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働くことと自分らしさとはどんな関係なんだろう。堀リホのデザイナー生活。

一人の働く女性がいます。彼女はデザイナーで、毎日を確かな足取りで歩こうと決意していますが、迷いも疑問も失望も、いろいろと心に溢れます。でも、たとえ遠くても自分らしい未来に向かって少しづつ歩いて行こう。そんな感情を抱いて生きています。80年代。東京の真ん中の、とあるビルから物語は始まります。

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デスクから東京の大きな空が見えている。
夏の5時。空はちょっとだけ赤く染まりかけている。
時間がスピードを落としてゆっくり流れ始めている。

私は、堀リホ。
銀座にある中堅の制作会社に勤めている。美大から入って、今、4年目。
グラフィックデザイナーとして活躍中。自分で言うのもなんだけど、割と良い仕事をしていると思う。もちろんまだまだだけど、ね。

私は作業机を一つ持っている。辺のそれぞれに一人がゆったり座れるくらいの大きさ。私だけが持っているのじゃなくて、グラフィックデザイナーとして独り立ちすると会社からあてがわれる。作業机を持っている、は、一人前になった、の証し。初めて席の近くに、マイ作業机が来た時は、跳ねるほど嬉しかった。湧き上がってきたのは、よくやってきたな、リホ、これからも気合い入れてけよ、リホ、その二つの気持ち。

今日もかなり激動の1日だった。
赤く染まリ出した空をぼんやり見ながら振り返る。
今、いくつかの仕事が並行して動いている。その中で大事にしているのが化粧品メーカーの広報誌。月刊、16ページのフルカラー。すごく有名な広報誌で、え、これを私みたいなひよっこがやるの?と驚いた、正直。
理由は先輩のグラフィックデザイナーの長谷川さんが出産で休暇に入ったこと。うちの会社には女性のデザイナーが3人しかいないから、それでお前に白羽の矢が立ったんだ、と上司が言っていた。ちなみに男性のデザイナーは9人いる。私の仕事は女性のセンスや力を認めさせることも含まれている。その感覚はいつも心のどこかにある。

あ、そうだ、写真のセレクトをしなくっちゃ。広報誌のこと思い出してよかった。のんびりしている場合じゃないぞ、リホ。
私は作業机の前に座る。作業机には、ピンセット、カッター、定規、ペーパーセメント、2Bから2Hまでの鉛筆・・・そんな道具が溢れるように置かれている。全てが私の愛してやまない道具たち。その道具たちを様々に使いながら、広告を自分の手で作り上げていく、自分の心でデザインしていく。それが私の日々。
ライトボックスを出す。電源を入れる。白い光がふわっと灯った。このふわっとした、心を癒すような光がとても好きだ。ここに撮影したネガフィルムを一つづつ乗せて、チェックして、ベストな写真をチョイスしていく。先日、モデルの女の子を深夜まで撮影した写真で、あらかじめカメラマンが選んだものが私の席に届けられ、今それを見ている。微妙なピントはルーペを目に当てて拡大し、覗き込み確認していく。細かい作業だが、素晴らしい写真に出会えると心がバネのように弾む。使う写真は広報誌の構成を頭で想像しながら、感覚を研ぎ澄ましながら選んでいく。
チームの電話が鳴った。見回すと誰もいなかった。
みんな撮影やプレゼンや打ち合わせに出てしまっている。
私が出る。出るしかない。グレー色の受話器を耳にあてて話す。

「・・・・さん、いらっしゃいますか?」「申し訳ありません、今、席を外しております」「そうですか・・・メモをお願いしてもよろしいでしょうか」「はい。どうぞ・・・」
私は受話器の声を正確に文字にし、メモを・・・さんの席に置く。正直言うと、この作業は大嫌い。集中して考えたりしている時に電話が鳴り、年の若い私がなんとなく取らなければいけない雰囲気になるのが、嫌。どうにかしてほしいといつも思っている。

私がデザインするのはグラフィック。雑誌、新聞、ポスター、カタログが主戦場。
その中で一番好きなのはやっぱりポスターかな。駅の構内や通路に、バンバンバンとB倍のポスターが連続して掲出されていたりすると、苦労してやってきたことが火花を散らして消滅して、そのポスターを眺めながら今の自分が輝いて見えてきたりする。ポスターの前を通る人も観察したりして。達成感というと陳腐過ぎるかもしれないけど、まさにそんな感じが体全体に走っていく。
CMチームとは時々仕事をするけど、企画を考えることはなくて、ラストカットに入れる商品ディスプレイのデザインを考えるくらい。本当は動画もやりたい。広告のクリエイティブという意味ではみんな同じ地平線にあると思う。でも、CMチームとグラフィックチームの垣根は厳然としてある。あまり仲が良くないと言ってもいいかな。
仕事のプロセスがまるで異なるから仕方がないのかもしれない。私たちは、写植や版下を作り、印刷に回す。そもそもこの印刷という最終過程が動画、ムービーのジャンルとはまるで違う。さらに制作コストも桁が違う。グラフィッカーの私から見たらなんで撮影や編集にあんなにお金がかかるのか理解できない。やがて、でいいから、もっと簡単にムービー撮影や編集できる時代が来るべきだと思う。グラフィックもそうだけどね。でも技術がそうなったら、愛すべき私の道具たちとお別れしなくちゃいけないかも。それはそれで淋しいかもしれない。

仕事が忙しくなった時の悩みは友達と会えなくなること。さっきの逆だけど、相手の会社に電話しても不在だったりして、なかなか連絡も取れず、「ねー、会うの半年ぶりだよねー」なんてこともよくある。本当にもどかしくてイライラすることもある。でも、友達は友達。仕事の話とかしながら終電過ぎて話してお互いタクシーで帰るなんてこともある。深夜から六本木のディスコ<レキシントンクイーン>に踊りに行くこともある。深夜タクシーはもちろん会社の経費。たまにはいいでしょ、いつもガンガン働いているんだから、深夜交通費くらい持ってよ、会社様という感じ。世の中バブルだから私も強気で生きているのかな。でも上司がこのバブルはいつまでも続かないと言っていた。かなり心配。不景気になって企業の広告費がケチられたら、私はどうなるんだろう。でも今が良ければそれでいいのかな。少なくともそれが保証されていれば、ね。

写真のセレクト、終了。さて、出陣時間。家に帰るんじゃなくて街に出る。
今日、10人くらいの打ち合わせで、営業の久保くんがそっとメモを渡してくれた、みんなにバレないように。その行為っていつもドキドキする。そう、私と久保くんは付き合っています。不倫じゃないけど、なんとなく「付き合ってまーす、みなさん!」と宣言しにくい感じもある。
久保くんのメモの内容を教えてあげましょうか。「今夜7時、いつもの場所で。大丈夫?」いつもの場所は秘密。二人で待ち合わせ場所に見つけたとても大事な大事な場所。ま、喫茶店なんですけどね、普通の。私が返したメモは「大丈夫!」。それだけだけど、それを書くだけでも結構、胸ときめきました。みんなの視線をかいくぐるのはスリルがあって、少し幸せ因子も含まれていて。
そう、それで、今から出陣します。本を持って行こうかな。久保くんが遅れるかもしれないから、遅れたら連絡がもうつかないから、ずっと待つしかないから。
最近、ハマっている村上春樹っていう若い作家の「ノルウェーの森」。活字があるとなんだか気持ちが落ち着くし、彼の文体はおしゃれでとても好き。
出先表には「資料探し」と書いておこう。では会社様、また明日。

デスクを立って窓の外を見ると、東京は真っ赤に染まっていた。
それはしっかり受け止めないと受け止められないほどの美しさだった。
これから、堀リホはやがて来るキラキラとした夜に溶けていく。


(おわり)

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