短編小説「今日も、起き上がる」
5年ほど前に付き合っていた男と、1年ぶりに連絡をとっていた。
LINEの友達リストを眺めていると、その男の名前を見つけたので、何年振りだか、私から話しかけてみたのだ。
たわいもない会話がひと段落した後、今後の自分の恋愛の参考に、なんていうのは嘘なのだけど、もう会うこともないだろうと思い、意外としたことがない質問を投げかけてみた。
「なんで私と別れたの?」
場合によっては自虐とドMの究極体のような質問なのでは、と笑えてくる。
レシピサイトを開き、簡単さと美味しさを兼ね備えた優秀なおつまみはないかと調べていると、またスマホが鳴った。
「なんか、楽しそうに見えなかったから。」
想像とは異なる回答だったものの、重箱の隅を突かれるような気分になったのが、なんだか癪だった。
でも違和感が、満載だった。
確かに、男は、天真爛漫に笑い、たまにはドジな面もあり、ちょっとエッチな女が好きだという薄っぺらい考えを持っていることは知っている。
私は人混みの中にいると抜け出したくなるタイプで、小汚い居酒屋で本を読みながら1人大瓶のビールを2本は軽く開けてしまうタイプで、意味もないウィンドウショッピングに行くならジムで身体づくりに励みたいと思うタイプだ。
いわゆる男性が思う「守ってあげたいタイプ」からは大きく外れているし、別にその範囲にとどまりたいとも思わない。
でも、決して他人に興味がないのではない。
私の心を動かしてくれるような、興味を持つ対象となる他人がいないのだ。
私だって好きになればその人のことを考えるし、その人のことで頭がいっぱいになるし、どうすれば相手が喜んでくれるか、頭を巡らせることだってできる。
だが、今のところ、出会っていない。出会っていないはずだ。
だから、違和感満載だった。
「俺といて楽しい?」
そうやって聞く男は嫌いだ。
相手が楽しそうに見えないのは、自分が相手を楽しませてあげられていないからなのではないか、という単純な反省を、なぜできないのかと不思議でたまらない。
これだから、傲慢な男は嫌いなのだ。
そんなことを考える時間までもがゴミのように感じられた私は、クソみたいな回答を相手にはせず、無造作にヒビが入ったスマートフォンの画面をスワイプして、日経電子版を開いた。
横浜のみなとみらいの写真がタイトルに入っている記事に目が行った。
…横浜に大きなテーマパークができるらしい。
私は鼻で笑った。
その傲慢な男とよく行っていたのが横浜だった。お気に入りのパン屋でパンを買い、ショッピングモールの駄菓子屋で駄菓子を買い、みなとみらいの海辺にある意味のわからない形をしたベンチに座って食べた。
寒いのに、暗くなるまで語らい、暗くなるとキスをした。
大好きなものは、大嫌いにもなるから、もう大好きになるのはやめたのだ。
恋は一種の精神的な病だと思う。
恋をすると、脳内は相手の顔や声、理想像で支配され、それまでの日常はすべてその他大勢で片付けられる。
まるで健康な細胞を蝕んでいくがん細胞のようだ。
そして、脳内を占領し切ったかと思うと、ふと消え去る。
だからその分、彼で支配されていた分と同じ大きさの穴が開く。
蝕まれた私の脳内は、1からまた自分で、埋めて行かなければならない。
だから、大きくなればなるほど怖い。
だから、大好きになるのはやめた。
…傷つくだけだ。
「思い出させんな」と棒読みで呟いたあと、日経電子版にも嫌気がさしてスマホを伏せ、10分前に冷凍庫に入れた缶ビールを取り出して、飲みながら台所に立った。
今日は、ジャガイモを薄く切って塩と味の素をかけて焼いただけの、自家製ポテトチップスだ。
油は多めに入れたはずなのに、チップスとはとても言えないただのシナシナなじゃがいもになってしまったが、えいや私以外の誰かが食べるわけでもない。
歌詞の意味もわからぬまま、こぶしだけは一丁前に使いこなす素人歌手のような人間にはなりたくないから、じゃがいも本来の味も十二分に感じながら食べる。
もうおとななんだから、素材の味を楽しむ。
といいつつも、塩と味の素はたんまりとかける。
私はそんな女だ。
1人で飲むとペースはかなり早い。
500ml缶のビールを2本、350ml缶の発泡酒を1本、コンビニに並んでいた小さなスパークリンワインを空けたところで我が身をベッドへ放り投げ、そのまま眠りについた。
大学の卒業式で、母が来てくれていた。
母は私には近づかず、正門の前で、微かな微笑みを浮かべて仁王立ちしている。
私も母には、どう頑張っても近づくことができなかった。
追いかけ続けたが、母は逃げるように、私が進んだ分と同じ分を進んでいく。
ーー結局母には辿り着けないまま、私は目が覚めた。
バッドエンドの白黒映画をみているような夢だった。胸糞悪すぎる。最悪だ。
昨日のおつまみはしなしなのじゃがいもチップスだけだったから、お腹が空いたようで、胃がぎゅるると鳴った。
空き缶が並んだテーブル、脱ぎ捨てたジャージとワンピース、中途半端に開いた箪笥の引き出し。
28歳の女一人暮らしなんて、こんなもんだ。
夢占いによると、母がどこかにいってしまう夢は、「愛に飢えている」証拠らしい。
根拠もない夢占いには、惑わされるわけがない。
ふぅ。と一息吐いて、イヤイヤむっくりと起き上がった。
さてと、今日は何が、起こるだろうか。
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