループを指す。
1960年代にイタリアで起こり、その後欧州各国、南米、中東などに広まった。ウルトラスはイデオロギーの近い者同士によって形成される場合が多いため、他のウルトラスとの衝突に発展することがしばしばある。 ウルトラスは通常、ゴール裏観客席に集団で陣取り、フラッグや発炎筒やバナーを掲げたり、チャントを歌うなどしてクラブをサポートする。また、多くのウルトラスは自らのグループのロゴが入ったサポートグッズを作り、他のサポーターらに販売している。 
  - Wikipediaより

プレイヤーではなく、サポーターとして生きること

J1昇格から1年目の昨シーズンは、瑞穂と豊田を合わせてホーム10試合くらい観戦できた。ダンスの仕事やイベントの合間を縫ってだが、それでも多く足を運べたと思う。関東のFreestyle sessionの予選に落ちた際は、暇だったのでアウェーの等々力へも1試合観戦することができた。
観戦のほとんどがゴール裏の後ろの方。ULTRASの方々の熱量をフィルターにして、グラウンドと選手を眺める。本当に贅沢な時間ばかりだった。

ちなみに、サッカー観戦を始めた頃は"ULTRAS"どころか、スポーツ観戦のイロハさえしっかりと把握できてはいなかった。僕はそもそもストリート文化を土壌にして育ってきて、ストリート文化以外には対して興味を示すこともなかったし、それに費やせる時間も少なかったからだ。

今ではファンとしての自覚もあるけれど、それでも僕みたいな「ファン」と、ULTRASの方達と僕では大きな違いも感じる。「そこで生きているかどうか」である。
僕がBBOYINGやダンスに熱を注ぐのと同じ様に、ULTARASは「サポーター」としての圧倒的な熱量を注ぎ、そこに費やす桁違いの時間があり、行動をしている。サポーターであることに誇りを持ち、大袈裟だがそうやって「生きている」ように感じたのだ。

プレイヤーとして、アーティストとして、当たり前に生きてきた自分にとって、サポーターで有ることはずっと違和感があったが、ULTRASを間近で見ることで、その違和感はどんどん消えていった。それどころか、そのULTRASは僕にとって眩しく、憧れの存在へと変わった。

クラブを愛し、街を愛している。
クラブや街を"ただ"応援しているんではない。
そこと歩む"覚悟"がある。

STAY LOYAL TO MY TOWN

最近、周りで少し話題になったnetflixのドキュメンタリー「サンダーランドこそ我が人生 / Sunderland 'Til I Die」を見た。

プレミアリーグから降格したイングランドのサッカークラブ、サンダーランドが2017年に3部リーグへ降格した姿と、それを取り囲むスタッフや会社、サポーターたちを移したドキュメンタリードラマだ。

ようやく見終わったのだが、これが思っていたより面白かったし泣けた。
何か"自分たち"や"自分の街"のようにも感じてしまうのは、僕ら名古屋グランパスが経験した、あの「2016年」を知っているからだろうか。

イングランドリーグにそこまで詳しい訳ではないが、映像を通して、サポーターの熱狂さと、そこに対する痛いほどの愛を見て取ることが出来る。ULTRAS NAGOYAから感じるあの「熱量」と同じだ。

どんな状況下であろうと、どんな未来であろうと、揺るがない忠誠心と、そこで生きていく覚悟を。本当に痛いほど感じるのだ。

自分の街のサッカークラブを子供の様に応援する姿。まるで自分のことの様に怒り狂う人たち。それが当たり前に見えてしまう、街とクラブの共存。本当に自分の街を愛しているからだと思う。

僕がULTRASに持つ憧れは、やはりこの「街との共存」であり、それを誇りに思っているところだ。プレイヤーとサポーターという関係を越え、それぞれが「ULTRAS」というプレイヤーに変化することで、それは街への共存へ代わる。

僕がHIPHOPで思い描いた、"REPRESENT"精神そのものだった。

眩しい...眩しすぎる....

この街でいきてゆこう

僕はたまたま愛知県瀬戸市で生まれて、たまたまダンスを始めた。
その後、出会った仲間たちと"YELLOW SUNS"として歩むことが出来ているのも、本当に偶然の結晶だ。

今までダンスをしていて、名古屋・瀬戸にいることがコンプレックスに思うことも多々あったが、その反面、ここを拠点にしていたおかげで本当に色んな出来事や人に出会うことができた。

出会えた色んな人達には本当に感謝しているし、たくさんの出来事にも感謝したい。この素晴らしさを、次の世代に繋げていきたいと本当に思う。

ULTRASから信じることを止めてはいけないと学び、歩み続けなくてはいけない事を学んだ。この街に誇りを持っているからこそ、そこで生み出せる力を信じなくちゃいけない。もちろん、この街で起こることから目を離してもいけない。

共存というのはそういうことだ。

この街の偉大さを、次の世代が信じれるように、僕はここで踊り続けなくてはいけないし、ずっとREPRESENTし続けなくはいけない。

LOCALのちからは強いぞ。
僕はこれからも諦めてはいけないんだ。

僕はCREWのサポーターである

僕たちが生きるHIPHOP文化の中に、「CREW」という概念がある。
CREWという概念自体は、サッカーファンでいうところの「箱推し」に近く、メンバーの自立だけが本質ではなく、あくまでその集合体である"CREW”そのものが本質であると思う。
また、CREWというのは"チーム"でもあり"友達"でもある。そして何よりCREWというのは、かけがえのない繋がりをもつ、1つの家族である。

僕がCREWにとって重要視しているのは、「続けていくこと」だ。
ときにはメンバーを家族として迎え入れ、家族として送りだす。個々の集合体でありながら、CREWとして自分たちのアプローチを続けていく。
結果に左右されることなく、その時代を生き抜き、それを繋げていくことだ。

メンバーのひとりひとりがどう考えているかはハッキリと分からないけれど、少なくとも僕自身はこのCREWに対してハッキリとした忠誠心を持っている。ULTRASと同じ様に、費やす時間と行動力が、それである。

CREWとして時代を生き抜くために、知恵を出し合い、変化を求める。

サンダーランドに忠誠を誓い「私は一生変わらずついていくわ」と語るおばあちゃんや、ゴール裏で熱狂的なほど歌うULTRASの方たちと、僕らは何ら変わりなく、CREWに忠誠を誓い、歩み続ける。

プレーヤーでありながらも、クラブと共に生きていくサポーターの様に。

STAY LOCAL! STAY LOYAL!

ダンスの中で大事にしていた"CREW"や"REPRESENT"精神は、サポーターが、この街を愛し、クラブと共に歩む事とほとんど同じだ。

サポーターとしては、僕とULTRASとの熱量は確かに違う。でも、それでもなんとなく、自分の中にULTRASの人たちと同じ様な熱量があることに気付き、それがHIPHOPから学んだ"CREW"や"REPRESENT"精神だった。

この街で生きていく。
この街でずっと続けていきたい。どんなことがあろうとも。

瑞穂や豊田でのゴール裏。
目の前で飛び交う"あの熱量"を浴びて、僕も熱くなる。
背中を見ながら、僕も心の中で忠誠を誓う。

自分の力は自分で知っている。

その力を引き上げてくれるのが仲間であり、友であり、家族である。
力を一つにすることで、それを続けていける。

街の力を知っている。
僕たちの育った街。
僕はそれを信じている。

どこで踊り、誰と歩んでいくのか。

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