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つまりは、どれだけ思いを込められるか、だ。宣伝会議賞のあるコピーをみて思った。

17年は長い。しかも25歳から40代の半ばまで。人生のバリバリ期を僕は、あるクライアントにべったりとなった。

そのクライアントは、SONY。
「黒ちゃんは、ソニー漬けだからなぁ。もう発酵しちゃってるんじゃないの(笑)」とか、「な、黒澤。そろそろ、他のクライアントやったら? 芸が広がらないよ」とか。博報堂の先輩からいろいろ言われるほど、黒澤=SONYだったように思う、あの頃。

あの頃、とはどんな頃かと言うと、初めて担当したのは、ウォークマンが登場して間もなくの頃だった。次々とセンセーショナルな商品を市場に送り出していて、世界でもっともチャレンジングな企業の地位を独走しつつあった。出す商品が若者中心にことごとくヒットを続けていた。

僕のデビュー戦は、オーディオの広告だった。その当時、博報堂のSONYチームにはコピーライターが5、6人いたと思う。僕がそのなかでいちばん若くて、なんかちょっとは役に立つことをするかもしれない、ま、あんまり期待できないけど・・・的に、チームに入れられたのだった。ところが運が良くて、先輩たちのコピーを差し置いて、僕の初陣コピーがSONYに採用されてしまった。

そして、僕はどっぷりとはまり込んで行った。SONY初のコンピュータでクリエイティブ・コンピューティングの世界を拓いた「Hit Bit」、VHSとのビデオ戦争を熾烈に戦った「ベータマックス」、人類初の個人用ビデオカメラ「ハンディカム」。など、など、など、など。新聞、雑誌、テレビ、交通、店頭・・・、それらの広告を数十億かけて、新しいブランドを市場に定着させる膨大な作業だった。

とんでもなく大変な力技が要求される仕事で、頭も体もヘトヘトになり、いくら矢を射ってもなかなか的に当たらず、やがて矢が尽きそうになり、心が折れそうになった。それでも、チームの信頼に答えなければと、なんとか前を向いた。毎日がキツかった。曜日の感覚を失った。なんども限界だと思った。

それでも、僕は列車から降りなかった。なぜだろう。

それは、僕はSONYが好きだったからだ。
SONYが時代の先頭を走る、そのスピード感が僕に力を与えていた。ああ、僕は今いちばん先端の企業と共に走っている。その時の、窓から吹いてくる風の爽快感。そして、次はどんな常識破りの商品が出るんだろうと、一生活者になってイメージする楽しさ。その新商品の広告をじぶんが手がける喜び・・・。「キツさ」より「好き」が、かろうじて勝っていたのだ。

SONYは商品をつくるのではなく、市場をつくるのだ。
人類が初めて出会う「生活」を提案するのだ。
あったらいいと思う商品を考えよ。技術はそれから開発すればいい。
この世にたった一つしかない商品をつくれ。マネされる商品をつくれ。

これらのプロダクト精神は、

One&Only. SONY

it's a SONY

Sony Design

初めてをつくり、これからをつくる。ソニー

と言った企業スローガンに結実され、企業ブランドに対する共感を形作った。ちなみに、「初めてをつくり・・」は僕が開発したコピーで、SONYにとても大切に使っていただいた。

スティーブ・ジョブスは、このソニー精神の熱烈な信奉者で、彼の(Apple)のモノづくりに多大な影響を与えた。当時のSONYと今のMacは、僕のなかではイメージが重なる。プロダクトデザインにクリエイティブマインドを感じて惹かれる。使い心地を超えて、生活の心地さえ上質になる。僕はSONYとの深い縁で今でも結ばれているのだろう、きっと。


先日、あるキャッチフレーズを見た。宣伝会議賞、マスメディアンの課題「広告人を応援するコピー」で協賛企業賞をとったものだ。

広告とは、恋をして愛をこめることである。

23歳の女性が書いた。大隅絢加さん。まず、深いなぁと思い、次に、僕はじぶんの制作者としての日常を思い、やがて、全存在を傾けてやっていたSONY時代を思った。

毎日のように、SONYのあった高輪や品川に通っていた。コピーが採用されずに、もう入稿まで時間がなく、宣伝部の部屋を借りて書いたこともある。いつもギリギリだった。でも、そこにはクライアントに対する恋があり、生活者への愛があったのだろう。

最近、教え子の大学生からよく言われることがある。「広告が面白くなくなった」「YouTubeで嫌いな広告がなんども出る」「商品のことを声だかに主張しているだけでウザい」「差別的な表現だと思うけどいいと先生は思いますか」「広告でその企業のことが嫌いになった」・・・・。

その声に、講師の僕は頷くしかない時がある。なぜなら、事実そうだからだ。学生たちに、広告の素晴らしさを教えているだけに、かなり胸がキリキリと痛む。

僕ら広告人は、商品やクライアントに、じぶんが作ったもののように、じぶんが所属しているように、接しているだろうか。世の中の人たちに、押し付けでなく、ただ目立てばいいということでなく、共感と誠意を大事にして接しているだろうか。そういう習慣を失っていないだろうか。

広告の本質はコミュニケーションで、それはいつまでも変わらないと思う。手法が進み、伝え方が新しくなっても、愛と恋を忘れてはいけない。それを持ち続けることで、広告は社会でステキな存在となれる。そんなことを思わせてくれたコピーだった。


「いやー、黒澤さんのコピーは好きだったな」。つい数年前に、当時のSONYの宣伝部長さんから笑顔で言われた。久しぶりに一緒に酒を飲んだのだった。17年間のキツイ日々に陽が射した気がして、頑張って良かったと心に晴れマークがついた。


(おわり)

*「ひとびとのヒットビット。」は僕のコピー。ネーミングも。松田聖子さんがキャラクターになった。毎日毎日、こんなふうに原稿用紙にサインペンでたくさん書いていた。









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