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それでも、学びたい

高校を卒業した。就職先が決まった。大学に行かなかった。

まあ、それは自分で決めたことであり色々事情はあるけれど、勉強が好きでまだまだ学びたかった身としては、同級生だった友人たちがどんどん学びを深め、多言語を操るようになるのを見ると、やはり悔しいものがある。

大学に行きたくてもいけない人がいる。

やりたいことがあるのに大学に行かされる人もいる。

そういうもの。

話が飛ぶけれど、お盆でアルバイトが死ぬほど忙しかったとき、どうして私の生活が死んだ人なんかに左右されなきゃいけないの?と思った。

そうやって関係ない人間に支配されている運命って結構あるんだろうなと思う。

僕がとるに足らぬことで いつも悩んだりしてるのは 言っちゃえばアダムとイブから もう決まってたのさ

こんな歌詞が泣けるほど沁みる夜もある。

やはり今の世の中は不公平であり、まあそれは当然なのだと思う。

だから今置かれている状況の中での最高点に立つために。

この状況の中で自分の「好き」を追求するために。

私は、勉強がしたい。

今日、尊敬する同級生のひとりがプロフィールに目標にしている資格や今まで取った資格を書き連ねているのを見た。功績をひけらかすのはちょっとなと思うけれど、事実として素直にかっこいいし、同じ年数を生きている人間だと思うと悔しかった。私はそういうのに感化されやすい。

だから私も、ここに勉強面で目標にする資格を書き連ねようと思う。

・通訳案内士

・ロシア語能力検定3級、2級

・TOEIC900点以上

・色彩検定

・知的財産管理技能検定

最終的に何級まで目指すのか決めていないものもあるけれど、興味分野に従って学びを深めていきたい。むしろ普通の大学生なら語学をやりながら法学なんてなかなかできないかもしれない。そう思えば「好きなことバイキング」ができる独学も悪くない。あとはいろんな言語の基礎教科書である「ニューエクスプレス」を全言語制覇するという大っきな夢もある。一生かけて叶えてみたいな。

もちろん、いつもいつも知識欲が燃えているわけではなくて、ゲームばかりしたくなったり気分が乗らないこともある。それに加え私は学生ではないため、課題もないし落単の恐れもない。だからサボろうと思えばいくらでもサボれてしまう。ここが問題であり、それを防ぐためのシステムをこれから考えなければいけない。


去年の今頃、5つの試験が立て続けに予定されていて、毎日毎日勉強していた。早朝から学校に図書室でお気に入りのノートを持って自習。放課後も、過去問を持って市の図書館で自習。朝から夜まで好きな勉強に励むのは楽しかったし、勉強している自分のことが好きだった。

これが本来の勉強の楽しさなんだと思う。それをもう一度やりたい。



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