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ブラック対応の企業は「危機管理」という言葉に縛られすぎている

「ブラック危機管理」の原因と対策

「これさえやっておけば危機管理的には正解だろ」と自分たちとしてはベストな危機管理をしているつもりなのだが、なぜかやればやるほど社会からの批判が盛り上がって気がつけば大炎上・・・・。

 そんな「不祥事企業あるある」ともいうべき「組織の病」を仕事柄、組織内部から目にする機会が多くある私は「ブラック危機管理」と命名しました。このマガジンではこの現象の原因と対策をまとめていきたいと思います。

 そこで「目次」というほどではないですが、これからこんな流れで記事を書いていけたらいいな、というものをご紹介します。

第1章 「ブラック危機管理」の実例紹介

第2章 「ブラック危機管理」にハマってしまうのはどんな組織か?

第3章 「ブラック危機管理」という病のルーツはどこにある?

第4章 「ブラック危機管理」からの卒業

第1章に関しては、社会的にも注目を集めた企業不祥事や、私が実際に身をもって体験したような案件の中から、「ブラック危機管理」の典型的なケースを紹介して、いくつかのパターンに分類をして解説をしていきます。

「ブラック危機管理」のルーツは日本の企業文化

 第2章は、実際に「ブラック危機管理」に陥ってしまった企業の組織的な問題を紹介します。例えば、不祥事の対応がお粗末な企業も実は、現場の社員などからは「こんなやり方は間違っている」という対応への不満の声が上がっていることが少なくありません。しかし、それは経営層に届けられることなく、組織のヒラルキーの中で潰されることがほとんどです。このようなさまざまな組織の問題が、「ブラック危機管理」の引き金となっている実態をまとめます。

 第3章では、この問題を歴史的に考察していきます。「ブラック危機管理」は現代に始まった問題ではなく、さかのぼれば高度経済成長期、さらには明治以降の近代日本にまでそのルーツをたどっていくことができます。「病」を克服するには「病巣」を突き止めていくべきなので、日本の企業文化の成り立ちからこの問題を考えていきます。

 そして最後の第4章では、これまでの考察をもとにして、どうすれば組織が「ブラック危機管理」から抜け出すことができるのかというポイントをまとめます。実際に不祥事を起こして、社会からバッシングを受けてからしっかりと組織を生まれ変わらせた企業もありますので、企業関係者が自分たちの組織にも応用できるような具体的な方法を紹介していきます。

「危機管理」というパワーワードに引きずられすぎ

さて、このような流れで進めていく前に、なぜ日本ではこんなにも「ブラック危機管理」が多いのかという根本的かつ、構造的な問題を指摘させていただきます。それはこの記事のタイトルにある以下のような問題です。

ブラックな対応をやらかす企業ほど「危機管理」という言葉に縛られすぎている

 今や「危機管理」という言葉はすっかり市民権を得て、企業不祥事とか芸能人のスキャンダルなどがあるとワイドショーのコメンテーターや評論家の皆さんも「危機管理的にはまず説明会見をした方がいい」とか「これでは危機管理が失敗です」なんて感じで必ず口にしています。

 これは不祥事企業の内部でも全く同じです。報道対策アドバイザーとして不祥事企業の内部に入って、打ち合わせなどに参加をすると、営業、製造、総務、広報、人事などさまざま部門の代表者が「危機管理」という言葉を口にして、それぞれの立場で考えうる最善の対応を口にします。

 そう聞くと、「危機管理意識が高いということなのだからいいことじゃないか」と感じる人も多いでしょうが、実は一概にそうとも言えません。「これは危機管理的には・・」「危機管理の観点から・・・」など言っている人たちの話に耳を傾けていると、彼らの多くがこのパワーワードを繰り返すあまり、危機管理において決してやってはいけない致命的な勘違いをしていることに気づきます。

危機を支配下に置けるという「傲慢さ」が判断ミスを招く


それは一言で表現するとこうなります。

「危機」というもの自分たちのコントロール下、支配下に置くことが理想的な危機管理である。

この勘違いこそが、このマガジンのテーマである「ブラック危機管理」を生みの親なのです。

私はこれまで15年以上、いろいろな企業や団体の不祥事や不正などに対応を手伝ってきましたが、そこで痛感しているのは、「危機」というものをコントロール、支配下に置くなんてことは絶対にできないということです。

 当たり前の話ですが、企業などあらゆる組織は、社会の一員です。国があって監督する行政があって、競合他社や取引先があって、顧客や消費者がいて、ようやく存在をすることができます。こういう「単体で存在することができない組織」が何かを問題を起こした時に、この組織単体の力で解決・収束することができるでしょうか。

 できるわけがありません。そして、できないことを強引に推し進めるので失敗をします。それは今回の小林製薬の「紅麹」健康被害問題を見ても明らかででしょう。

「原因特定」にこだわって被害拡大防止を後回し

 ご存知のように、同社のトップは2月の頭に健康被害の報告を受けて「回収」も覚悟をしていた述べていますが、世間や監督官庁にこの事実を報告をしたのは3月22日。この対応の遅さが批判を浴びて、機能性表示サプリメント全体の信用が失墜して制度の見直しにまでつながっています。

 なぜこんなに対応が遅くなったのかというと、同社は「原因を特定できていなかった」からだと釈明しています。情報を特定するまでこの問題をひとりで抱え込んでいたのです。組織の外にたくさんの被害者がいて、増え続けている中で被害拡大防止を後回しにして、なぜそんな愚かな考えに陥ってしまったのかというと、「危機」を支配下に置くことが、危機管理だと考えていたのです。

 問題のサプリメントを飲んで体調が悪くなっている人がいようとも、まずは起きている「危機」の全貌を自社としてしっかり把握しなくてはいけない。そんな自己中心的で傲慢な考えが、事態を悪化をさせてしまっているのです。

「危機」を自分の部下のように管理してはいけない

 これは「ブラック危機管理」における定番パターンであって、海外の「Risk Management」(リスクマネジメント)の世界では最も避けるべきこととされています。

 例えば、海外では、今回のように「原因不明の健康被害」を会社側が確認した時に、「まず顧客を守るためにはどうしたらいいかを考え、自社製品の責任や原因の究明は後回しにすべき」という考えに基づいて行動をする「リスクコミュニケーション」という方法論があります。

 わかりやすいのは、1982年、米ジョンソン&ジョンソンの解熱鎮痛剤「タイレノール」の毒物が混入された事件です。この時に同社は今の小林製薬とまったく逆の「何が原因とかさっぱりわからないけれど、とにかく危ないので服用をやめてください」と社会に呼びかけました。

 しかし、日本企業では残念ながらジョンソン&ジョンソンのような対応はできません。今もネットやSNSでは製薬・食品企業の社員と思しき人々から「小林製薬の対応は適切だった」「事実確認には2ヶ月くらい時間がかかる」という擁護論がでているように、「事実確認をしなければ公表してはならぬ」と信じて疑わない人もいます。

 では、なぜ日本の危機管理には「リスクコミュニケーション」と真逆の、「危機を支配下に置く」ことに固執するのでしょうか。私は「危機管理」という言葉の中にある「管理」という日本語のイメージのせいだと考えています。

 会社員をされている方などは、「管理職」と聞くとどういう仕事を連想しますか。部下の仕事ぶりをしっかりと監督して、業績などをチェックして、時に相談に乗ったりして部下たちをしっかりと働かせる人という感じでしょうか。いずれにせよ、細かく目をくばって部下たちの動きを把握、コントロールしている人というイメージでしょう。

 このような管理職の「管理」を、危機管理の「管理」と重ねてしまっている人が、日本の組織には非常に多く存在しているのです。これが「ブラック危機管理」に陥るすべての「元凶」と言ってもいいでしょう。

「危機は組織外で起きている」ので管理できない

先ほど申し上げたように、私は報道対策アドバイザーとして、「危機」に直面をした企業の内部で、打ち合わせに参加をするのですが、そこで営業、顧客対応部門、開発部門、広報の人たちが経営層や管理職からこんな感じで叱責されている場面によく出くわします。

取引先に言いたい放題をさせておくなんて危機管理失敗だぞ、早く手を打て
SNSでこんな情報が出ないようにすることが危機管理だろ、消せないのか?
危機管理としてマスコミにこれ以上いい加減なことを書かせないように、訂正を求めるか記事を撤回させろ!

 そのたびに私は「いやいや、この段階で組織の外で起こっていることをコントロールしようとすれば余計、事態を悪化させるのでやめてください」と口を挟んで、経営層から嫌な顔をされます。中には、「それができないで何が危機管理ですか?」と食ってかかる人もいます。

 こういうやりとりを重ねていくうちに、多くの企業人が、「危機管理」というものを、仕事をミスした部下や、成果を出せない現場社員をしっかりと「管理」をすることだと思い込んでいることに気づきました。

 だから多くの企業が危機管理を失敗します。「事件は会議室で起きているんじゃない!」という有名なドラマのセリフがあるように、「危機」も会議室で起きているわけではありません。被害者や取引先という組織外のステークホルダーを巻き込むわけですから、「危機は組織内で起きているんじゃない!」という感じです。だから、「管理」などできるわけがないのです。できないことを、現場にやらせようとするので、現場は無茶な危機管理をして結果、大炎上というわけです。

 最初の最初、ひとつ目のボタンが掛け違いをしているので、世間が首を傾げるような「ブラック危機管理」へと流れてしまうのです。

有名作家が日本社会に広めた「危機管理の誤解」

では、なぜこんな致命的な誤解が広まってしまったのかというと、作家・評論家である佐々淳行氏の「功罪」です。

 あさま山荘事件などで警察庁警備幕僚長を務め初代内閣官房安全保障室長にもなった佐々氏は在官中の1979年に「危機管理のノウハウ」(PHP研究所)という本を出して、「危機管理」という概念を日本に広めた方です。この本がベストセラーになったことで、多くの組織に危機意識を持たせたという意味では、その功績は計り知れません。

日本に「危機管理」という概念を広めたベストセラー

 しかし、一方でアメリカの「Risk Management」を「危機管理」と直訳したことで、先ほどから指摘している「誤解」も広めてしまいました。ドラッカーの「マネジメント」で語られていることが、日本企業の管理職の仕事と同義でないように、 「Management」と「管理」は決して同じではありません。日本語の「管理」は「ある基準などから外れないように、全体を統制する」という意味ですが、ドラッカーが唱える「マネジメント」はそういう規格審査のような意味合いはありません。

 この微妙なニュアンスの違いが、日本の「危機管理」を「Risk Management」と大きく異なる独自の進化をさせてしまったと私は考えています。

 そこに加えて、ギャップが広まったのは、佐々氏が唱えた「危機管理」というものの多くは、警察や防衛庁という政府側の危機管理ということもあると思います。私はこれまで中央官庁や政府関連の危機管理もアドバイザーとして関わった経験がありますが、そこで目的とされることは、民間企業のそれとまったく異なります。

 言い方は悪いですが、「権力」側なので許される(と思っている)ような傲慢な危機管理が多いのです。政府側にいらっしゃった佐々氏の提唱した「危機管理」がモデルケースとして社会に広まっていることも、「危機を支配下に置く」という傲慢な考えに基づく「ブラック危機管理」が多い遠因になっていると考えています。

 危機は支配できないし、コントロールもできません。だから、組織外の声に耳を傾けて真摯に対応をするのが実は最善の方法なのです。そういう誤解についても、このマガジンでは紹介していければいいなと思っています。



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