子どもの病気が教えてくれた、医療の力と選択肢を作ることの大切さ
「お母さん、これは風邪症状ではありませんよ」
医師は笑顔のままそう言ったが、目だけは真剣で笑っていなかった。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。上の子の風邪がうつってしまい、息苦しそうにしているだけ……ではないのか?
医師の言葉が私の胸に不安を突き刺した。
いくつかの検査を経て、何人もの医師が入れ替わり子どもの様子を見に来た後に、緊急入院が決まった。2日後には手術することも。
この時点では、どれほどの治療が必要なのか、どんな未来が待っているのか、何も分からなかった。ただひとつ確かだったのは、私たち家族の生活が大きく変わるということだった。
この「風邪ではない」という言葉をきっかけに始まった長い道のり。その中で私は、家族を守るための選択肢の大切さに気付いていくことになるのだった。
生後2か月でわかった生まれつきの病気
妊娠中の経過は順調で、出産時も特に問題なく、生後1か月で受ける検診でも何も指摘されず過ごしていた。
ただ、吐き戻しが多いことは気になっていて、1か月検診での医師や自宅に訪問してくれた保健師に相談していた。いずれも「この時期は吐き戻しがあるもの。体重が増えているから問題ない」という回答だった。
最初に異変に気付いたのは、かかりつけの小児科医だった。生後2か月で受けられる予防接種のために訪れたのだ。
「いつもこの泣き方をしているの?」
私がそうだと答えると、「気管支が狭まっているから、この泣き方になる。でも、赤ちゃんは未熟だから、そういう子もいる。普通なら成長とともに良くなっていくので、経過をみていきましょう」と続けた。
さらに、「上の子の受診のついでに診ることもできるから、何か気になることがあればすぐに来てください」と言った。
私は「優しい先生だな」と思っただけだったが、おそらく医師の方はこの時点で何かを疑っていたのだろう。
次に受診したのは予防接種の2週間後。年末が近づいていた。
上記のかかりつけ医から「ここでは詳細な検査ができないので、大きな病院でしっかり診てもらった方が良い。このあとすぐに行ってください」と、紹介状をもらった。
病院に着くと、さまざまな検査を受けた。徐々に様子を見に来る医師の数も増えていく。
紹介状を持って病院に行ったのはお昼の12時だったが、何も伝えられず16時過ぎに。ただ事ではないことだけは理解したが、一体何が問題なのかまったくわからないまま時間だけが過ぎていった。
何人かの医師が目の前で話している。小児科病棟は満床だが、なんとか空きを作るらしい。この会話で「私たち、入院するんだ……?」と理解した。
さまざまな医師が入れ替わり診ていたのは心エコーだった。子どもは、生まれつきの心臓病(指定難病)だったのだ。
あとから知ったことだが、私たちが暮らす地域でこの難病を診られるのはこの病院だけらしい。県外から来ている人も少なくないようだ。
医師から「最初に来てくれたのがこの病院で良かった」と言われた。
さまざまな医師が見に来た後、最後に来た医師が言った。
「年明けまで待たない方がいい。2日後に手術しよう」
手術……????????
本来なら生後間もなく手術をする必要があったようだ。生後3か月近く経ってしまったため、心臓に負担がかかりすぎて大きくなり、気管支などを圧迫していた。肺動脈にも影響が出ていたらしい。
緊急入院、2日後に手術。手術をしなければ、近いうちに死ぬ。
気持ちの整理がつかぬまま手術の日を迎えた。
手術は無事終わったが、これで終わりではない。今回は、あくまで次の手術をするための前段階に過ぎなかった。
状況は複雑で、次にどんな手術をするのかすぐには決まらない。
だから、いつ頃手術をするのか、何回手術が必要なのかもわからない。
私は毎日泣いていた。健康な体に産んであげられなかったこと、何回も大きな手術が必要なことが申し訳なかった。
私のせい?妊娠中に何かよくないことがあったのか?原因はまったくわからない。
できることなら代わってあげたい。ごめんね、ごめんね……。
手術後は順調に回復し、退院した。手術前に比べて明らかに元気そうだった。
泣き声が小さくて、よく寝るおとなしい子だと思っていたのだが、おそらく苦しかったのだろう。本当に申し訳なかった……。
完治したわけではない。テンションが上がって手足をバタバタしすぎると、呼吸がハァハァしてくる。それを見るたびに、私はまだこの子が病気とともに生きているのだと思い知らされる。
油断してはいけない。けれど、それ以上に、元気に動き回るその姿が愛おしかった。手術を乗り越え、ここまで回復した息子の生命力を感じずにはいられなかった。
病名がわかったあの日から、私は毎日情報を集めた。心臓の仕組みといった基本的なことや同じ病気の一般的な治療法を勉強し、SNSで同じ病気の子を持つ親や同じ病気を持つ大人とやり取りをした。
少しでも、明るい未来を迎えるために。親としてできることをしなければ、と思ったのだ。
医療の力に支えられた日々
私自身は大きなケガや病気をしたことがなく、入院したこともない。だから私にとって医療の世界は遠い存在で、何も知らなかった。
しかし、子どもの手術と付き添い入院をきっかけに、医療や福祉に興味を持つようになった。
看護師は日中だけでなく夜中も子どもの様子をチェックし、必要があればすぐに対応してくれる。朝には医師の集団が回診に来ることも。患者側からすれば大変ありがたい存在だった。
ただ、こんなに忙しい毎日を過ごして、家で休むことはできているのだろうか?と心配になった。医療従事者の過酷な労働環境を垣間見た気がした。
また、子どもの病気をきっかけに医療的ケア児の存在を知った。日常的に医療のサポートが必要な子どもたちがいる。これまでまったく意識したことがない世界だった。
今のところ子どもは医療的ケアなく暮らしているが、今後は在宅酸素が必要になる可能性があるらしい。少なくとも、最終的な手術が終わった後は必要になるだろうといわれている。
医療的ケア児の場合、一般的な子どもと同じ福祉が利用できないケースがあるようだ。何も頼れず疲弊してしまう親もいる、そんな情報が目に入るようになった。
医療に支えられる立場を経験したからこそ、これらの問題が単なる遠い世界の話ではなく、自分自身や家族の未来にもつながる課題だと感じるようになった。
2回目の手術を終えて、子どもは1歳になった。「このままでは長く生きられません」と言われたけれど、医療の力のおかげで元気に育っている。
きっと我が子以外にも医療の力で助かった子がいるだろう。あらためて、医療の存在が社会全体を支えていることに気づかされた。
お世話になっている病院がクラウドファンディングを始めたので、少しでも何か役に立てることがあれば……と少額ながら寄付した。
医療の恩恵を受けているだけではなく、自分たちがその力を少しでも支える一部になれるのなら。私にとって小さな希望だった。
子どもの病気をきっかけに知った医療の力と、その裏側にあるさまざまな課題。それを踏まえた今、私は「支えられる存在」であることに感謝しつつ、「何かを支えられる存在」になりたいと思うようになった。
この先、息子の最終的な手術が終わるまでには、まだ長い道のりがある。けれど、その道のりの中で私たち家族が学んだこと、感じたことを、周りの人や社会に還元できるような生き方をしていきたい。
医療の力に感謝し、その力を支えるために自分にできることを探していきたい。
予期せぬ試練に備えるという選択
子どもの病気がわかってから、家族の生活が大きく変わってしまった。
今までは夫が激務で家にいる時間がほとんどないため、育児は在宅フリーランスの私が一手に引き受けていた。下の子が健康であれば、この状況が続いていたと思う。
しかし、度重なる付き添い入院(2024年は5回入院した)、外出しにくい下の子を抱える休日は、私だけでは対応できなかった。上の子のことも考えて、周りの大人に頼ることにした。
夫は働き方を見直してくれて、家にいる時間が増えた。また、子ども2人を連れて隣県の義実家にお世話になったり、遠方の実家から母が来てくれたりもした。大変ありがたかった。
これまでは「私の子どもなのに私だけで対応できないなんて、親失格では?」と考えていた。しかし、突然の事態により私一人では対応できないこともあるし、普段から「何かあったときに頼れる環境」を作っておいた方が良いと思うようになった。
また、今後も何があるかわからない。不安定な状況に備えるため、将来の選択肢を増やしておくことが大切だと考えるようになった。
たとえば、働き方。私はフリーランスなので会社員よりは時間の融通が利きやすいものの、クライアントワークなので作業時間を確保しなければならない。期日までに成果物を納品する責任もある。
ただ、下の子は最終的な手術が終わるまで集団保育は避けた方が良いといわれている。自宅保育ではなかなか作業時間を確保できないので、クライアントワークは難しい。より時間に縛られない働き方をするために、ストック収入を増やしておくべきだと痛感している。
とはいえ、ストック収入を増やすためにも時間が必要。今は将来の種まきと思い、資格取得に励んだり、ブログの更新を続けたりしている。
また、子どもたちの将来に備え、医療費や教育費の準備をより計画的に進めるようになった。特に下の子は長期的なサポートが必要となるため、利用可能な支援制度や加入できそうな保険についての情報を集めている。
事前に情報を集めておけば、必要となったときに適したものを選びやすくなるからだ。
さらに、地域のコミュニティとのつながりも意識するようになった。
重い病気のことは、リアルの知り合いには話しにくい。正直なところ、同じ境遇でないとわかってもらえないことだらけだ。
今はインターネットでつながった人と話すだけだが、地域の子育て支援グループなどにも参加して「頼れる人を増やす」ことも良いのではないかと思っている。つながりを作ることは、実際に助けを借りること以上に、精神的な安心感を与えてくれるからだ。
私は「一人で全てを抱え込むのではなく、周囲の力を借りながら対応する」生き方を自然と受け入れられるようになった。頼ることは、悪いことではない。自分や家族のためにできる最善の選択をした方が良いと考えるようになったのだ。
もちろん、これですべての不安が消えたわけではない。しかし、選択肢を増やす努力を続けることで、「何があっても対応できる」という前向きな気持ちを持てるようになった。
家族として支え合い、未来に備える道はまだ続く。さまざまな選択ができるよう、今できることを少しずつ進めていきたい。
子どもの笑顔のために、選択肢を作っておきたい
子どもの笑顔を見るたびに、この子が安心して過ごせる未来を守りたいと強く思う。私たち家族が今できることは、将来に備えて選択肢を増やしておくことだと気づいた。
子どもの病気がわかったとき、生活がどれだけ簡単に揺らいでしまうかを痛感した。それまで「何とかなる」と思っていた私たちの日常は、突然の試練の前では無力だった。
そんな経験を通じて、選べる道があることの大切さを知り、何が起きても家族みんなが安心して過ごせる環境を整える必要性を感じている。
私が考える「選択肢を作る」とは、決して特別なことではない。収入源を多様化する、支え合える人間関係を築く、必要な情報を集めておく。日常生活の中で小さな備えを積み重ねていくことだ。
このような努力が、いざというときの安心感につながると信じている。
大切なのは、今すぐ何かを完璧に整えることではなく、少しずつでも進めていくこと。私たち家族は、小さな一歩を積み重ねながら、子どもの笑顔を守るための選択肢を増やしていきたいと考えている。それが、この先どんな未来が待っていても、前向きに進むための支えになると信じている。
家族の状況が落ち着いたら、今度は誰かを支える側になりたい。今考えているのは、さまざまな事情があって働き方に悩んでいる人へのサポートだ。
特に、私が関心を持っているのは、子育てや介護、健康の問題などで柔軟な働き方を求めている人たちだ。私自身が在宅フリーランスとして育児を担いながら仕事をしてきた経験から、働く環境がどれだけ個人や家庭の状況に左右されるかを痛感している。
もちろん、在宅フリーランスという働き方がすべてを解決できるとは思っていない。会社員と比較すれば、さまざまなリスクもある。
ただ、選択肢があることで、自分らしい生き方を選びやすくなるはずだ。私がこの経験を通じて学んだ「選択肢を作る」ことの重要性とも通じている。
まずは、私自身ができる範囲で始めてみようと思っている。小さな発信や身近な人へのサポートから始めて、少しずつその輪を広げていきたい。
それが誰かの助けになるだけでなく、自分自身の経験を社会に還元することにもつながると信じて。