他力本願と自力本願
こんにちは、にょびたです。
6月はあまり記事更新ができませんでした。それは、6月に入ってすぐに38℃を超える発熱をしたからです。
私は「ついに新型コロナにかかってしまったのかなぁ〜」と思っていましたが、熱も落ち着いた時にネットで症状を検索してみると、
どうも新型コロナよりもプール熱の方が症状的に近かったのです。
プール熱は大人もかかることがあるらしく、感染力が高いのでどこで移ってしまったのかわかりませんが、38℃の熱が7日間も続いたので何もできなかったのです。
でも、大人の自分が「プール熱」に罹ったというと、なんだか少し恥ずかしい感じがしますね。
さて、
今回は「他力本願と自力本願」について書いていこうと思います。
「他力本願」と聞くと、現代では良い意味で使われていませんが、本来の意味ではない事を、以前仏教の本を読んでいるときに知りました。
今では、私の中では「他力本願と自力本願」は何か行動するときに、とても大切な考え方だと思っていますし、この考え方を意識することで生きやすくなったと感じています。
そこで、今回は「他力本願と自力本願」について、どのような考え方なのかご紹介しましょう。
この記事を読めば、あなたは「他力本願と自力本願」の本来の意味がわかるだけだなく、日常生活でどのように使えば良いのかまで理解できることでしょう。
仏教での本来の意味
「他力本願」という言葉がありますが、これは仏教用語で「仏様の力で本願を成就させる」という意味です。
仏教の最終目標は、「悟りを開いて自らが仏になる」ことです。だから、仏教の僧侶はとても厳しい修行をしたり、
宗派によっては「千日回峰行」といって、命がけの修行をして悟りを開くことに少しでも近づこうとするのです。
そして、他力本願の「本願」とは、「本来の願い」という意味で仏教においては「悟りを開く」ことを指すわけです。
さらに「他力本願」という言葉から、「自力本願」という言葉ができたようなのですが、自力本願は文字通り、自分の力で本願成就させる事を意味します。
本来仏教の考え方では「本願成就」させるには、「自力」と「他力」の2つが揃って初めて悟りを開くことができるというものです。逆にいうと、自分努力だけでは自分の枠を超えることはできないですし、他力に頼りすぎても自分の力にはならないことを意味していると思います。
そのため、「悟りを開く」には「自力」と「他力」を高い次元で実現させることが、本願成就には必要だと言っているのですね。
「自力」と「他力」の両方がいるけれども・・・
先ほども述べた通り、仏教から「他力本願」と「自力本願」という言葉は来ていますが、現代では特に「他力本願」という言葉は悪い意味で使われています。
すなわち、それは「自分は努力せず、他人の力に頼るばかりで目標を達成しようとする悪い考え方」といった意味です。
仏教では「自力」と「他力」の両方が必要だと言っているのですから、自分の努力は必ずいります。
しかも、「他力」は現代の言葉で言い換えると「運」とか「偶然」といったニュアンスなので、私たちが直接コントロールできるものではありません。
私たちがコントロールできるのは、基本的には「自力」の部分だけです。
そのことを踏まえると、
物事を達成するには「自分のできる努力は全てやって、うまくいくかどうかは運しだい。」という考えに到達します。
すなわち、
「人事を尽くして天命を待つ」
ということです。
私はこの考え方を意識するようになってから、努力するのがとても楽になりました。
以前なら、自分が力を入れて頑張っても結果が出ない時には、
「なぜ、こんなに頑張っているのにうまくいかないのだろう?」
という思いがどうしても浮かんできて、自分でストレスを作っていました。そして、そのような時には心が重い感じがして、考えるばかりで行動できなくなっていました。
しかし、「他力本願と自力本願」という言葉を意識するようになってからは、
自分が行動した結果うまくいかなくても、
「今回は運が味方しなかったなぁ〜」
といった感じで、心が重くなることはなくなりました。つまり、自分の思った結果が出なかったとしても、軽く受け流すことができるようになったのです。
すると、自分の中で「うまくいかなかった」という事実を以前に比べてとても軽い事と処理できるので、次の行動や努力をすることがやりやすくなリマした。
ずっと「なんでだろう?」と思い込まないので、ストレスも少ないですし、その状態で止まることがないのでとても生きやすくなったと感じています。
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